7月も半ばになればいよいよ暑くなる。
このまま雨が降らなければそろそろ梅雨明けかもしれない。
今日は休みだ、明日も休みだ。
きれいさっぱり片付けたい。
暑いのと片付かないのがダブルでうっとうしい。
・・・と確実に思っているのに、また体は今日も動かないのだった。
写真とか、カラオケとか、花火とか、誰かとか、車とか、そういうものが絡まない限り休日に体が動かないのだった。「いいじゃないの、休日なのだから」二言目にはこうなって、私はゴロンと横にだれる。
そして10時が過ぎ、お昼が過ぎた。
そろそろkekeが言ってくるだろう。「何か食べるものないの?」
そしたら、焼きそばを作ろう。
でも2時になってもkekeは閉めた部屋(暑くないのかね)の中にいて、私はトマトの湯むきをしようとして、なぜか熱湯をお玉で自分のエプロンにぶん投げてしまった。アチチチ・・・でも誰も心配するものは居ない。
あまりの暑さに風呂に入り(一番暑い時間帯に風呂に入ることにしたのは夏の生活の知恵です)、赤くなった胸の皮膚を気にしながら半身だけ湯に入れて、出てきてさすがにおなかがすいた。
そうめんをゆでて、ナスを焼き、枝豆をゆで、「そうめんゆでるから、かき揚げ買ってきて」と言うと、「夕飯いらない」と言う声がした。
もう4時半だった。
世間ではこれから夕飯の時間なのだ。
「どこか出掛けるの?」「うん。」
誰も食べないだろう焼きそばを焼いたのは、もう肉がやばかったからである。
甘酢きゅうりも添えて、ひとり居酒屋である。
kekeはやってきて、チラッとそれを見ながら「花火見に行かないの?」と言う。
「今日花火やってたっけ?」
「山下公園。」
「あぁ、昨日みたもの」と言い、大勢人が来てたよ、と言うと「(混んで)見えないの?!」と言うので、花火は見えるよ、私は三脚を持ってたからね、三脚で撮る場所は決まっててそこでしか撮れないんだよ、それで帰りが、駅まで帰るのが行列だったよ。」
でもきれいだよ、花火の前後もイルミの明りのついた船が通ってたりしてね、と言った。
「kekeさん、これから行くの?」と言うと「イヤ」と言うので、「どこ行くの?またOM君たちと焼肉でも食べるの?」というと「そんなとこ」と言う。
「昨日はカップルばかりだったよ。一人で行くの私ぐらいだった。」
(と言うのは大げさで、写真目的の人は一人の人が多かったですが。)
というと、kekeはそうですか(でも自分は付き合いませんよ)というケイベツの余韻を残して出て行った。
拍子抜けた。
kekeが居ないなら、今日もどこかに行く予定でいれば良かった。
こんな夏に、こんな暑いさなかに、どうして一人でそうめんや枝豆や焼きそばを焼いたのだろう。
「こうなったら一人で飲んだくれてやるゾ!!」
腹ン中では十分にそのつもりだったが、いつもの分量しか飲めなかった。気がつけば飲酒歴も単純計算で32年になる。
私は両親ともども酒好きだったので、単純計算で32年間ずっと酒を飲んできたことになる。
お酒は体にいい、精神衛生上いい、だから飲めるだけ飲みなさい。
信じられないが、それがsake家の教えであった。
飲んだくれてやっても、後に残るのはイヤな頭痛だけなのが分かりきっているのだった。
今日は本当にひとりだ。
私はひとりで何でもできると思ってる。
カラオケだって、ボーリングだって、行こうと思えば焼肉屋も旅行もひとりで行ける。
カップルばかりの港の花火大会だって。
やろうと思えば何でもできるけれど、時々それは何の意味もなさないような気がする。
そしてそれは自分が生きている意味がないのでは、ということに直結するのだった。
何故なら私は小さい頃からお嫁さんになりたい人だったから。
根本的にひとりで何かをしたい・何かをしましょう、という前提を持ってきてはいなかったから。
両親が元気だった実家に居た頃は、TVは夕飯を食べながら家族みんなで観るものだった。
今日は珍しく一人でTVをつけてみた。
ちびまる子ちゃんにしてみたけれど、やっぱり一人で見てもつまらないと思う。
TVと言うものは、私にとっては誰かと話題を共有するためのツールなのだ。昔も、今でも。
いつか毎日がこんな風にひとりでいることになるのだろうか。
まぁべつにかまへんけどね。
このまま雨が降らなければそろそろ梅雨明けかもしれない。
今日は休みだ、明日も休みだ。
きれいさっぱり片付けたい。
暑いのと片付かないのがダブルでうっとうしい。
・・・と確実に思っているのに、また体は今日も動かないのだった。
写真とか、カラオケとか、花火とか、誰かとか、車とか、そういうものが絡まない限り休日に体が動かないのだった。「いいじゃないの、休日なのだから」二言目にはこうなって、私はゴロンと横にだれる。
そして10時が過ぎ、お昼が過ぎた。
そろそろkekeが言ってくるだろう。「何か食べるものないの?」
そしたら、焼きそばを作ろう。
でも2時になってもkekeは閉めた部屋(暑くないのかね)の中にいて、私はトマトの湯むきをしようとして、なぜか熱湯をお玉で自分のエプロンにぶん投げてしまった。アチチチ・・・でも誰も心配するものは居ない。
あまりの暑さに風呂に入り(一番暑い時間帯に風呂に入ることにしたのは夏の生活の知恵です)、赤くなった胸の皮膚を気にしながら半身だけ湯に入れて、出てきてさすがにおなかがすいた。
そうめんをゆでて、ナスを焼き、枝豆をゆで、「そうめんゆでるから、かき揚げ買ってきて」と言うと、「夕飯いらない」と言う声がした。
もう4時半だった。
世間ではこれから夕飯の時間なのだ。
「どこか出掛けるの?」「うん。」
誰も食べないだろう焼きそばを焼いたのは、もう肉がやばかったからである。
甘酢きゅうりも添えて、ひとり居酒屋である。
kekeはやってきて、チラッとそれを見ながら「花火見に行かないの?」と言う。
「今日花火やってたっけ?」
「山下公園。」
「あぁ、昨日みたもの」と言い、大勢人が来てたよ、と言うと「(混んで)見えないの?!」と言うので、花火は見えるよ、私は三脚を持ってたからね、三脚で撮る場所は決まっててそこでしか撮れないんだよ、それで帰りが、駅まで帰るのが行列だったよ。」
でもきれいだよ、花火の前後もイルミの明りのついた船が通ってたりしてね、と言った。
「kekeさん、これから行くの?」と言うと「イヤ」と言うので、「どこ行くの?またOM君たちと焼肉でも食べるの?」というと「そんなとこ」と言う。
「昨日はカップルばかりだったよ。一人で行くの私ぐらいだった。」
(と言うのは大げさで、写真目的の人は一人の人が多かったですが。)
というと、kekeはそうですか(でも自分は付き合いませんよ)というケイベツの余韻を残して出て行った。
拍子抜けた。
kekeが居ないなら、今日もどこかに行く予定でいれば良かった。
こんな夏に、こんな暑いさなかに、どうして一人でそうめんや枝豆や焼きそばを焼いたのだろう。
「こうなったら一人で飲んだくれてやるゾ!!」
腹ン中では十分にそのつもりだったが、いつもの分量しか飲めなかった。気がつけば飲酒歴も単純計算で32年になる。
私は両親ともども酒好きだったので、単純計算で32年間ずっと酒を飲んできたことになる。
お酒は体にいい、精神衛生上いい、だから飲めるだけ飲みなさい。
信じられないが、それがsake家の教えであった。
飲んだくれてやっても、後に残るのはイヤな頭痛だけなのが分かりきっているのだった。
今日は本当にひとりだ。
私はひとりで何でもできると思ってる。
カラオケだって、ボーリングだって、行こうと思えば焼肉屋も旅行もひとりで行ける。
カップルばかりの港の花火大会だって。
やろうと思えば何でもできるけれど、時々それは何の意味もなさないような気がする。
そしてそれは自分が生きている意味がないのでは、ということに直結するのだった。
何故なら私は小さい頃からお嫁さんになりたい人だったから。
根本的にひとりで何かをしたい・何かをしましょう、という前提を持ってきてはいなかったから。
両親が元気だった実家に居た頃は、TVは夕飯を食べながら家族みんなで観るものだった。
今日は珍しく一人でTVをつけてみた。
ちびまる子ちゃんにしてみたけれど、やっぱり一人で見てもつまらないと思う。
TVと言うものは、私にとっては誰かと話題を共有するためのツールなのだ。昔も、今でも。
いつか毎日がこんな風にひとりでいることになるのだろうか。
まぁべつにかまへんけどね。