きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

夜半のひとり言

2017-07-16 | 息子keke
7月も半ばになればいよいよ暑くなる。
このまま雨が降らなければそろそろ梅雨明けかもしれない。

今日は休みだ、明日も休みだ。
きれいさっぱり片付けたい。
暑いのと片付かないのがダブルでうっとうしい。

・・・と確実に思っているのに、また体は今日も動かないのだった。

写真とか、カラオケとか、花火とか、誰かとか、車とか、そういうものが絡まない限り休日に体が動かないのだった。「いいじゃないの、休日なのだから」二言目にはこうなって、私はゴロンと横にだれる。

そして10時が過ぎ、お昼が過ぎた。
そろそろkekeが言ってくるだろう。「何か食べるものないの?」
そしたら、焼きそばを作ろう。

でも2時になってもkekeは閉めた部屋(暑くないのかね)の中にいて、私はトマトの湯むきをしようとして、なぜか熱湯をお玉で自分のエプロンにぶん投げてしまった。アチチチ・・・でも誰も心配するものは居ない。

あまりの暑さに風呂に入り(一番暑い時間帯に風呂に入ることにしたのは夏の生活の知恵です)、赤くなった胸の皮膚を気にしながら半身だけ湯に入れて、出てきてさすがにおなかがすいた。

そうめんをゆでて、ナスを焼き、枝豆をゆで、「そうめんゆでるから、かき揚げ買ってきて」と言うと、「夕飯いらない」と言う声がした。

もう4時半だった。
世間ではこれから夕飯の時間なのだ。

「どこか出掛けるの?」「うん。」


誰も食べないだろう焼きそばを焼いたのは、もう肉がやばかったからである。
甘酢きゅうりも添えて、ひとり居酒屋である。

kekeはやってきて、チラッとそれを見ながら「花火見に行かないの?」と言う。

「今日花火やってたっけ?」
「山下公園。」

「あぁ、昨日みたもの」と言い、大勢人が来てたよ、と言うと「(混んで)見えないの?!」と言うので、花火は見えるよ、私は三脚を持ってたからね、三脚で撮る場所は決まっててそこでしか撮れないんだよ、それで帰りが、駅まで帰るのが行列だったよ。」

でもきれいだよ、花火の前後もイルミの明りのついた船が通ってたりしてね、と言った。

「kekeさん、これから行くの?」と言うと「イヤ」と言うので、「どこ行くの?またOM君たちと焼肉でも食べるの?」というと「そんなとこ」と言う。

「昨日はカップルばかりだったよ。一人で行くの私ぐらいだった。」
(と言うのは大げさで、写真目的の人は一人の人が多かったですが。)
というと、kekeはそうですか(でも自分は付き合いませんよ)というケイベツの余韻を残して出て行った。


拍子抜けた。

kekeが居ないなら、今日もどこかに行く予定でいれば良かった。
こんな夏に、こんな暑いさなかに、どうして一人でそうめんや枝豆や焼きそばを焼いたのだろう。

「こうなったら一人で飲んだくれてやるゾ!!」
腹ン中では十分にそのつもりだったが、いつもの分量しか飲めなかった。気がつけば飲酒歴も単純計算で32年になる。

私は両親ともども酒好きだったので、単純計算で32年間ずっと酒を飲んできたことになる。
お酒は体にいい、精神衛生上いい、だから飲めるだけ飲みなさい。
信じられないが、それがsake家の教えであった。

飲んだくれてやっても、後に残るのはイヤな頭痛だけなのが分かりきっているのだった。


今日は本当にひとりだ。

私はひとりで何でもできると思ってる。

カラオケだって、ボーリングだって、行こうと思えば焼肉屋も旅行もひとりで行ける。

カップルばかりの港の花火大会だって。

やろうと思えば何でもできるけれど、時々それは何の意味もなさないような気がする。
そしてそれは自分が生きている意味がないのでは、ということに直結するのだった。
何故なら私は小さい頃からお嫁さんになりたい人だったから。
根本的にひとりで何かをしたい・何かをしましょう、という前提を持ってきてはいなかったから。

両親が元気だった実家に居た頃は、TVは夕飯を食べながら家族みんなで観るものだった。
今日は珍しく一人でTVをつけてみた。
ちびまる子ちゃんにしてみたけれど、やっぱり一人で見てもつまらないと思う。
TVと言うものは、私にとっては誰かと話題を共有するためのツールなのだ。昔も、今でも。

いつか毎日がこんな風にひとりでいることになるのだろうか。

まぁべつにかまへんけどね。

松居さんの話から

2017-07-16 | 友人
また野菜の店に行くOMさんとワイドショーの話になった。

また松居さんの話である。
最近松居さんが語っているのは「なぜ別居生活が始まったか」というお題で何話にも分けた動画が公開されている。

何でも5年ぐらい前に松居さんがいつものように掃除をしている時にある手紙を発見してしまう。その文面には決定的な言葉は書かれていないが、充分に浮気をしたと思われるような女からの手紙であり、それと一緒に恋のおまじないのシール(ちょっと卑猥な絵が書かれているらしい)が同封されていたのだと言う。

「あれは本当に船越さんがクロ(浮気者)に思いますよねぇ」と言うと、OMさんもあれはそうだよねぇという話になった。
ただの友達だったら、あんな手紙は送らないし、あのおまじないシールはないよねぇ、ということなのだ。

OMさんは「船越さんはその前にも片平ナギサとかと噂があったよ」と言うので、「きっとその頃からもチョコチョコ浮気をしていたのではないでしょうかねぇ」と私達は想像した。

「マスコミは否定的ですけどね。」
「だから何が何だか分からないのよ。」
「でも、あれだけ私は正直って言ってるのだからウソじゃないのでしょうし。」

動画でも松居さんは、当時から丹念にメモを取っていて「いつにこういうことがあった」というのをしっかり表にしてましたよ、と言うと、OMさんはそこが不思議なのよ、と言う。

「そんなに前から浮気に気づいていて、なんで今になってこんなに暴露してるんだろうね?それまでだってDVとか恐妻みたいに週刊誌に書かれていても何も言わなかったでしょ?」」

「それまでは夫がそのうち戻ってくると信じて、夫を立てていたのではないでしょうか。それがあのノート(夫が弁護士に自分との離婚を相談してた)を見て、我慢の糸が切れてしまったとか。でもあの時弁護士に即効相談してるけど、今弁護士ついているんでしょうかねぇ?」

「どうなんだろう。」

「松居さんってお金、本当にそんなに持ってるのかなぁ。」

「sakeさんは松居さんが躁うつ病だと思う?」

「感情は高ぶる事はあっても病気には見えませんよ。」

「おばあさんの近所の人も、優しくて落ち着いているって言ってたんだって。」

「あのおばあさんと写ってる写真も全然落ち着いて見えますし。」

でも暴露することで憂さが晴れて精神衛生上も良くなるなら、それもいいのかなぁと。

OMさんは「あのハワイの愛人ではないかと噂されている人」と言うので「エステシャンの人ですか?」と言うと、「そうあの夫婦、離婚するような夫婦だったんだって。」と言う。

「だからね、それが急にご主人が奥さんの弁護をするって言うのは、松居さんのお金目当てじゃないかと思うの。」

「なるほど。」

「でも最近それきりなのよね。弁護するには不利な条件でもあったのかなぁなんて。」

と言って、私とOMさんは会えば松居さんの想像をあれこれするのだった。


私が最近感じているのは、誰とは言わないが私の友人でもちょっとあの方系の友人がいる。
何か自分の気に入らないことを言われると逆上する。(私も1年間口を利かなかったことがある。)

そしてそうやってケンカになると、自分の怒りの感情を抑えきれなくなって、ケンカした相手の悪口を言いふらすのである。本人に悪意はない。自分の感情が抑えきれなくてストレスを減らすがためにやってるのだが、言われた方はたまらない。
だから怒らせたくないので、そういうことは極力言わなくなる。するとだんだんその友人の思い通りに動かざるを得なくなるのである。

でも、その状態でつきあっていると、いずれ「何だか変だぞ」と言う圧迫感を感じることになる。
彼女の望むこと、喜ぶことは分かる。だからいつも喜ぶようにしてやっている。
でも彼女は果たして自分を喜ばせるようなことを考えているのだろうか。

結果的に、何だかよく分からないけれど、いつも自分ばかりが後を追いかけ消耗しているのだ。本当は友達なら会えば楽しいはずなのに、家に帰ると何故かぐったりしているのだ。いつも舞台は彼女が真ん中に立ち、幕があがっている。そんな感じになるのである。(でも人間関係ってみんなそんなものかな?)

彼女は自分が機嫌がいい、または自分にとってうれしいことを言ってくれるとオーバーに喜ぶ。そして自分を否定されることを言われると牙をむく。その落差が激しすぎるのだ。人懐っこいし、親切だから最初はとてもとっつきがいいけれど、距離が近づくにつれ彼女に従わねばならぬ自分が重くて息苦しくなる。(船越さんもそうだったのでは)


と人のことは平気で言うが、自分自身もそういう側面がなかったか。と胸に手を当てれば私だってやりかねない。
誰かに依存するということは、そういうことなのだから。男と女は難しい。

でもそれでもやっぱり浮気はまずいでしょ・・・・女の感覚ならそうなる。