きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

神様からのごほうび

2013-04-10 | 母子家庭だから思うこと
ZENさんの靴が新しくなった。

脱ぎ捨てた靴をそろえると、とても軽い靴だったので、ZENさんに「新しい靴軽いですね!いい靴ですね」と言うと、「1,400円だよ」とZENさんは言う。

「1,400円にはとても見えませんね。」と諦めずに言うと「しまむらだよ、フフ」と言って出て行った。

こんな一言でも職場が少し楽しくなれるといいなって勝手に自己満足。^^
(スルーされてるような気がするけど。)


そんな私に神様からのごほうび。

昨日の夜、見切りスーパーに行くと、寿司も弁当も珍しく半額ラベルの山である。
私は半額ラベルのついた食品は何でも買っていい◎と言うマイルールを作っているので、ポンポンとカゴに入れて行った。
幕の内弁当も鉄火巻きも牛肉もイクラもサーモンも入れて、半額のはずなのに2,000円になってしまった。もっとも安くない柚コショウやナンプラーやドリンクも買ったにしてもこれは買い過ぎだとレジを通す前に気づいたのだが、半額の弁当を30%値札の弁当の合間に押しのけて戻す勇気がなかった。
(そっちを恥ずかしがる私も変だけど。)

私は鼻歌まじりに家に帰った。
食べるものが、それもてっとり早くこんなにたくさん収穫できたのがうれしかった。


もちろん罪悪感も多少ある。
今日もまたしても、夕飯を買って済ませてしまった。
1人ものなら許されるが、一応子供がいる身である。
こんなのでいいのか、私。

しかし、私はそれを許す。
7時半に家に帰って、それから食事の支度をすることは結構難易なことだと、自分で認めることにした。
ほんとにおできになられるお主婦様は、週末に煮物や何やらを作り置きして、ササッと用意できるのであろうが。

そして、あれこれ紆余曲折した後、「自分はダメな女でいい」と思うことにした。
自分の中ではそれを内心(人にはアピールしないけど)許すことにしたのだ。

かと言って「やらなくていい」とかそういう意味ではないんだけど。
やれない時(やりたくない時も含む)はやれなくてもいいんだよ、って思うことにした。

そして、大きく伸びをすることにしたのでした。^^


生きて行けば悲しいことも辛いこともあるけど、それを不幸だと思わないで、人を恨んだりもしないで、サラッと「こんな私、でもガンバレよ」って思えたらどうだろう。
そんな自分を好きでいたらどうだろう。

誰とも比べず、誰から認めてもらえなくても、これでもいいんだって思えたら。

そんな辺りから楽しくなるような気がした。
今日も明日も。

うわきものなんて

2013-04-09 | 女だから思ったこと
中原めいこって前にブログに書いたような気がして検索してみたら、こんなのが出てきた。
これを書いてから10年も経ってないとは。
改めて読んでSundayさんとヒロミさんのおっしゃる通りだと思い、自分の書いた事が恥ずかしいやら愕然とするやら、穴があったら入りたい気持だけど、自戒の意味も含めもうしばらくさらしておこう。

昔はね、不倫なんてするヤツの気がしれなかったんだっけね。

私はいっぱい失敗をしてきた。
結婚も失敗して、子育ても失敗した。
一生懸命やってきたつもりだったけど、たくさん失敗をしてきた。
でも、その中から見つかったこともいっぱいあるんだ。
最初から何も起きなかったら、何も気がつかないまま死んでいっただろう。

本当にみっともないことを書いて、この頃の自分を可哀想に思う。
でも、この頃の1人で頑張ってた自分がいたから、今の自分がいるんだ。

私は今好きな人がいる。
「不倫」と言う土台にすらあがってなくて、ただの友達のような気がするけど、それもいいかもしれない。
今はどっちでもいいような気がする。
「手伝いたい」って思うから手伝うし、「一緒にいたいな」って思うから一緒にいる。

それがなくなったら離れてしまうだろう。
お互いにもっといい人が現れたら、離れてしまうんだろう。
でも「だから今を大切にしよう」って思うんだ。
1日でも長く、そう言う日が続いたらいいと思って。

この先どんな裏切られ方をしても、その時はとても悲しいけれど
自分なりに頑張った結果がそうなら、もうしょうがないから。
自分が何かを直すことで解決できるならそうするけど
そう言う時はたぶん、もうしょうがないだろうね。

「しょうがないね」って言えるのは、ずっと1人で頑張ってきたあの頃があるから。
浮気ものなんてきらい!と言ってずっと1人で頑張ってきたあの頃の自分。
ただ、あそこに戻るだけ。
でも、今度は誰のせいにも、恨みにもしないよ。
精一杯やってきたなら、それでいいじゃんって。

「私がすごく傷つくからそんな事しないでください」なんて、もう思わない。

なりふりかまわず1人で子育てしていた当時の私を褒めてくれた人はたくさんいるけど、今はそれが「正しい」ことだとは思ってない。恋愛しながら、子供を育てていくのも良いことだなぁと思ってる。(当時はそれがいけないことだと思ってました。)

要はいろんな人がいて、いろんな方法があるということだ。
どちらがどちらより良いとか、正しいとか、誰がそう言う事を言う権利があるのだろうって思ってしまう。

そんな当時の自分に(苦笑)。
(10年後の私もまたここを見て苦笑するのだろうか。)

夏と言ったら中原めいこです

2013-04-08 | 歌謡曲・カラオケ
まだ風は時々強いけど、陽気がとてもいい。
絵のようにくっきりしてる雲が泳いでる。

街はコートをはおってる人もいるし、半袖シャツを着ている人もいる。
でもあまりに気温がうれしくて、どの人も快適そうで、みんなちがって、みんないいじゃん。

今度借りようかな、金子みすず。


そして私が聴いているのは、中原めいこ。

前もレンタルで借りたけど、ソニーの音楽プログラム(名前忘れた)をX-アプリにバージョンアップしようとした時にそれまでのが全部消えてしまった。
だから、キライだよ、デジタルは。

BoAの昔のや、倖田來未とか、みんなふっとんじゃって、車で聴いてるCDも今では焼けないのもあるから、3年以上前にレンタルしたのはみんなふっとんだ。

でもあまり後腐れなくて、またおいおい借りるからいいよ、ってノリです。
最初から信頼しません、デジタルは。

で、中原めいこ。

何回聴いてもはまる。
中原めいこって、当時「B級歌謡曲」みたいな言われ方をしてて、何て言うか、自分で作詞作曲なんでアーティストに分類されながらも、調子ばっかりよくって詞もひねりがないって言うか、がさつみたいな印象で「B級」と評す評論家さんみたいなのがいて、私も「そうかもな」と思っていたが、25年以上経った今、改めて聴いて「やっぱいいわ」と思う。

片思いっぽいのは聴いているだけで切ないし、でもノリがいいって言うかパワフルだったり、そのバランス加減に私は吸い寄せられてしまう。
濃い。
サウンドも夏してて、女版チューブと言ったら失礼だろうか。

ヒットした曲もいいけど、「FRIDAY MAGIC」「ジゴロ」ここらの曲が好き。
「ロートスの果実」も好きだけど、レンタルでは手に入りそうに無いのでyoutubeで聴くしかないようだ。

ちなみに「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。」は30年近く経った今でも私のオハコの1曲。
DAMは原曲より♭2なので歌いやすい、カラオケでお勧め。

歌は、あの頃私は

2013-04-07 | 歌謡曲・カラオケ
私は最近図書館で、昔聴いてたアルバムを借りまくっている。

「明菜のアルバムはあと2枚なんだ、でもこの2枚は調べてみたけど、残念だけどダメみたい。」

そう言うとkekeはププッと笑う。
「オークションで落とせばいいのに。」

「まあね、でも初期の頃のだからそれなりに値段もすると思うし、もう歌はみんな知ってるんだよ。」

だからね、そんなにお金を掛けてまでってところなんだ、と私は言う。
どうしてもってほどでもないんだよね、みたいな。


この前飲んだ時、kekeが言った。
ナカモリアキナの歌聴いた、と言う。

「何の歌を聴いたの?」
「有名なのだと思う。」
「例えば?」

んーとkekeは言ってアモーレとか何とかと言うので、「ミ・アモーレか」と私は言う。
「あの人、ビブラートがすごい」とkekeは言う。

私はそうなんだよねーと言って、明菜好きなんだと言って、でもkekeが生まれてからはあまり聴いてなかった、と言う話もした。
その頃明菜ちゃんが自殺未遂をしてしばらくお休みしてて、久しぶりにTVに出た時に、何か可哀想で見てられなかったんだよね、それからも時々歌は聴いてたけど、1人で子育てしながら聴くって感じじゃなかったんだよ、今の自分が頑張れなくなっちゃうって言うか、何かそんな感じでずっと。

「だけど、子育てが終って、私はまた聴くことにしたのです!」と、CDを借りまくってる理由を説明。

そして、昔聴いていたアルバムはとても懐かしく、切なく、夏が、地下鉄が、守られていた自分が、よみがえるのだった。
たしかにそこに自分はいたのだった。

少し大人に

2013-04-06 | 息子keke
接骨院から帰ると8時で、汚れた皿はまだ片付いてなくて、kekeに「皿洗いと買い物を分担しようよ」と言うと、また怒り出す。
でも、もうお米もあまりなくて、本当は今日kekeが買いに行くはずでお金も渡しておいたのに・・・。

明日は暴風雨だって言うから、何としても米は今日買っておきたい。

私はグッとこらえて、皿を洗いながら「それじゃ何分後だったら買い物に行けるのか?」と尋ねると、「あと30分後」と言う。
9時じゃないか。。。と思ったが、行って惣菜が無ければまた考えることにして皿を洗い続けた。冷蔵庫に残ってる肉や野菜で少しだけ焼きそばを炒めていると、kekeがやってきた。

不平たらたらだけど、米がないし約束したので買い物には行くつもりらしい。
皿も洗い終えたから私も一緒に行こうと言うと「えぇー」って感じだけど、「お米を持ってほしいんだ。水や牛乳も買いたいし。」と言うと、しょうがないなと納得して出かける。

それでも行きがけはプンプン怒ってて、スーパーでも苺がほしいなぁとあれこれ見ているとまた怒り出して「買わなきゃならないものを買って帰ればいいだろ!」ってノリだったけど、昨日の語らいを思い出して、この怒ってる姿が全てではないんだ、と思う。
おい、私も少し大人になったんではないかい?
kekeは安くなったアジのタタキや、鶏のネギ塩炒めをポイポイとカゴに入れて「最後はあれだ」と米売り場に向った。

買い物袋を提げて歩いてkekeに「重い方ばかりで悪いね」と言うと、「仕事ではもっと重い物を持ってるから」と言う。そして肩を並べて家に戻った。

私はせめて1品ぐらいはと、レタスを洗って玉ねぎをスライスして、バンバンジーサラダを作ってkekeに「できたよー」と言って一緒にご飯を食べた。
最初は野菜ジュースを持ってきたkekeだが、「やっぱりビール。ストレスたまる」と言って一緒に飲む。

「バンバンジーサラダのレタスを多めにしてしまったから、レタスもっと食べてね」と言うとまた怒り出し、「自分の夕食はアジのタタキと鶏のネギ塩で完結してるから、これ(レタス)を食べることは考えてない」と言う。

昨日「自分は絶対離婚しない」と言ったkekeだが、この態度で結婚生活が丸くおさまると思っているのだろうか。
いつか気がつく日が来るにちがいない。。。。


そうやって私も少しづつ大人になってきたのだから。

kekeと水割り

2013-04-05 | 息子keke
今日は数日振りに天気もよくなった。
週の終わりに来ると、何となくホッとする。
ちょっと散らかってしまった部屋を見て、週末片付けようなんて想像したりして、できなかったりして。

接骨院は混んでいて早々に諦め、見切りスーパーに行くと、ここでも普段より人出が多い。

適当に選んで今日は帰ってきた。
ご飯もあまり残ってなかったし。


kekeにごはんだよーと言いながらコタツに惣菜を並べながら、今日はこんな感じなんて言って、見慣れない包みがあるので、「これなんだっけ(・・?」と言うと、kekeがそこから取り出したもの。


ジャン!

「えーーーーーーっ!ウィスキー(@_@)?!」

え?なんでなんでなんで???いったいなんで?今日母の日だっけ?と言うと、「ここ数日眠れないから飲んでみたかった」と言う。

「これ、高かったんじゃないの?」「そうでもない、1700円」とkekeは言い、一緒に炭酸水も買ってある。

えーなんかもったいないねぇ、いいのかなぁいいのかなぁと言うと、「どうぞ」と言う。

kekeは作り方が分からないと言うので、「えーと」と私は言い、この指一本の深さに入れるのがシングルで、二本がダブルです、と言って氷を入れたグラスを渡すと、まずkekeが自分のにトクトクトクと入れ(あー、この音が何ともたまらん!)、どう見ても3本分ぐらい入ってるだろー。
まぁいいか、コップも小さいし。

kekeはロックでもいいよと言うけど、「ロックでは飲んだことがないよ、どっち入れる?」と言うと、kekeは炭酸水を買ってきたのにもったいないのか、今日は水で薄めると言う。
そして二人で飲みながら、何で眠れなかったのかなぁ?と言うと、「自分の将来が心配だから」と言う。

今のバイトでは正社員になれないの?と尋ねると、「たぶんならないと思う。4年ずっとバイトの人もいるから。」と言う。「一番削りたいのが人件費だから」とも言う。
それから昔の事も話した。

kekeはお父さん(元夫でなくても良かったようだ)が居てほしかったこと。
同じクラスに母子家庭が誰もいなくて(それは偶然でもあったのだが)、母親と二人で外食するのがとても肩身が狭かったこと。
自分が女々しい性格なのは男親が居ないからではないのか、と思っていること。
「最低限に頑張っていたのは分かるけど、そこはどうにかしてほしかった。せめて離婚するのは中学とか小学校高学年とか、あの(多感な)時期だけは避けてほしかった。」とkekeは言う。

あぁと私は言い、「この年になった今だったら他に方法があったかもしれない。例えば心が通わなくても一緒に暮らしていくこととか。でもやっぱり若かったんだ。32とか33だったのだもの。パパも私も若かったから仕方なかったんだよ。」と私は言った。

kekeは(相手もいないし結婚するなんて考えられないけど)、自分は絶対にそんな事はしないと言う。

それからいろいろ話をした。
いつ死ぬか分からない自分を養うために掛かった費用は無駄だと思わないのか?と言うから「親はそんな風には決して思わないものだよ。(なっていないと分からないと思うけど)」と言う話や、死のうと思うぐらいなら、いっそのこと有り金全部もって物価の安い国で暮らしたらどうだろう、二人で、とか。そんな非現実的な話もした。

それからおじいちゃん、おばあちゃんがどんなにkekeが好きだったか。

「私がまだ事故を起こしてないのはおばあちゃんが見守ってるからだと思う。」と言うと、kekeも「それはあると思う。」と言うので、「おばあちゃんは絶対見守ってくれてるからね。」と私は言う。

大したことは言えなかったけど、話は2時間近くに及んだ。
そして、もう寝ることにした。

桜散る

2013-04-04 | 日記
桜は昨日までの雨で少しづつ散ってきた。
でもまだ重そう。

今年の卒業生は、入学式も桜の写真が撮れるかも。
ちょっと葉桜っぽくてもなかなか良いかもしれない。

学生が通り過ぎるたびにパワーに圧倒される。

夏の面談。
kekeと二人で歩いていて大きなユリが咲いてて、あれ?写真撮らなかったっけ。
撮ったのか、来年こそ撮ろうと思って通り過ぎたのか、どちらだか忘れたけど。
あんな頃も懐かしい。

そう言えば、元旦那が鏡の前でネクタイを締めていたある朝のこと。
そんなことを思い出した。
不思議なのは、それを何の苦も無く普通に人生のひとコマとして思いだしていること。
その隣で自分やkekeが笑っていたんだろうな、って思えること。


こうして懐かしがってばかりいると、人生オシマイ前の走馬灯みたいだね。
こんなに天気も陽気もいいのに。

桜が散るたびに自分の在りかの薄さ軽さが押し寄せる。
「そんなことはない」っていう足元がなく、ふわふわ浮いて落ちている。


どれだけの人が人に委ねられているのだろう。
どれだけの人が「そんなことはない」って確証を。

同情でも、面倒くさいようなのでもなく、たしかなものを。


桜、また散ってる。

これからも、この先も

2013-04-03 | 今の会社
昨日は5時前に社長を繁華街に送って行った。

大きな通りは自信を持って運転できるんだけど、センターラインが無いような道は相変わらず苦手で、ましてや人通りがあると、もはや歩いている方が早いのでは?!と思うほどのノロマ運転だ。それはいつまで経っても変わらない。

「もっと細い道を練習しなきゃね」と(Aさんに)言われたこともあるけど、私将来、運転で稼ぐことなんてあるのだろうか。でも練習は必要なのかな、それでも苦手なんだよね。
少しでも早く行きたくて、黄色信号を無理に通り過ぎようとしたら、右折待ちのパトカーにクラクションを鳴らされて「お前、度強あるな」と社長に笑われた。

会社に戻ると、秀クンが1人戻って来て社長は?と言うから「飲みに行ったみたい」と言うと、「sakeさんも帰ったのかと思った」と言う。「高速でnanuさんとAさんの車に偶然会ったけど、もう帰っちゃったのかな。」と言うので、「それは絶対無いと思いますよ。」と言うと、「じゃ社長に呼ばれたのかな?」と言うので、「それも違うと思いますよ。」と私は言う。

相変わらず秀クンはお金が無いと言う話をして「うちは食費も3万だ」と言うので「うちも二人でそれぐらいですよ、でも赤ちゃんはいないけど」と言うと、ミルク代も高いんだ、1缶で2000円が3時間おきに作ってすぐになくなっちゃうんだよ、と言うので、「でも今は子供手当があるでしょう」と言うと、「それは学資保険に払ってる。この先々もっとお金掛かるでしょ」と言う。

私もたしかに、kekeが小さい頃はこの先どうなるかとっても不安だったっけ。
そして、たまに両親が遊びに来てくれて、普段ちょっと買わないような肉や食材を一緒に買って、けんちん汁を作ったりして、帰って行った。

「私は今になると、あの頃が一番楽しかったです。親も元気で、子供も可愛かったですよ。。」とつぶやいた。
秀クンは「あぁ」とそれから何も言わなくなった。


たぶん、今この時も、あと10年したら「あの頃は楽しかった」と言うのだろう。
きっとそうにちがいない。

kekeが一緒にいてくれて、仕事も忙しくて、それから、・・・楽しかったと言うのだろう。


Aさんの検査も無事に終わり、「よかったですね」と言った。

病気が再発する可能性は3年以内が一番高いんだ、と言う。
だから先生も喜んでいた、でも医者だからね、最後に「絶対ではないですが」って言うんだよと笑って、何回やっても病院の検査はドキドキするとも言った。

それからあの時はもうよく分からなかった、あんな(大事な)ことなのに他人事のようで自分のことじゃなかったみたいだ、人間ってきっと辛いことは脳が回避するようにできているんじゃないかな、って言った。
こんなことも笑って話せるようになってよかったと思う。


私もその時になってみないと分からないけど、「他人事のようだ」と言う感覚だけは分かるような気がした。
たぶん、私もそんな感じではないかと思う。
あまりに未知で未知過ぎて、きっと分からないだろう。
むしろその時誰もいないんじゃないかなってことの方が怖いぐらいだ。
(でもきっと平気だと思う、いざとなったらば)

まだkekeを養って行かなきゃならないから生きているけど、それが無くなったら何を考えるんだろう。

今思い出すのは、楽しかったこと。
たぶん、これからも、この先も。

「別れる」原因

2013-04-02 | 女だから思ったこと
私は最近「別れること」について考える。
G子からもう電話がくることがないだろうなと思っているからだ。

ケンカをしたわけではないけれど、ブログを読み返すとG子はだんだん変わっていったと思うし、G子からみたら私もきっと変わってしまったんだろう。
ここでお互いが「やっぱりこれじゃいけないよね」と思って、お互いに気をつけようね、と言えるようであれば良いけれど、今のG子だと何を言っても倍になって返って来るような気がして(もちろん私の想像でだけど)、結局私がG子の気分良いように振舞うしか方法がないように思ってしまう。


ここまで考えて、これって家族でも職場でも、こう言う人間関係って普通にあるような気がした。
家族だったり仕事上の付き合いで顔を合わせなければならない関係なら、それを天秤に掛け、「自分が黙っていて済むことならば」と、何でも無いような顔をして付き合っていくようにも思う。


しいては男と女も、こう言う経緯を経て別れて行くような気がしてきた。

誰だって「この人には自分の全てを受け止めてほしい」と思う。
でも、相手だって意思があるから、自分が楽になれる関係が望ましいのである。
そこで我慢させる・するのバランスが取れているうちは良いのだが、どちらかに比重が掛かると、そこで持ちこたえられなくなるのではなかろうか。

過去2回の離婚を振り返ってみると、まさにその通りのような気がする。


それを踏まえて、自分はこれでいいのかな?大丈夫なのかな?って気持を、これから忘れないようにしよう。
私は安心してしまうと、ついつい「ぶっちゃけ」キャラになってしまうので(つまりブログは安心しきって書いているのか?)、いつも「これでいいのかな?」「自分の具合が良いように相手を誘導し過ぎてないかな?」と言うチェック心を忘れないようにしていこう。

それでも話ベタだしノリは悪いし、人から好かれない要素もたくさんあるけれど、それを直すのは(無いものを持ってくるようなことだから)たぶん無理だろう。
でも、余計な事を言わない、相手を傷つけるようなことをしない、自分本位にならないと言ったことだったら気をつければできる。
できないものを求める人とは付き合っていけないけれど、今の私でいいんだよ、と言う人を離さないことは、自分の努力でできるのではなかろうか。
(・・と思いたいけど、イマイチ自信は無い。)


でも、そう思い直してみよう。

傘だけは

2013-04-01 | 息子keke
最近、傘を二つダメにした。

一つは100均で買った傘で、色がモコと同色でなかなか気に入っていて2本買った。
そのうち1つは置き忘れて(戻って取りにいけない所)それきりになってしまい、残ったもう1つは落としてしまったら、ワンタッチの部品が欠けてしまった。
閉じる時は傘をたたんでホックで巻かなければならず、使えないことはないけど不便である。

もう一つはkekeの傘をダメにしてしまった。
ゴミを捨てに行く時に、何かに引っ掛かって骨を曲げてしまったのだ。
それもしばらくそのまま使っていたが、この前見たら骨が完全に折れていた。

これはさすがにもうダメだと思っていて、とても100円の傘には見えなかったのでkekeに弁償することにした。
そしてピンキリまであるような傘売り場で同じようなものを買おうとしたら、2000円もすることが判明した。いや、たぶんkekeの傘の方がそれより高いような気がする。

私自身は傘(いつ忘れるか持ち去られるか分からない不確かな存在)にそんな大金を払うわけが絶対にないので、kekeがジバラで買ったのだろう、と思い、尚更骨が折れた傘が捨てられなくなった。最初は会社の更衣室で「置き傘」にしていたが、しばらく経ったある日、それを「傘屋」に持っていったら修理してもらえるのでは?!と言うアイデアが浮かんだ。

それからも忙しさに紛れて、しばらく放置してあったのだが、ついに傘屋に持って行くことにした。
店頭には誰もおらず(普段客も居そうに無い)、声を何度か掛けたら、奥からおじいさんがやってきた。修理の値段を訊くと「500円」と言う。
500円で2000円の傘が、ましてやkekeがなけなしの金で買った傘が戻るなら、と喜んでお願いした。

kekeに「あの傘直ったよー」と言うと、ほんとに?と言い、広げてみていた。
そして喜んでいるっぽかったので、「この傘、どこで買ったの?」と尋ねると、「コンビニのバイトをしている時に店長からもらった」と言う。

こうして傘は再び使われるようになった。
昨日出掛ける時、その傘を持っていこうかと思ったけど、万が一のことがあるから、別の傘を持っていった。

そして、みごとに駅の便所で忘れた。駅員さんに事情を話すと、構内に入ってもいいですよと言われたので、取りに行くと、トイレでは中に置き忘れの傘がある、と言う話題になっていた。
「これ私のです、アハハ」と笑って引き返して、「私には高い傘は持ち歩けないな」と思った。