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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ハチの巣

2009-08-22 | 今の会社
nanuさんがこっちこっちと言うので、行ってみる。

「先に言っておくんだけどさぁ・・これ」と指を差す。

「・・・ハチの巣・・?」
「だな?」
「えぇ~~!!◎◎ハチの巣ですか~!」
「だから、網戸をうっかり全開しないように。」
「どうしましょ!どこかに相談しないと。◎◎;」
「ハチの巣ならうちにもあるぜ?」
「大きくなったら大変ですよ。役所に電話してみます。」

もう・・ここったら。
ゴキにクモにアリに・・今度は蜂の巣なんて。。。


役所に電話して事情を説明すると、「それではハチ担当に変わります。」と言うので、ハイと答えた。

さっそくハチ担当さんが出て事情を話すと
「その件に関しては、二つ方法があります。」と言うので、ハイと返事をする。

「一つはこちらから防御服をお貸ししますので、ご自身で撤去してください。」
「え?・・・それではもう一つの方法はナンですか?」
「もう一つは次に紹介する撤去業者に連絡を取ってください。近い場所を紹介しますので、会社さんの住所はどちらですか?」

  ・・・・・・

これがハチ担当って言うほどのものなのか。(謎)


それから私は部長にもハチの巣があると騒ぎ相談するが、「まだ大きくなってからでいいんじゃないの?」と言われて、そのままになっている。
お茶場に行くたびにガラス越しでハチは常に巣作りに励んでいる。
見えるのはほんの下の部分だけなのだが、それでもハチは出たり入ったり、巣作りの続きをしたりで、ブンブン目の前を飛んでいる。
そして、お茶を入れるたびに、はぁ~・・・とため息が出る。


そんなある日、ZENさんが事務所に来た。
ZENさんと言うのは半年前に会社に入ってきた人である。

私はとにかく誰かに何とかしてもらいたいと思い、ZENさんにも「ハチの巣があるんですよ」と言った。
「それどこよ?」と言うので、お茶場に連れて行き、ほら、こことガラスの隅を指差した。

「あぁ、あれ?大丈夫よ、取っちゃうから。」
「え!ほんとですか!!」

ちょっと車ン中見てくると言って、ZENさんは車に戻ると(ちなみにZENさんの車の中には、何でも屋のようにいろんな工具や材料が入っているのである。)、「今日は持ってなかった。ハチ退治のスプレーがあるのよ。」と言う。

そのスプレーと言うのは、マシンガンの形をしていて、薬品を10m先ぐらいまで噴射することができるそうである。
「10mはオーバーかな?でも5mは飛ぶよ」と言う。

そして、翌日ZENさんがそのスプレーを持ってきた。

横にしてかまえると、たしかに水鉄砲のような引き金がついている。
ここを引くと、薬剤が5m先まで飛ぶと言う。

ZENさんは裏に回って、薬剤を撒いた。
私とnanuさんはお茶場からガラス越しにそ~っと覗くと、シュワーと薬剤が飛んできて、ハチの巣をめがけ、数秒後にハチがバタバタ倒れて落下していった。

さらにZENさんはそのまま撒き続けると、ハチはさらに次々どんどん落ちて行った。
総勢20匹以上・・・いやもっと落ちたと思う。
今までガラス越しに巣の下部しか見えていなかったので5匹ぐらいかと思っていたが、とんでもない状態になっていた。

やがてZENさんは戻ってくると、「午後になったら、ツルも切っちゃおう。あれがあるから日よけになってハチが巣を作ったんだろう。」と言う。

そのスプレーには「ハチアブマグナムジェット」と書いてあった。
  -- 製品紹介はこちら --

ホームセンターでは980円で売っていたらしい。
これはなかなか良い。


午後になると、ZENさんにその辺りの草やツルを刈っていただき、ハチの巣は跡形もなく消えた。私は身も心もスッキリした。
夕方、家に帰る前に湯のみを洗っていると、今までのハチの3倍ぐらい大きなハチがその辺りを一匹だけ、ぶんぶん飛んでいた。

これがあの巣の親玉だったのだろうか。(謎)

好きな国

2009-08-21 | 巷の話題
日の丸。

子供の頃は祝日になると、箱から日の丸を出して門の前に掲げていた。
旗竿の上にはたしか金色の丸い玉がついていたように思う。
ピカピカに光っていた。

あれは何歳の頃なのだろう。
妹は覚えているかな。
おばあちゃんが現役で元気だったころだ。


ちなみに祖母は教員だった。
今では「日教組」なんて言葉があるが、当時の教員だった私の祖母は祝日が来るたびに、箱から大切に日の丸を出して、揚げていた。

祖国の日本。
大好きな国。

戦争反対。
もっともな言葉。
間違ってはいない。
 
けれども、手足を縛るためには使って欲しくない。

暴力と言う手段が正しいとは思わない。
でも、この国を、日の丸をどうして愛してはいけないの?
君が代は日本の国家。
大切な歌。

戦争をしなくても、この国を愛することはできるはず。
まずはこの国を、日の丸を尊重したい。

おばあちゃんが愛した国。
おじいちゃんが命を掛けた国。
それがこの日本という国なんだ。

誇りを持とう。

父の面会(志願編)

2009-08-21 | 父の記録と母の思い出
父の面会に行く。
今日は父の事を気に入ってくれるおばあさんとソファーに座っていた。

私が傍によると、「あら、この前も大勢で来てくれたでしょ?」とおばあさんが言う。
お盆中に妹が家族で父の面会に行ったようだ。
「いえいえ、それはたぶん妹家族で、私は姉なんです。」とおばあさんに説明した。

おばあさんは何度も「家族がこんなに来てくれるなんて、あなたみたいな幸せ者は居ない」と父に連呼していた。
父は返す言葉もなくその度に「シワとシワを合わせると幸せ」と言うギャグをかまして、照れている。

そのおばあさんは父の事を「歌の天才」と呼び、突然昔の歌の一部が甦って来た時に、それを覚えておいて、父と会った時に続きを教えてもらうのだと言う。
「(看護士さんに)紙を用意してもらって、父の歌の続きを聴きながら、紙に歌詞をメモするの」と言う。

私は「父は加山ユウゾウもよく歌ってたんですよ。」と言うと、おばあさんは「どんな歌?」と訊くので、父と二人で♪二人を~ゆうやみが~包むぅ~この窓辺に~♪と歌ってみせると、「何となく聴いた事あるような気がするわ」と言う。

あれ?この歌を知らないなんて・・・と思って、お年を尋ねると、「大正生まれ」と言う。

大正生まれ?!
それじゃ、加山ユウゾウは若すぎるかな。
しかし、それ以上古い歌は私が分からない。

戦争の話題をふると、「B29で家が焼けて、防空壕もダメになって居れなくなって、娘の家に疎開した」と言う。
戦争は思い出したくないのかなぁと思い、他の話題と思うが、娘さんは今も健在なのか、お孫さんも居るのかどうか分からず、他に触れるような話題も思い浮かばない。

おばあさんは父の事を「あなたは一番幸せな人」と繰り返す。

「戦争に自分で志願して、生きて帰ってこれるだけで運があったのよ。」
(正しくは戦地に行く前に終戦になったので別に運があった訳ではないが、そうよそうよ、と相槌を打っておく。)

すると父はまた照れて「志願して 戦争に行く バカがいる」と一句みたいに詠む。

「お国のために志願する人がバカだったら誰がリコウなのよ。(笑)」
「当時、志願する人は珍しかったんですか?」と尋ねると、「逃げ回って隠れている人も多かったのですよ。」とおばあさんは言う。

「それをね、自分から志願する。しかも元気で帰ってくる。こんなに運のいい人は居ないですよ。」
「はぁ。」
「それでこんなにいつも大勢来てくれて・・・こんな幸せな人はないです。」
「はぁ。」
「だからね、この人の運を分けてもらおうと、近くにいるんですよ。」

と言うと、また父が「近くに居られる時だけは(オレは)不幸せ」と余計な相槌を打つ。

まぁこの憎まれ口が本来の父の姿で、今日は元気そうで何よりでした。^^;

この日はいつものように、私が帰ろうとするたびに話しかけてくるようなことも無く、「それじゃまたな」と手を振る。

この認知症棟内で、話の合うおばあさんがいて、本当に良かったと思う。
「それでは父の事を宜しくお願いします」とおばあさんに行って別れる。


階下で婦長さんに会って尋ねてみると、こんなに元気そうで会話が成り立つおばあさんでも認知症らしい。調子のいい時と悪い時があるらしい。

父は最近お尻が荒れて皮膚がすれているようなので、軟膏を塗っていますと言う話だった。
ショートステイでよその施設もあちこち見ていた妹が「ここの病院は気配りしてくれていい」と言っていたのを思い出した。

父の面会で通い始めて5ヶ月になろうとしている。
最初は絶対に自分はこんな所では働けない!一日で頭がおかしくなってしまう!と思ったが、気のせいかだんだん目が慣れてきた。

ここに居るじいさんばあさんは、みんな戦争を乗り越え、高度成長期を支えてきたんだな~
と思うと、敬意すら感じるようになった。

「月月火水木金金」そんな時代もあったはずなんだけどなぁ。

最近のニュース

2009-08-20 | 巷の話題
昨日の銀行の話だが、行ってみると担当の若いネエちゃんがまた「すみません、すみません」とひたすら頭を下げて対応してくれた。

「勉強不足でした、すみません」と言うので、「別にいいですよ」と言うしかない。
帰り間際にティッシュだのハンカチだのの詰め物を「つまらないものですけど」と言いながら渡されて、出口まで送ってもらったので、「でも、アナタが悪いわけじゃなくて上司の人の勉強不足でしょ?」と言うと、そうではないと言う。

ハッ!◎◎

私は今まで「窓口の若いネエちゃん」と呼んでいたけれど、彼女達は顧客担当の第一線で働くプロ、と言う意識があるのだろう。若いけど、もう顧客の前に立つ銀行の看板なのである。

私も同じように、会社の顔(?)と言う自覚を持たねばいかんと、反省する。



さて、話は変わって、また悪態である。

山城新伍の訃報を読む。
個人的には好きな芸能人である。
子供の頃アイアイゲームも毎週親と一緒に見ていた。
堂々としていたどっぷり感が、父と似ているような気がして、好きだった。

そんな彼の葬式に、娘が顔を出さないと、身内が「恨み節」という。
  --ニュース記事はここ--

娘が葬式に来ないと嘆いているが、私もkekeも、元夫の葬式にはたぶん行かないと思う。

うちらは元愛人の再婚相手が仕切る葬式である。
しかも元夫は私達を放棄して出て行った張本人である。養育費と言う金だけで子育てを一切放棄しているヤツの葬式にどうして子供を行かせなきゃならないのか。しかもサッサと再婚だけして養育費は何ヶ月も滞納しているヤツに。
これが自分の事だと思うと、ホントに頭に来る。

山城新伍だって、一説によれば浮気で離婚に至ったという。
そう言う人ならば、死ぬ間際まで誰か女がそばに居ても不思議ではないだろう。
マスコミにも騒がれるのが分かっている。やっぱり娘に「行って来い」とはとてもとても言えない。それは敵陣に丸腰で行かせるようなものだ。

山城新伍も「元嫁と娘には訃報を伝えるな」と言い残したと言う。
互いがそう言う間柄なのだ。
身内のボヤキを「恨み節」と報道する神経の方が理解できない。
(葬式にも来ない娘に財産が行くのが面白くないのかなぁとまで勘ぐってしまう。)

大原麗子もそうだが、死ぬ時は1人だのだな、と思う。
家族に囲まれ見守られあの世に行く方が見た目は幾分よろしいが、私は自分もそうだと思うし、1人で死んでいくことを恥かしいことだとは思わない。

それを「淋しい」だの「好き勝手にやったツケ」だのと匂わせるような神経(報道)の方がよっぽど淋しいなぁと思う。「好き勝手にやったツケ」と言うニュアンスは、自分の人生を自由にできなかった人の見苦しい言い訳のようにさえ聞こえてくる。
死んだスターに対して、余計なお節介だなァと思う。


似た感じで「新型インフルエンザ」の報道がある。

GW明けの頃にすごい騒ぎになって、マスクはどこに行っても買えなくなり、マスクをした大勢のサラリーマンの姿が映し出されて、関西では学級閉鎖が起こっていた。
それで「弱毒性だからそこまでしなくても良いのでは?」と言う報道が流れ、インフルエンザの報道がなくなって行き、私達はすっかり忘れて暮らしていたのである。

しかし、実際にはインフルエンザは患者数を増えていて、また秋から警戒するべきだと言う。
・・・とニュースで言われても、私達はうがい・手洗い以外の何をすればいいのかよく分からない。

人ごみにはこれからはできるだけ出ない方がいいのか。
レトルト食品などは備蓄しておいた方がいいのか。
マスクは全員ができるだけすれば良いのかどうか。
そこまでするとまた大袈裟な日本人と言われてしまうのか。
事実は淡々と流してやるが後は個人で勝手に判断してくれ、そんな感じなのだろうか。

どうせなるなら早いうちになってしまって免疫をつけた方が良いのかな?とさえ思う。
子供にタミフルは怖いが。。。。もはや逃れられない、時間の問題だろう。

それでも昨日はマスクを買ってみた。
まだ今ならドラッグストアでたくさん置いてあるようだよ。

できるのはそんなところかなぁ。

休みを取ってわざわざ銀行へ行った話

2009-08-19 | 日記
私は夏休みの一日を利用して銀行に行く事にした。

普段の休みは日曜しかないので、こう言う特別で、おっとっときの時でもないと銀行窓口での手続きは一っつも取れない!と言う事を最初に強く書いておきたいと思う。

何の手続きを取るかと言うと、このたび我が家はひとり親家庭ではなくなり、児童扶養手当も終わり、したがってマル優も解除しなければいけないと思ったのである。
貰える物はキッチリ貰うが、もう権利が無くなったものに関しては正直に手続きをして、これからはわずかな貯金の中からも税金をキッチリ払って行こうと思ったのだ。

窓口に行くと、マル優でなくなるなら預金を一度解約して、定期を作り直してくれ(利率も今の利率に下がるけど)と言われたので、その通り正直に書類を書いた。

すると窓口のプロみたいなオバサンが後ろで何やらいろいろ調べ始めて若い窓口のネエちゃんに耳打ちをし、、「やっぱりマル優を解除するだけで、今の利率のまま預金は継続できます」と言われたので、またその通り書類を書いた。

そして、しばらくすると、若い窓口のネエちゃんが「やっぱり定期は解約して作り直すようです。スミマセン。」と言われたので、やっぱり新しい通帳で作ってもらう。キッチリ通帳の数字を確認して、これはkekeのこれからの学費にあてるのだ、と心して銀行を後にした。

「貯金をした!」と言うだけで、私はお金持ちの気分を味わうことにした。

いつも行かないような平日昼間のデパートに押し入り、目の保養にブランドものの洋服を鏡にあててみた。ちょっと若向きだな・・と思うが、隣では50代の女性も平気でこの店に入っている。

「いいなぁ、きっと旦那さんが稼いでいて、昼間からこんなリッチにブランド物の服を見れるのだ」と流し目で、彼女の服装をチェックした。・・・(が、ブランド物の服を知らない私が見ても何も分かるはずもない。)

へへん、私のカバンの中にある貯金通帳をおろせば、ここの服の1着や2着も買えるんだよん♪と思いながら、私は他の服も手に取って鏡に向って当ててみる。

が、決して買うことはない。

買おうと思えば買えるけど、買わないんだよん♪
kekeの学費にするんだよん♪
それから余裕があったらドライブ練習もしたいんだよん♪
高価な服なんてどうでもいいんだよん♪

と思いながら、店を後にする。
(kekeのお古のビーチサンダルと、かがったジーンズのせいか、店員から声を掛けられることもない。)

ハッハッハッハ!ざまーみろ!・・・・←それでも勝利のおたけび


そして家に帰ると、何故かさきほどの銀行から電話があり、

「どうしてマル優を解約したのか理由を聞かせてほしい」と言うので、「子供が18になってひとり親家庭じゃなくなったからだ。」と答えると、その(証明となる)必要書類を持ってきてくれ、と言う。

私は、はぁあ?と思い、「今日は特別で普段は日曜しか休みがないんです。また来いと言われても簡単に行けるもんじゃないですよ。」と答えると、「これから窓口も閉まってしまうけど、特別に来店できるようにします」と言うので、「来いと平気で言うけど、またそこに行くには交通費だって掛かるんですよ。だいたいこれからマル優にするんじゃなくて、解除して税金をちゃんと払いますって言うんだから、いいじゃないですか、理由は【普通に税金を払いたいから】で。」と言う。

すると、「お子さんはハタチになられたんですよね?」と言うので「ハタチじゃなくて18ですよ。」と言うと、「18で社会人になられて権利がなくなったんですね?」と言うので、「18だけど学生ですが。」と答える。
すると「学生ならまだマル優が使えるのではないか、生年月日を教えろ」みたいな事を言うので、何をコイツら馬鹿なこと言ってるんだ、と思いだんだん頭もヒートアップする。
「子供の個人情報を何に使うんですか。これは私個人の預金でしょう!」

すると、上の人間と相談すると言うので待っていると、「それではこのまま受理しますが、中央本部から必要書類がある旨の通知が来たら、郵送で送ってください」と言うので、ヘイヘイと思って電話を切る。

そして、借りてきたサザンのアルバムでも聴いていると、またしばらくして電話が鳴る。
ナンバーディスプレイはまたさっきの銀行である。

今度はなんだよ、と思って出ると、「お子さんは定期の更新の6月より前に18になられましたか?」と言うので、「そうですよ」と答えると、それなら6月からはマル優の適用がなくなるので、さっき渡した現金の利息のうち税金分を返してくれ、と言う。

「私は今からお金を返しにそちらに行くんですか。」
「先ほどおっしゃられてた交通費の件ですけど・・・」
「明日の6時ぐらいでよければ、自転車でそこを通りますからそれではダメですかね。今日はもう電動チャリの電池があんまりないんです。」

また彼女は上司に相談すると、それで良いということになったようだ。

昨日の見切りパンオヤジを思い出し、自分もひょっとしたら嫌がらせクレーマーかもしれないと胸に手を当ててみる。。。。。。


私が面白くないのは、ここの銀行が昔から、やたら待ち時間が長いのである。
つまり客1人に対する時間が長いのである。
待ち時間が長い割りに、キッチリしてないと言うか、分かってないと言うか。何度も何度もやり直して、帰ってきてからまた呼び戻される。これは上の人間がマル優制度と言うものに対して勉強不足だと言うほかない。

それから、一番面白くないのは、客相手なのに平日の昼間しかやっていないあの銀行ならではの常識。
(しかも振り込みは2時ぐらいで閉まっちまう、振込料もやったら高いし。)
それから、資金に行き詰れば税金から賄われて、社員も平気でいつでもどこでもボーナスをもらって当たり前というあのギョーカイの態度。

こっちは土曜すら休みではなく、ボーナスなんてもらってませんわ。
有休も残業手当もあるのは就業規則の中だけ。
倒産も経験済み、も一度そうなったら職安からやり直し。

この違い。それでいて、仕事がいい加減。
それが私をムクムク怒らせるのである。

何回も電話をしてきた、若いネェちゃんは「すみません、すみません」を連呼する。
アナタに怒っている訳ではないですよ、と私は言った。
(若いネエちゃんに何度も謝らせるけど、根本的に間違っていたのは耳打ちしてる上司の方だろが。)

そもそもお子さんの誕生日じゃなくて、ひとり親家庭の権利がなくなるのは年度末の3月なのだ。
それすら最後の最後まで彼らは分かっていない。

面倒くさいから、こっちも説明しないけど。
天下の銀行にお勤めの方々には、底辺で暮らす母子家庭のことなんざぁ、分かりはしないでしょうから。


孤独なクレーマー

2009-08-17 | 私の倹約術
昨日は帰りが遅くなってしまった。

昼間はあんなにヒマだったのに、夕方になったらバタバタみんなが帰ってきて、秀クンにFAXを頼まれたり社長に図面を焼いてくれ(明日でもいいけど)とか言われて、「明日」は夏休みを取る予定だったので、仕方なく残って仕事をした。

そんなこんなで帰りも遅くなってしまい、スーパーの見切り商品をみつくろってご飯にしようと思って行った。

8時近かったので、惣菜系が半額になっているのでうれしかった。
お好み焼きとチャーハン、サラダと揚げ物をカゴに入れて、サーモンも半額だったので喜んでカゴに入れた。

すると、どこかで見たオジサンが店長に大声で文句をたれていた。

どこかで見たオヤジだと思ったら、4年前にここで見切りパン荒らしをしていた中年男性である。あれからも幾たびかこのスーパーで見かけているので、たぶんここの常連客だろう。

「この夏の暑い日にお宅はどうなってるんだ」みたいな言い方をしていた。それにしてもあんなに周りが振り返るほど大声で言わなくても、もう少し丁寧に静かに言えないものか。自分だって、見切りパンを指で押しながら買い物をしていたくせに。。。。

この男は周りの常連に気づかずに、ただ店長相手に文句を言っているつもりだろうが、こうして見ている者は見ているのである。「あーあ、パンを指で凹ませながら買っていたオヤジが今度はクレーマーになってるよ」とブログに書かれてしまうのである。

あのパンの買い方と言い、このクレームのつけ方と言い、奥さんは居ないであろう。
単身者の男の買い物と言う気がする。
(私も単身者の女の買い物を毎日しているのだが。)

他人に文句を言うクレーマーと言うのは、大抵、心に淋しい穴が開いているものだと思う。
他に考える事がないから、その事ばかりを考え、揚げ足を取り、上から目線を楽しんで(本人は真剣に怒っているつもりなのだろうが)いるのである。

そして、私が世間全てに文句を言いながら、戦いながら、kekeを養ってきた日々を思い出した。あれも社会に対して、会社に対して、男に対して、口には出せない隠れクレーマーだったかもしれない。

この前車で聞いてたラジオを思い出した。
母親ライオンは子供に狩りを教えて、ある日子供にテストを試みる。
そのテストに合格する(一人前の獲物が捕まえられる)時、母は子供と別れるのだと言う。

獣だったら、もうその時期になっている。
しかし人間社会では親が理由もなく子供から去ることもどうかと思われ、子供も1人立ちするにはいかんせん金が掛かるのである。
金さえあれば、とっくにkekeはここを離れて間違いなく一人で暮らしている。

そして私は昔ほど家にも子にも執着しておらず、来週はどこに旅するかを考えているのである。
もう遺伝子は去っていく母親ライオンのごとく、自分だけの場所にまっしぐらに突き進んでいる。
それをジャマするものは何もない。



カゴに幾つも入った半額商品を買って、家に帰った。
kekeに遅かったから半額がたくさんあったよ、と言って、ドカドカ並べた。

「買いすぎなんじゃ・・・」
その通りで食べきれなかった。
家にはご飯もあったし、チャーハンとサーモンは余計だった。

サラダは翌日、会社の冷蔵庫に入れて昼食に食べた。
半額だからと倍の分量買えば結局同じなのだと、この時気がついた。


私は見切りパンを指でたしかめながら、ドカドカ買い物かごに入れていたオヤジを思い出した。
てっきり大家族とか、その日に限って孫が遊びに来てるとか、想像していたけれど、あのオヤジは見切りパンを冷凍庫にまとめて入れて、毎日1個ずつ温めながら食べているのかもしれない。

彼ならそこまでするかもな、と私は思う。
私は1人になったら、そこまでするだろう。

そして金を浮かせて、自分の楽しみに没頭したい。
それが何なのかはまだ見つかっていない。

車は一つの候補である。
それからゲームなんてのも良いと思う。
カラオケも捨てたわけではない。
服をそろえるのも精神的にも良いように思う。

空を見る!
海を見る!
写真も一歩入り込めれば良いと思う。

1人ぼっちのクレーマーから逃れるためには、何かを探していくことだ。
探しているだけでもいい。
何かに向っていきたい。

今週の車窓から。

2009-08-16 | 車の練習
今日はどこでしょう?

ジャン!!

城南島海浜公園です。

キャンプもできる公園です。


目の前には羽田空港。


次々に飛行機が飛び立っていきます。


こんなに近くに頭の上を飛んでいきます。

音が大きいかと思いましたが、それほどでもありません。
ピカチューの飛行機も飛んでいってたよ。

シャッターチャンスを待てば、空港から飛ぶ間際も撮れます。
カメラを構えている男の子も何人もいました。


場所を替えると、遠くに東京タワー、レインボーブリッジ、船の科学館も見えます。

船も走っているし、景色には飽きません。
公園に入るだけならタダです。


夜景は意外に灯りが遠くて、カップルにはイマイチらしい。
(と、どこかのHPで読んだ。確かめたわけではないけど。。)

駐車場は1時間で200円でした。
ドッグランやスケボーもできるらしい。
公園のHPはこちらから

方向オンチには来方はちょっと難しく、平和島と環七、第一京浜辺りを3回ぐらいグルグル回って、やっとたどりつきました。
近く(城南島内)まで来ると、看板が出ていて前の車を追いかけてどうにか駐車場に入れた感じです。
またいつか挑戦したいです。


※今日のお台場はやたら混んでいた。それも男の子ばかり!7時ごろだけど、駐車場もあちこち並んでた。何だったんだろう?と思ったらコミケというものらしい。何だかよく分からないけど、とにかく朝からすごい人でした。

ジーンズをかがる

2009-08-15 | 私の倹約術
ジーパンがだいぶ擦り切れてきた。

今回は尻。
自転車のサドルで摺れるらしい。

前は肩掛けカバンで左の太もも辺りが摺れて、ついに破けてしまって捨てた。
まだジーンズは2本あった。
今回はその2本とも、尻が摺れてきた。

仕方ないから、かがってみる。
(目立たないようなベージュ系の糸を200円で買ってきた)

↑裏。かがり方がよく分からないから適当。

表から見ると、こんな感じ。↓


何年か前から、破れたようなジーンズを履いている若者もいるからいいか、と思ったが、ちょっと悲壮感がある。


さて、1週間ぶりの運転である。
今に限ったことではないが、1週間すぎると怖くなっている。
もう止めてしまおうか、と何度も思っていることも書いておこう。

土曜でお盆

2009-08-15 | 今の会社
今日は土曜だ。

そしてお盆休みだ。

うちの会社は夏休みはお盆に限らす自由に取れることになっている。
社長はもうとっくに夏休みを終えた。

社長が居ない間、空気が和らいでいた。
部長は「(社長がいないから)半分休みみたいなもんだ」と言った。

「それで今度は皆さんがお休みですね。」
「そう、また休みだ。」

そして他の社員は今、休みを取っている。
(職人さんは今がお盆休みだから、当然とも言える。)

私は社長が一人では淋しいだろうと思って、休みをズラすことにした。
今週も最初の二日ぐらいはそれでも電話が鳴ったりしていた。
社長も出たり入ったりしていた。

「お盆だけど仕事が取れたぜ。」と私に言ってみせた。

一昨日あたりから、いよいよ電話も鳴らなくなった。
社長はボンヤリしているのも我慢できないらしく、来週部長が作るはずの見積を先に金額をはじいたりしていた。

そして、土曜の今日。

電話の一つもなく静まり返っている。
私はトイレで用を足すとその音が聞こえてしまうのではないかと思い、思わず先に水を流すぐらい静かである。

宅配も猫一匹と来ない。

これが私でなかったら、社長は世間話でもしながら、間を持たせるのだろうが。。。
(昔から私と社長は仕事以外の世間話をすると言う間柄ではないのだ。)

事務所の中はシ~ンとしてて、私はグーグルマップで明日のコースを調べてみた。
社長が後ろを通る時だけ、そっと違うエクセル画面を出しながら。。。。

我慢できない静けさ。
これはあと何時間続くのだろう。。。。

と思ったら、社長は鞄を持って出かけた。
「もう・・オレ帰るわ。sake君も適当に。。。もう電話も来ねぇだろう。。。」




この展開は、去年経験して分かっていたのだが。。。。
そして、次は絶対お盆に休むと心に決めたのだが。。。


そして、私はこのあとに、ほんとの夏休みが控えている。
・・・はずなのだが。。。

それはそれで(周りは動いているから)仕事がどうなっているのか気になったりする。


来年こそはお盆に休もうと心に誓う。

夏ごはん

2009-08-14 | 息子keke
今日の夕飯も冷蔵庫をあさって、簡単にカレー、チャンブルー、焼きそばを作って、kekeと適当につついて食べる。

夏休みに料理ぐらいしてみたら?麻婆豆腐なんてどうだろう?今度作ってみる?と訊いてみると、「うん」と言った。

「麻婆豆腐ができるとすごい心強いよね。」
「うん。」

材料も手ごろだし、辛いから、ちょっとでたくさんご飯が食べられる。

「そうだなぁ、あとは焼きそばとか。」
「前に作ったことなかったっけ?」
「もう一度、今度は自分だけでもう一回やってみなよ。それからラーメン。」
「ラーメンはできる。」
「あと肉焼いたりとか。」
「それもできる。」

  ・・・・・・

「できなきゃ、1人暮らしもできないもんなぁ。」

kekeは口に出さなくても「うん」みたいな感じだった。


いつか見たNHKのラッコの親子の別れを思い出した。


さぁ、私はまた週末は車を借りよう!

料理は少々手抜きで、掃除もサボッて困ったもんだ。
これから家に居ながら、少しづつ料理もできるように材料ぐらいは用意しておくかな。


私は最初に家を出た頃は、毎日レトルトカレーだったけど!
それじゃ、体にイマイチだから。