きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父とカラオケ、その後

2008-12-21 | 父の記録と母の思い出
あれから私は実家に向かった。
妹にカラオケボックスまで送ってもらう事にした。

父はいよいよ歩くのもやっとのようで、靴を履くことも、車に乗る事さえ時間が掛かった。妹は父のシートベルトをつけるが、それも取りたがり「シートベルトをしないと私が捕まっちゃうんだよ」と説明していた。

「最近は後ろもシートベルトはつけなきゃいけないんだっけ?」
「ほんとはね、高速でなきゃ大丈夫だけど。」
「相変わらず運転うまいねぇ・・・冬休み一日レンタルしようかな。無理かなぁ?もう半年乗ってないんだよ。」
「平気じゃない?」
「ガソリンも安くなったからねぇ」

父は目がだいぶ悪くなっているようだった。部屋に入ってもテーブルとソファの間が狭いと、そこを通るのにも杖と足で確認しながら、やっと進む事ができるような感じ。
歌詞は全く見えそうにないから、合いの手で読んでみる。そうすればどうにか歌えそうだ。
でも、だいぶ忘れている。
コーヒールンバも2年位前だったら、2番はよく替え歌で歌っていたのに、もう忘れてしまったようだ。そこまで忘れているのに、メロディーはまだ覚えているようだ。

・カラスの女房(歌詞を言わないとダメっぽい)
・コーヒールンバ(1番を歌ってあげたらどうにか歌える)
・夜よ泣かないで(あれだけ歌っていたが、今では歌詞はちょっと忘れている)
・ああ、グッド(歌詞を読んであげればどうにか)
・アンダルシアに憧れて(同上)

やがて父は「上海ブルース」と言った。検索してみて、ディックミネかなぁと思って入れてみた。するとこれは完璧に歌える。(デイケアで歌っているのだろうか)RUNもほとんど完璧に歌えた。メロディーが衰えてないから、条件反射で歌詞が出てくると歌えるのだ。

そんなこんなで歌って、タクシーで帰った。
申し訳ないくらい近い距離だけど、今の父では歩けない。段差が見えないから、杖をつかないと歩けないのだ。

家に帰ると、妹の名前を呼んで「どこに行ったのか」と言う。

「買い物だよ。」
「何を買いに行ったんだ。」
「夕飯のものとかじゃない?」

今日はこの繰り返しだった。今日はkekeのケの字も出てこない。と思ったら、父は訊いてきた。
「sakeは誰と住んでるのだ?」
「kekeだよ。」

父はやっとkekeの存在を思い出したのか、「今何歳だ?」と言い出した。
でも、今日は妹がどこに行ったのか、をかれこれ20回くらいは繰り返していたように思う。

それから父は「する事がなくて暇だ」と繰り返した。
TVももうあまり見えてないのかもしれない。本が読めるわけではない。
たしかに暇だろう。
やがて暇なので父は歩き出した。そしてうろうろ玄関の方に行った。
玄関に行っても玄関がよく分かってないので、「テレビでも見れば?」と声を掛けると、素直に戻ってくる。
これも3回は繰り返した。

目が見えなければ耳に刺激を与えるしかないと思い、CDを探した。矢沢永吉のCDである。
「何の曲が入ってるんだ」と言うので、「イエスマイラブ」とかだよ、と言うと、聴くと言うのでかけてみた。これは永吉が一緒に歌ってくれるので、歌詞忘れもなく一緒に歌えいい娯楽のように思えた。が、次の曲は父が知らないようで、「これは知らないから他を掛けろ」と言うので、最後のラハイナにした。父はアルバムを買っても、自分の歌う歌以外は聴かなかったのかもしれない。

よく小さな子供に好きなアニメビデオを見させておき、その合間に家事をする、と言う子育てのコツがあるが、同様に父の歌を流しておいて、その合間に他の事をするという作戦もありかもしれない。と思って、父のテープ(父は自分のカラオケを録音したテープを何本も持っていたのである)を探して掛けようとするが、ケースと中身が違う事が多くてなかなか探し出せない。

やがて妹が帰ってきた。
妹によると、このCD作戦はちょっと心配が残ると言う。こうして歌でテンションを上げてしまうと、また勝手に外に出て徘徊するのが心配だと言う。玄関の鍵も偶然開けているのを何回か見たのだそうだ。

「そう言えば(妹の名前)がどこに行ったのかって何回も言われたよ」と言うと、妹は驚いて「私の名前を覚えていたの?」と言う。この前、病院だかデイケアだかで、先生がわざと「この方どなたでしたっけ?」と妹を指差しても、父は名前が出てこなかったらしい。

「いやぁ、何度も名前を呼んでたよ。kekeの事は忘れてたみたいだけど。私に誰と住んでるんだっけ?って言ってたから。」

と言うと、隣の部屋から父の鼻歌が聞こえてきた。コーヒールンバの自作替え歌2番である。

何かの拍子で思い出したり忘れたりするのだろう。
歌はなかなか名案だと思うが、年中あの歌を一日中聴かされる家族もたまったもんじゃないか。

父とこうして過すたびに、「人生とは何ぞや」と言う哲学的心境になる。
どんなに出世しても、財産があっても、自慢しいでも、最後にはみなこうなる。

一体それが何なんだ。

父とこれからカラオケ・・・かも

2008-12-21 | 父の記録と母の思い出
最近の父の様子はどうなっているか、もうあまり聞きたくないという気持もありつつ、長女としてこのままで良いものだろうかと言う、心の片隅にある良心の呵責に耐え切れず、妹に電話する。
そして、今度の日曜にちょっと爺さんを見ててもいいよ、と言ってみた。

妹は最初は、午前中に町内会の用事があって午後は姪が髪を切りに行く予定だからパパに見てもらうからいいよ、と言ったのだが、後からもう一度電話が掛かってきて、それだったら家族でちょっとだけ出かけてきてもいい?と言う。

私は「あぁいいよいいよ」と言いつつ、心のどこかで早く帰ってきてほしいと思うので、「何時ごろに帰ってくるのかなぁ」と訊いた。

「お姉ちゃんの用事があるなら合わせるよ?」
「あー別にいいんだよ・・・でも何時ごろかなぁと思って。」

この会話・・・ちょっと変だよな。

私だって、親孝行したい、せねばあかん、するべきだろう、と言う気持もあり、妹に対してもどうにか手伝いたい、と言う気持はあるのだが、月~土は仕事から帰って飯作ってそれでイッパイイッパイの毎日、日曜くらい自由気ままに過したいという思い=欲望があるのであった。
どうすればこの気持を突破できるか?

これを言ってはオシマイだと思う。
思うが、ぶっちゃけてしまえば、親の介護なんて誰かから愛し愛されシアワセに暮らしている人がすればいいのに・・・と思う。
心のどこかに巣食っている僻み根性が、そう吼える。

私だって、あんなに旦那から愛し愛されシアワセに暮らしていたら、親の介護なんて屁でもないさ。。。と心のどこかで思ってるのだ。

でも、世の中ではそれは認められない。
私の離婚は自己責任で、これからも「お1人さま」であるのも自己責任で、年金が人並みにはもらえないのも自己責任で、ケッコウ不幸な出来事が多いけれども、親の介護もシアワセに暮らしている人と平等にせねばあかんのですか。(実際は妹の方が負担を強いられているのだけど)

でも、しょうがないから行って来よう。
しょうがないと言ってしまうのは倫理的道徳的にどうかと思うが、本当にそう思うのだから仕方ない。

せめてどうせなら楽しく行ってこようと思い、妹に「じいさんとカラオケに行くのはどうかねぇ」と言ってみた。

「あまりに最近度が進んでしまっているので、もう歌うのは無理かねぇ。」
「いや、この前のデイからのカードに【とんぼ】の歌詞が書いてあったから、たまに歌ってるんじゃないかしら。」
「歩くのは無理だから、行きだけ送ってくれる?帰りはタクシー呼ぶよ。」
「それはかまわないよ。ただ階段は無理だから1階の部屋でないとダメだよ。」
「それは分かった。あと・・・シモ関係はどうかねぇ。」

妹はう~んと言って、小の方はオムツにしても大丈夫だと思うけど、大の方をされちゃうと大変かもね、でも、昨日してたからローテーション的にはまだ平気そうだけど、と言う。

「トイレは一緒に中まで入らないとできないかねぇ。」
「う~ん・・・どうだろう。」
「今までは入り口で待っていれば大丈夫だったんだけど。・・でも、やってみなきゃ分からないか。ヘルパーさんだと思えば一緒にトイレに入ってみてもおかしくないし。」

そんなこんなでこれから実家に行ってくる。
本当に父がカラオケをしたいと今でも思うのか、カラオケボックスを覚えているのかも分からない。それも含めて私はこれから一つ体験を増やして来ようと思う。

父がカラオケに行く気がなければ、もちろん行く事はない。
今の父にその意志さえあるかどうか分からないのだ。

来年の年賀状

2008-12-19 | 母子家庭だから思うこと
今日は朝、30分前に家を出て工事部長の現場に向かった。
引渡し前に写真を撮るためだ。

この7時半頃、家を出る感覚。
冬の朝。
去年の今頃は、車に乗ってた。
もう遠い。

はりきって出向いたものの、いつもヘタクソ料理の写真しか撮ってないんだから、うまく画面におさまらない。でも、来た以上撮らねば引っ込みもつかず、ぱちぱち撮ってみる。

うちの会社の人たちへの年賀状は、あちこちの現場の写真を組み合わせてプリントアウトしてみようと思う。気持は伝わらないかもしれないけれど、いつもありがとうございます&今年もガンバリましょうと言う私なりのメッセージである。

伝わらないかな。
そう言う私なりの気持は、ものの見事に毎回スルーして終わることが多し。。。


それから、プライベートの年賀状は前回のお約束どおり今年は、最初で最後の私とkekeの写真入りにしようと思う。なんたって「ひとり親家庭」のラストYEARである。思い入れはある。
そして作ってみたのはいいが、よくよく考えると出す相手があまり居ない。もともと年賀状のやり取り自体がろくになかった事を思い出した。

子供の居ない友達に、高校生の息子の写真付き年賀状を送るのも気がひける。
まだ赤ちゃんだったら形になるけどさ。例えば私が逆の立場だったら、「そんなに子供がカワイイかよ、けっ」って感じだろう。

それがいいと言う人はそれで良いのだが、私は子供の写真付きの年賀状というものを尊重していない。特に仕事関係とか、子供を通じての縁でない相手だと「それで?」って気持になるのだ。子供は子供でカワイイのは分かるが、それを他人に知らしめてどうする?共感せよと言うのか?
まぁ、へそ曲がりながらそんな気持である。

いつかそんな事を話したら、K女史に賛同された。
「私もそう思うんですよ、同じようにsakeさんも思っているとは思いませんでした。」と。
私達は黙っているが、子供の写真入り年賀状に疑問を持っている人は、水面下で案外多いのではなかろうか。

そう言うわけで私は今まで子供の写真を年賀状に入れたことはなかった。
それよりも年賀状は、一筆でも手で書きたかった。
それが私のこだわり。(K女史もそう、彼女はイラストも自分で書く)

逆に子供の写真にこだわる人もいるのだろう。
それは人それぞれだ。私はこうだけど、アナタはこう。
それでいいと思う。


それともそんなに人は年賀状にはこだわりはないのかな?
一般的には。。。

ウワサのKYビル

2008-12-18 | 今の会社
これから引渡しの現場が幾つもある。

nanuさんの所もいよいよ竣工だ。
引渡しの書類を手伝う事になった。
写真も撮りたいんですけどいいですか?と訊いたら、あさってならいいよと言う。

工事部長の書類も手伝っている。
私が手伝ったと言っても大した戦力にはならないのだが、そう言う忙しさが輪の中に入っているみたいで、うれしかった。

今日はそんなこんなで、ついでに乳がん検診にも行ったりして、5時を回っても帰れず、5時半になった頃、nanuさんから電話が掛かってきた。

「もう帰る頃?」
「いいえ、まだです。」
「それじゃいいや。」
「あと30分くらいで帰るつもりですよ?」
「現場の鍵が必要になったから、丁度帰るのならついでに寄って貰おうかと思ってたんだ。」
「そうですか。。。」

そして1時間弱書類を作ってそろそろ帰ろうとしている時に、またnanuさんから電話がきた。

「今、帰るとこ?」
「そうですよ。」

nanuさんは鍵を持ってきてくれ、と言うので持って行く事にした。
「ボーリング場の道をまっすぐ行けば分かりますよね?」
「そうそう」

しかし、夜は暗い。
ボーリング場じたい遠回りで、それからまっすぐ行っても、そのような工事中の建物は見当たらなかった。

目の前に宅配のトラックが止まっていたので、そこのお兄さんに住所を尋ねてみた。
それはもっと戻るはずだと言う。

nanuさんに携帯から電話してみた。

「今、ローソンの前だけどどこですか?」
「ローソン?!それはどこの?」
「S屋を通り過ぎてさらにまっすぐ行ったローソンです。」
「S屋を通り過ぎないで、一つ向こうの信号の所だよ。」
「ここから行って一つ向こうですか?」
「そうそう。」

そして、携帯をガチャンと切って、S屋に向かって自転車をこぐ。
さらに一つ向こうの信号までこいで「どこだどこだ?」と見渡すと「sakeさん~こっち」と暗闇で手を振るnanuさんの姿が見えた。

そして、「ありがとう」と一言礼を言うと、職人さんと中に入ってしまった。
今はまだそれどころじゃない。引渡し前のドタバタが続いているのだろう。。。。

だから写真はあさってまで撮れないのだ。
そう言う悠長な事を言ってられないのだ。

「ここがウワサのKYビルかぁ。。。」
あさって、中に入れるのが楽しみだな。(^o^)

予定外に電気を使ってしまったので、明日の朝は電動チャリの電気がほとんど残ってない。
明日の朝は工事部長の現場の写真を撮ることになっているのだ。
上手く撮れるかどうか、イマイチ自信がないけれども。。。

今ではそんな事も楽しいよ。
けっこう、楽しいかも。

更衣室にゴキブリが出る その続き

2008-12-18 | 今の会社
あれから私は更衣室のゴキブリが頭から離れる事はなかった。たびたびドアを開けて電気をパチとつけて、見回したが、あれからゴキの姿は見えなかった。

いよいよ帰る時間である。
更衣室を開けて、コート、セーター、Gパンなど、これから着替える服を一つ一つパタパタ強くはたいていった。恐る恐るポケットの中も探った。ゴキは大丈夫そうである。
サササと着替えて、制服をハンガーに掛ける。
ふぅ・・・一件落着。

しかしやはり私はあの消えたゴキの存在が気になった。
だって、この部屋にはスキマも穴もない。このどこかにあのゴキがいるはずである。
幸い、今事務所に秀クンがいる。彼ならゴキを取ってくれるかもしれない。。。

私はそぉ~っと更衣室に保管してある伝票類の箱をズラしてみた。ギヌロと奥を覗くが、何もない。

ふぅ・・・・。
今度は奥のトイレットペーパーをずらしてみる。
すると案の定、例のゴキがひそんでいた。
「ギャァ~~~~!!」

秀クンは?!と思って見ると、彼はただいま電話中だった。
すると、Aさんが「掃除機で吸い取っちゃえよ」と言う。
「そうですね、ではさっそく・・」と言って、意を決してトイレットペーパーの奥を覗くと、ゴキは仰向けにひっくり返ってビクともしない。
(この間、工事部長は我関せずと言う空気のようになっていた)

「おぉ!弱ってる!!こりゃ洗剤で一発だ」と私は台所洗剤を持ってきて、上からたらす・・・・と、急にゴキが我に帰り、正規の姿にひっくり返ってまたしても天井方面に動き出した。

ギャァ~~~←二度目の叫び

Aさんは「だから掃除機で吸い取れってば」と言うので、ウイィ~ンと掃除機でどうにか吸い取る。

「どうしてうちの会社の男の人達はゴキがダメなんですか?」
「ゴキブリに男も女もないよ。」
「kekeと同じコト言うんですね。」

叫び声を聞いて秀クンがどうした?と来たので、でかいゴキブリを掃除機でやっと吸い取ったという話をした。

「どうして秀クンはゴキブリを取れるの?」
「いつもやらされているうちに慣れたんだよ。」
「なるほど。」


基本的に男も虫はきらいだったのだ。
kekeだけではなかった。

私は過去にうちの会社の男どもが虫と戦ったシーンを思い出した。
工事部長がクモを取ったとき。

Aさんとnanuさんがハエを追いかけたとき。

そう言えば実家でも、ゴキブリを取るのはいつも母で、父が取った事は一度もなかった。
今思えば苦手だったが、それを認めなかったのだろう。

私もこれからは虫に強くなろう。

更衣室にゴキが出る

2008-12-17 | 今の会社
今日は朝早くに家を出た。

今にも雨が降り出しそうだった。
この寒い上に雨が降る。自転車通勤の私には可能な限り避けたい状況だ。

しかし雨は遠慮なく降ってきた。カッパを羽織って正解だった。事務所に着く。あ!鍵はカッパの中で羽織ってるリュックの中だ。手袋はずして、自転車の充電電池を抜いて、弁当箱と一緒に雨が当たらないようにそっと置いて。それからカッパを脱いで鍵を取り出して開ける。あぁ、たったこれだけでこんなに手間がかかるから、雨はキライ。

そして更衣室で着替えようとしたら・・・・天井にゴキブリが居たのである。それもかなりデカイ。そうねぇ、巷で「大きいゴキブリ」と言う表現の似合う定番サイズである。
天井の端なので、どうにも手が出せない。
私はそっと制服を取り出して、全てを持ち去りトイレで着替えることにした。だって、突然飛び出したら怖いもん。。。。

そして、着替え終わった私服をまた更衣室に戻す。ゴキの見守る真下のハンガー掛けにそっと掛けて、扉を閉めた。

そして、私はマグカップなどを洗い終えて、またゴキの姿を見ることにした。見てもしょうがないが、位置をたびたび確認しておかないと怖かったのである。それに地上に下りてきたら、どうにかこの部屋からだけは退去してもらいたかった。

すると、ゴキがもう居ないのである。姿形がない。その下には私のコートやGパンがぶら下がっている。いよいよ恐ろしくなって、コートをそっと手に持って、はたいてみた。でも、ゴキは出てこなかった。
私の更衣室は私が使用する前の2年間で紙置場=すなわちコピー用紙やティッシュのストック室になっていて、ゴキはその間に紛れ込んでしまったのかもしれない。

私はそれからトイレに行くたびに、その更衣室を開けて電気をつけてみた。
するとそれから2時間後、またゴキが天井の端に居たのである。

あの位置ではやっつけようがない・・・・。

しかし工事部長がいるので「部長はゴキブリは大丈夫でしたっけ?」と訊いてみた。すると彼は「ゴキブリ?ダメなんだよ~実は」と言われてしまう。
その時ちょうど社長が銀行担当と話しこんでいたので、(それもまたしても借りなくて済む融資の話だ)こうなったら、銀行マンでもいい・・どうかカミサマと言う気持ちで、ゴキブリの成り行きを見守っていたが、銀行マンが社長室から出てきた頃には、ゴキの姿はまた見えなくなっていた。

さすがに社長にそんなお願いをするわけにもいかず、ただゴキが私のコートのポケットには入っては居ないことを祈る。

何日か前、nanuさんが「昨日の夜中の3時まで見積をしてたけどゴキが3匹出てきたから怖くて帰った」と言っていたのを思い出した。
もう!!その時やっつけてくれれば、今こんな思いをしなくて済んだのに。。。

明日までにはゴキジェットを買っておこうと思う。
怖い怖い。
くわばらくわばら。

ティッシュの再利用

2008-12-17 | 私の倹約術
最近の節約ネタとしては、会社でちょいっと使ったティッシュである。

印鑑を押した後にちょっと上から押して朱肉がにじむのを押さえたり、目薬をさした後にそっとしずくを押さえたりしただけのティッシュである。それだけで捨てるのがもったいないので、そう言うのをデスクの脇に私は溜め込んでいる。

そして、それを家に持ち帰って、油でベトベトのフライパンやお皿をひと拭きすることにした。それはそれで家のきれいなティッシュをわざわざ使うのがもったいないので、合理的なアイデアだと自負している。

ただ問題なのが、これらをデスクの脇に溜め込んだまま、持ち帰るのを忘れてしまう事が結構多い。私の机はかなり汚く見えるようだ。
鼻水をかんだティッシュをそのまま置き忘れているわけではないので、誤解しないでほしいのだが、その違いは言わねば誰も分かるまい。


今日の出来事

2008-12-14 | 今の会社
先週の白髪染めはまあまあ染まったが、おでこやこめかみの生え際辺りが残ってしまった。
思うに、化粧品の油分?がついてて、うまく染まらなかったのかなぁと思い、今日は洗顔をしてすぐに、何もつけないまま生え際だけ染めてみる事にした。
ブラシではなく、指でていねいにのばしてみた。

じっとすること15分。
シャンプーしてみると、おぉ~~よく染まってる!!
これで、充分じゃん!
もっと早く試してみればよかったなぁ~(^o^)丿

しかし、私としたことがうっかり、汚れたビニール手袋をさっと水に流した程度で放置してしまい、洗面台にうす~くシミができてしまった。
洗剤でこすってみたが、もう落ちそうにない。


妹の所に行ってみると、父はさらに進んだようだ。
さっきもちょっと目を離した隙に洗面所にされたと言う。
「トイレに行く前に声をかけてほしい」と言っても、次の瞬間にはもうその事を忘れてしまう。。。。

ケアマネさんも8月に認定したばかりだが、もう一度介護4の認定を申請しましょうか、と言われてたそうだ。

「それは保険料とか(?)多少は優遇があるかもしれないけど、そんな事より私は預けられる所がほしい!!」
今更、介護が幾つになろうが、そんなの意味がないと妹は言う。


・・・・ふぅ。

私は前に実家で飼っていたperuを思い出した。
母が亡くなってから、急に家のあちこちで粗相をするようになって、困り果てた妹が病院に連れて行くと「寿命で排泄物がコントロールできなくなっていた」との話。
母が亡くなって3ヵ月後にperuも死んだ。

父ももしかしたらもう寿命が近づいているのではないか。。。。
気のし過ぎかな。

明日からまた仕事。
今日は外が寒かった。

社長が怒る

2008-12-13 | 今の会社
いやぁ~昨日は社長が怒ったなぁ~・・・・

私は養育費の未払いを催促する時には、あの人をイメージして「ナメんじゃねぇ、この野郎」みたいな居留守電を吹き込むのだけど、やはり本家本元はすごいです。
また私は次回、あれをイメージして養育費をつつがなく振り込んでいただけるよう、努力しようと思いました。


社長が怒ったのは、社長が予約しておいた二次会の席に私達が話に夢中になっていつまで経っても現れなかったからです。
下っ端の私と秀クンは先にタクシーで帰ることになりましたが、終始その事ばかり。

「いくら何でもあんなに怒らなくてもいいよね。」
「・・・そういう問題じゃないんだよ。」
「私の(初めて)作った焼酎わり、濃すぎたかなぁ?」
「どうして?」
「社長・・・飲み過ぎたのかも。」
「オレ、後でAさんにメール入れてみようかな。」
「うん。。。。」

 - 翌日 -

ドキドキしながら社長を待つと、「おはようさん」とやってくる。
「昨日はスミマセンでした」と謝ると、「もういいからよぉ」と言う。

さっそくコーヒーを持って行って「はっ!!お茶のが良かったでしたっけ?!」と言うと、それでいいよいいよ、と言うが、結局刺激が強くて飲めないようで、「水買って来て」と100円渡された。
そして何度もトイレに行かれた。

やがて秀クンが会社に現れて、社長に聞こえないように身振り手振り口パクで私達は会話をする。

(社長どう?)
(たぶん大丈夫そう・・いつもどおりだよ?)
(ほんと~?)
(あれからAさんとnanuさん、どうしたのかなぁ)
(さっきnanuさんにTELしたら、あとでなって)

すると隣の部屋から「秀~、30分になったら行こうな。それまで寝てるからよぉ。飲みすぎちゃったんだよ。」と社長の声が聞こえてきた。。。。

・・・・・ふぅ。
とりあえず、平静な日々に戻りそうだ。

秀クンは「オレ、あんなの見たの初めてだよ」と言ったけれど、たぶん私も初めてだと思う。
社長が手形が不渡りになったりでよその会社に怒鳴り込みに行く事が、ごくごく稀にあるのだが、どやしつけられた人はそのまま出社拒否になってしまうことがままあると言う。

たしかにそう言う事もあるかもしれない。
あれを初めて見たらば。

私は母が居たから、なんだかんだで免疫がついているのかも。

298円のコンビニ焼きそば

2008-12-12 | 今の会社
今日私は昼飯を持っていくのを止めた。
ここの所の体重の増加が止まらないからである。

いけないと思いつつ食欲は増すばかりで、昨日は一昨日のカレーの残りでカレー混ぜご飯と、その上にドリア(ご丁寧にホワイトソースも作って)まで食べてしまった。合わせて茶碗3杯分くらいはあったと思われる。

今日の朝もわが身を戒めようと思ったが、体重計に乗る時間がなかった。なので、昨日のカレーとドリアがどの程度増加を導いたか分からん。

そこで今日は弁当を持っていくのを止めたのだ。しかしこれにはさらに訳がある。今日は飲み会(ボーナス代わりの社長の配慮)があるので、ここでたらふく食おうと思ったのである。本当は5000円でもくれるなら現金でほしかった。。。が、仕方ない。せめて昼食を抜いてただで食べられる時にエネルギーを獲らせてもらおう。

それにお歳暮の菓子もせんべいもあるから、2~3枚も食えば腹は満たされる。


昼になって社長が「sakeくん昼買ってきて」と言うのでホイサッサと買いに行く。昨日はカップラーメンとゴマ鮭おにぎりで300円きっかしだった。今日はやきそばでも買おう。
いつもこう言う時に「せめて幕の内弁当とかはどうだろう」と思うのだが、本人が自分で買いに行く時はカップ麺とおにぎりなので、それの方が気に行ってるのかもしれないし、値段的にコンビニごときで500円も出せないのかもしれない。なので、せめて今日は焼きそばをチンしてもらい、私なりにバリエーションをつけたつもり。

隣のテナントに看板が掛かってる。
社長のお知り合いの方が独立するらしい。
それを聞いて、社長がオーナーに頼んでここの場所を借りれるようにしたのだと思う。

「覚えやすい名前ですね」とこの前言ったら「息子の名前なんだよ」と言う話。
そっか~いいなぁ。
そのうち息子さんがあとを継ぐのかなぁ。

フフフと笑った。

そして♪こなゆきが~♪と鼻歌を歌いながら帰ってくると、その隣の社長さんと若い女性がいた。
そして社長が「こいつがここの事務員なんだ」と私を紹介しているようだ。その若い女の人はお隣の事務員さんらしい。
それで社長は「外で食うからよ、食事は置いておいてくれ」と言う。


えぇ・・・こう言う時に限って、なんで焼きそばを(それもチンしてもらって)買ってきたんだろう。カップにしておけば良かったのに。。。。

おにぎりと合わせて403円きっかし。
社長はお金は出してくれるだろうけど・・・このコンビニでチンしてプラスティックの蓋がひんまがったやきそばはこの後どう言う運命を辿るのか。

<予想>
このまま社長の机に置いたまま、相手にされることもなく廃れていく。
間違いない。
今日飲み会でなかったら、私が家に持って帰るのだが。
冷蔵庫に入れておいても、電子レンジがないから、明日冷たいまま食べるのもちょっと不安である。

食べちゃうか。
そしたら自腹だ。
値段は298円と書いてある。くそ~こんなので300円も自腹か。
残念無念だが、お金より何より、このやきそばがこのまま放置され、どうにもならないまま、ゴミ箱行きになるのが、私には許せない。

世界には食べるのも困っている子供たちがたくさにいるのに。
(と、こういう状況になると思うが、普段はそんな事にはかまってない)


と言うことで、私は食べることにした。
コンビニの焼きそばなんて、かなり久しぶりである。
ついでに味見をして、どのような味が世間一般に好まれているかも覚えておきたい。

おにぎりは一応社長の机の上に置いておこう。
食べなければ、これは夜中の2時まで賞味期限があるから、私が持って帰ってもいいし、冷蔵庫に入れておけば明日でも大丈夫だろう。

社長が戻ってきたら、焼きそばの事情は話せばいい。自腹なら怒られることはないだろうから。

焼きそばは結構甘口だった。
これから我が家の焼きそばもちょっと砂糖を足してみようかな。


なんだかんだ言って、最近太った理由が分かるような気がする。
要するにもったいないのだ。

お歳暮のお菓子も、傷んできそうな地場野菜も。
そして、298円の焼きそばも。
そのまま放っておけないのだ。

ダイエットは明日からだな・・・?