きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

反省

2014-01-09 | 息子keke
昨日は久しぶりにkekeを怒ってしまった。

自分でもこんなに反省している所をみると久しぶりのように思う。
少なくても1年半ぶりぐらいだと思うのだが。


会社の仕事は年明けからやることが多くて、自分の仕事はまだ11月の伝票が終わっていない。さらに頭が休みボケなので、ぼっつら仕事をしていたら、社長に「sake君、時間がある時でいいからやって。」と言われたのが、単語カード帳を作ると言う作業である。

その単語カード帳とは、一冊のテキストが全部単語カードになっていて、それを全部バラバラにして穴をあけて、最後にリングを通す作業。やってみて分かったがその時間が掛かること掛かること。。。昨日は1時間会社で残ったが1/5も終わらなかった。


くぅ。。。
時間がある時でいいと言いつつ、何日も放っておいたらどうなることか。。。


そんな思いを抱えて、弁当や晩飯の材料を揃えて家に帰ったら、シンクは皿だらけだった。

やってきたkekeに「1日何もすることが無いなら、皿ぐらい洗えや」と言った。
kekeは「あんたが知らないだけでやってた」と言うので、「上下ジャージじゃないか」と言うと、「さっきはジーンズだった」と言い、ふてくされて寝ようとするので、更に私は「寝るなら皿を洗ってくれ」「仕事もしてご飯もお弁当も用意してるのに」「このスネかじりはいつまで続くのか」とブツブツ文句をひとり言のように言いだした。

このブツブツはひとり言なので聞いてくれなくて良いのだが(ほんとだよ)、kekeはこれが大嫌いなので、さらに布団を頭からかぶってそのまま寝た。昔なら部屋にこもって二度と出て来ない所だけど、今はあいにくベッドが居間にあって、布団も無しに部屋にひきこもるには寒すぎたのだ。

そしてやどかりのようになった。
朝起きてもそのまま寝ていたので、ご飯も食べてないのかと心配したが、どうやら私が寝てからこっそりご飯だけは温めて食べて、また寝たようである。


昔はこんなケンカを週に半分以上やっていた。
kekeはほとんど部屋から出ず、親子関係は最悪だった。

2年ぐらい積みあげたジェンガを今日は一発で崩したような、そんな気持だった。


私は反省した。

よくよく考えてみると、ことの発端はkekeではなく、社長の単語カードや仕事の詰り方のように思う。
私は無意識のうちに自分のストレスをこうして子供に八つ当たりする癖があるのだ。
こういうことをずっと今まで繰り返してきたのだ。なんて親だったのか。

kekeも働きだすべきではあるのだが、今日突然怒られる事情はあれでは分からない。
しかし一度「上が下へ怒る」と言う構図ができあがると、あたかも相手が悪いから自分が言ってるように錯覚し、言われた方も自分が悪いから言われると錯覚してしまう。それが続くと互いの関係を歪ませる。

言っている内容が正しいかではなく、そのタイミングでそういう言い方をしたのは私の間違いだったと思う。
今までの私はそれが認識できていなかったのだ。
自分が正しければ、とにかく正しいと思いこんで、相手を責め続けたのである。


人間関係は強い方⇔弱い方、上にいる方⇔下にいる方、言える方⇔言われる方、どうしてもこう言う関係ができやすく、その時強かったり、上にいたり、言える方が我が身を振り返らない限り、その関係は改善されることはないように思う。

今の私はそう思うので、この親子関係は私が改めない限り、変わらない。
だから私は反省する。

ちなみに私と社長の関係も、向こうが我が身を返りみない限り、ずっとこのままだろう。
でも私はもう立派な大人なので、私なりに理解し、彼に合わせてあげようと思う。(sakeさん偉い!)
今日はここまで考えられたところで、自分をよしとする。

酒をぬいた日

2014-01-08 | 息子keke
取引先の人の訃報がはいる。

60歳だと書いてある。
半年前にここに来た時は全然元気だったのに。
病気で急に亡くなったそうである。

社長は「お互い、明日は我が身だからせいぜい稼ぎましょう」なんて電話で話している。
私達がこんな風に言っていられるのは、どこか他人事なのだろうな、なんてボンヤリ考える。

60歳と言えば、あと12年後だ。
まだどこか自分には関係ないような気がするけれど、12年経って自分と同じ年の人の訃報を目にするようになったら、どんな気持になるのだろう。

今日は食事の支度を終えてから、kekeにちょっとコンビニ行ってくる、と言って出て行った。
そしてノンアルコールビールを買ってきた。

「たまには内臓を休ませることにした。」と私は言う。

「しかし、ノンアルビールはまずいな。夜飲むと特にまずい。」
「他のものにすればいいんじゃないの?ジンジャーエールとか。」

「それだと意味が無いんだよね。」アハハと私は言う。
「しかしまずいな」と言うと、kekeは「わがままだ」と言う。

なんで私は急にそんな風に思うようになったのだろう。
この前までは「この先いいことなんてない、いつ死んだってかまわない」と思っていたんだけど、そう思うことが自分に対して非常に失礼な気がしたのだ。
自分に申し訳ない、と言うのか。

今まで、自分って情けない、何をやってもダメ、だから何をやっても人にケチをつけられる、だから誰にいつ傷つけられるか分からない、誰をも油断ならない、と思ってきていて、だから「どうせ私は~」と言うのがとても得意だったのだ。
それは魔法のように、ダメな私を救ってくれた。

でも、それじゃ自分がかわいそうな気がして、どうしてこんな気持になったのかよく分からないけれど、そう思っている自分と、そうじゃないもう1人の自分がいるような気がして、自分で自分を守ってあげようと思ったんだ。

そしたら、まだ死ぬのはイヤだな、怖いな、って素直にフツーに思えたんだよね。


私はアハハと照れて、「長生きしようと思ってね、週に2回休肝日にしようかと思うんだ。おじいちゃんとおばあちゃんもそうしてたから。続かないかもしれないけど。」と言い、恥ずかしいので「kekeがちゃんと自立できるまで心配だしな。」と言った。

kekeは「(アンタは自分にとって)必要な人間にカウントされてない。」と言い、「いなくても大丈夫」と言う。

「例えば今日の夕飯は誰が用意したんだよ?」と言うと、「やろうと思えばできる」と言う。

まぁたまげたよ。
ほんとに早くそうなってほしいものだ。

私はビールを1缶飲むと、満腹感覚がなくなってしまい、腹8分目でいいところをずるずると11分目ぐらい食べてしまう。酒を止めればダイエットにもなるはずなんだ。

その通り昨日はいつもの半分ぐらいの量で食事が済んだ。

免許の講習

2014-01-06 | 車の練習
免許の更新に行く。

初めての違反講習だ。
なんと試験場でないとできないと言う。そこがいかにも「車乗ってますよ」感があるではないか。
そうなのだ。私はそれまで車に乗ってなかったので、講習もビデオを観るだけ最寄の警察署にしか行った事がない。輝かしいゴールドカードだったのだ。(^o^)

さっそく試験場に行く事にしたが、大雑把なので、このまま行くと受付1時間に着いてしまう。。。。
早すぎて困った、駐車場が空いてなかったらどうしよう。どこかで時間をつぶさないとな、なんて思いながら行くと、なんと一つの駐車場は既に満車で、もう一つの駐車場を紹介される。

そして会場に近づくと、なんと!入口へ長蛇の列である。
まだ1時間も前なので、中に入れないのだ。(+o+)
並んでいる人の多くはジャンバーを着込んだオッチャンって感じで、私は「馬券売り場に並ぶ男たち」の光景を思い起こした。(今は馬券をどうやって買うのか知らないので、大昔の話である。)

なんでこんなに男ばかりなのだろう?
車に乗ってるのはこんなに男ばかりではないよね。
つまり、違反や事故をするのは圧倒的に男が多いのだろうか。

という事は、自動車保険も本当だったら、女性割引と言うのがあっても良いのではなかろうか。たぶん、そんなことをしたら、男性からヒンシュクを買うからそんな商品を売り出せないのだろう。ちっ、違反率や事故率が多い男のために、女性一人で保険に入っているのは割高に払わされているんだなァと言う事が分かった。


そして初めての講習を受けたが、先生の話が面白くてこの私がまったく眠くならなかった。
交通ルールの話はほとんど無く、免許が失効してしまうと大変なので忘れないようにしましょうと言う話と、最近変わった新しいルール、後ろ座席もシートベルトをしないといけないとか、自転車のルール(道の左側を走らないといけないこと)、これからは自転車の違反も減点対象になるような法案が出るとか。

私は車に乗るようになってから、自転車に乗らなくなったので関係ないけれど、その前と今とで自転車のあり方の違いは、たまげるほど急激に変わったと思う。
5年前の自転車の乗り方で今も乗ってたら、あっと言う間に免許の点数がなくなってしまうだろう。

最後の30分は、今まで更新のたびに警察署で見た事故のビデオである。
年に一度はこう言う物を見て、我が身をひきしめたい。

テキストと一緒に入ってた「運転チェック表」みたいなのを早速やってみた。
「割り込みされないようにあえて距離をつめる」「カーナビや地図をみながら運転する」など質問事項にチェックして、年間に乗る距離数から調べると、私もかなり危険運転をしているようである。

5年前はもっと謙虚で、幾らでも割込させてあげたし(と言うか割込されていることも気がつかなかった)、前の車が遅くても何とも思わなかった(と言うより自分より遅い車なんてなかった)、音楽を聴きながら運転なんてもっての他だった。あの頃から比べたら、相当私も偉そうな運転になってしまった。

ビデオによると、乗っている以上事故は誰でも起こす可能性があるらしい。
交通ルールを守っていても、どこで年寄りや子供がフラフラ道に出てくるとも限らない。しかし起こしてしまったら大変。小道はできるだけ入らないようにしよう。時間が掛かっても大通りを通って安全に運転しよう。

いつになるか分からないけれど、私はいつか「もう乗らなくていいだろう」と思う日が来ると思っているから、今は乗れることをありがたく大切にして、今日も乗る。

免許証はまたブルーの帯になってしまった。(^_^;)
あと4年頑張って次はまたゴールドにするぞ。

ウソつき

2014-01-04 | 女だから思ったこと
「人狼ゲーム」にはまっている私は、誰かに会うたびに「人狼ゲームをご存知ですか?」と尋ねている。今日は年配のWさんに尋ねてみた。

「それはですね、善良な村人の中に「人狼」と言う悪い奴が紛れているんです。その悪い奴が誰だかみんな推理して当てるゲームなんですよ。」と言うと、「私、最近忘れっぽくて覚えられるかしら。」と言うので、「私も最近記憶力が弱くなりましたが、やっていくうちにできるようになります。6人ぐらいまでなら大丈夫だと思いますよ。」と言うと、息子にも頭の体操をするように言われているから、やってみたいわ、と言う話であった。

「それはなかなか頭を使うんですよ。その悪い奴は自分が当てられないように必死にウソをつくわけです。誰がホントで誰がウソなのかも分からないんです。(その中で自分の仲間を推理して、結集して敵のウソを暴くような感じ)」

するとWさんは「ウソ?!」とその2文字だけをピックアップして、「男って誰でもウソをつくのかしら?」と言う。

ハ?
この話題の飛躍の仕方に戸惑いながらも「男のウソですか?」と答えると、「sakeさん、男って誰でもウソをつくのかしら?」とWさんは繰り返し、「私が付き合ってた人って小さなウソを次々つく人だったの」と言う。

「どんなウソですか?」
「フェイスブックで女性の知り合いがいるでしょ、普通に正直に言えばいいのに断われず仕方なく登録したようなことを言うのよ。」
「はぁ。」
「それから元亭主も、こっちではああ、あっちではこう、都合よくペラペラとウソをついてて感心しました。」
「それは私が仲良くしているAさんと言う人もそうなんですけどね、物事を丸く納めたい時は、あっちとこっちで違う事を言っていることもありますね。それは浮気とか裏切りとはまた別に、相手を傷つけたくないための優しいウソじゃないでしょうかねぇ。」
「男って誰でもああなんですか?!」
「えっ・・・いや・・男は誰でも100%ではないと思いますが、その彼氏さんのような『ウソ得意グループ』みたいなのはあるのかもしれませんねぇ。」
「女もウソばかりつきます?!」
「女は(人にもよりますが)男のようにはつかないでしょうかねぇ。ほら、生物学的にも男は遺伝子をとにかくばらまきたいと言いますか広く浅くで、女は優秀な遺伝子を1個受け止めればいいと言うか、もともと相手にやましい所はないですからねぇ。」

そして私は
「私も昔最初に結婚していた時に違う人が好きになって、心はもうそっちだけだったのですが、形的にはフタマタになってしまっていて・・・あの時は歯ぎしりと金縛りがハンパなかったです。後にも先にもあの時だけだったんです、あんなの。あれは間違いなくストレスだったと思いますよ。」
と言い、
「だから元夫が不倫して出て行った時も、(そりゃ悲しく悔しかったですが、)その反面『奴も相当苦しいだろうな』と分かってたんですよ。だからあんな(われ先逃げる)行動になったんです。ウソをつくのはそれだけで相当なストレスになりますよ。」

だから私はそれ以来まっさらに正直に生きることにしたんです、と言おうとすると、Wさんは「そうですよね」と言い、「私、そのゲーム、やりません。」と言う。

ハ?

「私そのゲームはやらないわ。ウソは良くないから。」
Wさん違いますよ、そっちはただのゲーム=お遊びですから、その男どものウソつきと違って、相手を深く裏切るようなものではありませんから、と言っても、ウソは止めますと言う。

Aさんももしかしたら私の知らないところで、ウソばかりついているのだろうか。
でも経験上、過去に私を泣かせた男はその後ろくでもない運命(失業とか離縁)になっているので、人を騙せばその後に泣く目に遭うのはそっちだろう。

そんなことを思いながら、Wさんをお別れをした。

人狼ゲーム

2014-01-04 | 日記
妹と姪っ子に「面白いゲームがある、きっとお姉ちゃんは好きだと思うよ」と紹介された。それは携帯アプリで「人狼ゲーム」と言う。

それは4人で遊ぶゲームで、カードが配られてそこに自分の役割(キャラクター)が書いてある。その中の1人或いは2人が「人狼」と言う悪役で、そうでない人は誰がその悪い奴か推理しなくてはならない。
その他に「占い師」と言う、誰かのカード(キャラクター)を見れる人と、「怪人」と言う誰かのカードと取り替えられる人がいる。
そして、遊び人数は4人なのに、実際のカードは6枚あるので、使われてないカードもあるわけで、必ずしも占い師と怪人がこの4人の中にいるとは限らないのだ。「人狼」と「村人」(何でもないただのいい人)は2枚カードが入ってるし、途中で怪人が誰かのカードを取り替えてしまうし、平気でみんながウソをつくので、誰が悪い人なのかなかなか分からない。

kekeは「そのゲームは人間不信になるのでやらない方がいい」と何度も言うが、姪のミーが今日中に冬休みの宿題を片付けなければならず、その間だけでも入ってほしいと言うので、kekeもつきあってくれた。
5~6回やってみたのだが嘘をつく要領がイマイチ分からず、私は正直者のままなすがままでルールを理解するだけで終わってしまった。ゲームの醍醐味がイマイチ味わえず非常に残念である。
本当はもっとやりたかったのだが、姪っ子達はまだ宿題をやっておらず、ミーは次の日から終日部活なので、夜の間に宿題をやり終えなければならなかったのだ。かえすがえすも残念である。
このゲームはそれで終わらせてはならない。
自分は嘘をついて、誰かをおとしめることで快感を味わうゲームである。それがないまま終わってしまい、非常に消化不良のまま朝を迎える。

kekeに「お前はどこでそれを覚えたのだ?」と尋ねると、ネットゲームでやった、と言う。
ひどい目にあった、自分は人狼(悪者)ではないのに、吊るし上げられた、もう誰も信じられなくなった、と言う。
kekeは10人ぐらいでやったと言う。なるほど、それはそれは面白そうで想像するだけでワクワクするが、もはや私の脳みそは10人までの役割を覚え切るのは無理だろう。4人5人6人ぐらいまでかな。それともやっていけば、覚えられるようになるのかしら。

妹が「お姉ちゃんが好きそうなゲーム」とは、妹はよく分かっていると言うか、姉の性格の悪さを知っているのか、推理と理論で人をギャフンと言わせるのが心底好きなのをよく覚えていると言うか、もっと若くてヒマだったら、とことん突き詰めてやっただろうに。

昔小さい頃、祖母が一緒にトランプをしてくれて、私は祖母を打ち負かせていつも喜んでいたけれど、気がつくと今自分も、あの状態に間違いなく近づいている。
もう10人は無理だろうな、残念だ。

写真が消える

2014-01-03 | 日記
今しがたせっかく撮った「日の出の写真」を、PCのデスクトップの貼っておくのも心配なので、外付けハードディスクに保存しておくことにした。

私は今までドライブで撮った道路・景色の記念写真を、ハードディスクに保存しているはずなのだが、ここしばらく面倒くさくてデスクトップに置いたままだった。それもついでに外付けハードディスクに保存しなおそうと思ったのである。(このナルシストさが笑える。)


そこで事件が起きた。
なんと、外付けハードディスクの写真のフォルダが開かないのである。クリックしても「フォーマットしますか?」みたいな表示しか出てこず、そのフォルダのバイト数はゼロである。
今までの数々のドライブ写真がパーになってしまうとは・・・呆然としてしまった。

でも幸い、音楽データの方は壊れてなかったからヨシとしよう。
消えたのはこの4~5年1人で車を乗り回して撮った道路や道行く風景の写真だけのよう。ちょっとショックだったけど気に入っているのはだいたいこのブログにアップしたはずである。まぁいいや。


しかし、まったくデジタルって言うのは恐ろしい。
パソコンがもう10年近いので、そろそろやばいかもと思って、数年前に外付けハードディスクを用意したのにそちらが無くなってしまったとは。油断もすきもありゃしない。

この前秀クンの、会社で使ってるPCが立ち上がらなくなって、あの秀クンが必至でテレホンセンターに電話をして、回復を試みたのは、現場の写真もそうだが子供の写真が消えたと思って慌てふためいたようだ。

そもそも、こんな小さな物質(ハードディスク)一つで、今までのもの、思いでも記録も全て何でもかんでも収まるなんて思うのがおこがましいのか。
前に1度音楽データもなくしてしまったことがあるので、(何故か分からないがXアプリに移行する時だったか?にソニックステージの初期版にとったのが全部消えた。)悲しいけれどデジタルなデータはこう言う事もあるのだ。さりとて命を取られる訳ではない。

昔のテープやMDの時代は、こう言う覚悟はしていなかったように思う。
無くしたとしても、そのテープを失くすだけで、今までとり貯めた音楽全てを失うことはよほどの事情でなければ無かったからである。
目に見えるそこにあり、いつでも手に取ることができた。

そう思うと、これが便利なのかどうなのか分からなくなる。
幸い、kekeの子供の頃の写真はまだPCが今のように普及する前だったので、ネガがどこかにあるはずだったり、写真アルバムになっていたり、小学生後半もCDにしてもらっているので、失われることはよっぽどの事で無い限りないだろう。こちらの保存の仕方のほうがよっぽど間違いなくたしかに思えるのだが、それは私だけなのだろうか。


ちなみにkekeのこの話をすると、「最低でも2箇所に保存しておかないアンタが悪い」とのことだ。
たしかに。

日の出

2014-01-03 | 車の練習
朝6時半。昨日見たギャラリーさんがいた、初日の出が見える場所に今日こそ向かう。

まったく同じように2リットルのペットボトルを持ってフロントガラスにお湯をざばざばかけ、車を出した。「ここだここだ」と思って、車と停めて外に出ると、おばあさんがぼんやり座っている。

あいさつすると「あなたも日の出を見に来たの?」と言う。
「昨日、この前を車で通ったら何人もの人がいてね、あぁここで初日の出が見えるんだなって思って来たのよ。」と言うので、「私もそうです。」と答える。

あなた、ここに座る?とお尻にしいてるチラシを指差すので、「いいえ、私は大丈夫です」と答える。
「それならもう少し、あちらの方よ。人が見ていたのはもっと向こうだったからね。」と言う。

そして待つこと20分ぐらいだっただろうか。
おばあさんもこちらに来て、またしばらく二人で待っていると、やがて太陽があがってきた。



意外にスピードが早い。刻一刻と上がってくる。
地球はこのスピードで回っているのだろうか。

今では朝日なんて、こうして車を出してやっとこさ見たりするけれど、昔はこんな光景が、夜空が当たり前にきれいに見えたのだろう。それは明日の活力になるにちがいない。
TVもゲームも、携帯も、ファーストフード、最近の刺激的な楽しみはそういうものを奪っていると思う。

おばあさんに良かったら後で写真を送りましょうか?と言おうと思ったが、目の前で朝日を見ていたら、そんなことが馬鹿げたことに思えてならなかった。
今、この目で見てるリアルにまさるものはなかったし、写真を撮ることすらもったないように思えた。
(でも改めてこうしてみると、写真撮ってよかったなぁとも思う。)

そして、太陽があがりきると、「あまり見てると目に悪いらしいからねぇ」と言っておばあさんは別れを告げ、どこともなく去っていった。

初詣

2014-01-02 | 息子keke
kekeが、寝違えた首が痛いと言う。

首が痛いと言えば、去年の正月の私である。
最初は寝違えだと思っていたが、それからだんだんと痛くなり、翌日は起きることも困難になった。
今日初詣は無理かなぁと諦めた。

だがkekeは午後になると起きてきて、うろうろしているので「初詣に行くかい?」と言うとウンと言う。
そして行ってみたが、神社に入る前に既に長打の列である。
kekeは「すごい並んでる・・」と言い、どうするか悩んだが、運よく神社の駐車場が1台開いたようで、警備員さんがこっちに止まれと合図をしているので、そのまま行く。

しかし、駐車場ではないスペースに無理に押し込むノリでの駐車場所。
頭突っ込みなのに何度も切り返し、さらにこれ、この後お尻から出せるのだろうか、と言う一抹の不安がよぎる。

長打の列に並ぶと、kekeは「もう二度と来ない。」と言い出した。
「いったい何の為にこんなに並ばなきゃならないんだ?!」と怒り出すので、「自分から来るって言ったんじゃないの。」と言うと、「だから二度ともう来ない。首が痛いのに。」と言い、「(アンタに)気をつかってきたんだ。」と言う。

私は今まで、kekeはお墓や神社が好きな子なのだと思っていた。そういう目に見えないものをどこかで信じていて、それだけはついてくる子なのだと思っていたが、このセリフによると、墓参りも神社も、私に気を遣ってきていたのだそうだ、へぇ~。

さらにkekeの不愉快そうな態度は続き、「この人ごみはなんだ」と言い、「明日は約束があるのにマスクを持ってこなかった。」「車にあるからとって来ようか?」と言うと「いい」と言い、もう二度と来ないと繰り返す。
そんな事ばかり言ってみっともないので、「あんまりそういうこと言うと、バチが当たるよ」と言うと、「バチってなんだ!」とまた怒り出す。そして、靴紐がほどけたと言い、かがもうとして「あ、首が曲がらない」と言う。

「それじゃ、私がゆわいてあげるよ。」と言うと、「成人過ぎて親に結んでもらえるか」とまた怒る。「だって、首が痛いんだからしょうがないじゃない。」と言うと、「周りで見てる人はそう思わない」とまた怒る。

去年ここで1番の大吉が出たのに何もいいことがなかった。」
「健康で何もないのが一番いいよ。いいことがあれば次に下がる。いいことも悪いことも無いのが一番だよ。」
いっそのこと凶が出れば清々しい、おみくじが当たったことになる、とkekeは言う。

それでもだんだん順番は進んでいき、去年の平和に感謝しながら、参拝する。
そしておみくじを引くと、kekeは中吉で、私は末吉だった。

後ろの方で何やら騒いでいるご家族がいるので、どうしたのかと思ったら、奥さんが凶をひいたようである。
おみくじって末吉までしか無いのかと思っていたが、やはり悪いのも入っていることは入っているらしい。自分がひかなくてよかったと思う。(それに気づかせてくれたあそこの奥さんに感謝しよう。)


そのあと、また大変ながらも車をお尻から出し、やっと神社から出られるが、窓を開けていたので、大きなハチが入ってきて二人であっ!キャッ!と叫んだが、違う窓からあっと言う間に飛んでいった。

「あぁ、良かったハチがすぐ出ていってくれて、ついてた。」と私は言い、「こうして物事はいい面と悪い面があるんだ。ハチが入ってきて大変と思うか、ハチがすぐに出て行ってよかったと思うかで、その後の運勢が変わるんだよ。」と言うが、kekeは「そんな訳あるものか」、と言う。

「ほんとだよ。いろんな本に書いてあるよ。言霊って言うんだ。言ったことが本当にそう言う運を呼び込むんだよ。」
私はまた話す。

そう言えば、両親もそんなことを言っていて、いつも良かった良かったと言っていた。
その頃は今のkekeのように「何言ってやがるんだ」と思っていたけれど、私も30年近くたった今、同じようなことを思って、同じように言っている。

いつかはkekeの耳に届くだろうと思って繰り返す。

初日の出

2014-01-01 | 日記


朝6時、初日の出の写真を撮ろうと車に向かう。
sakeの車窓から(初日の出編)を撮るためである。

私の頭の中には数キロ行った先に広い道路があり、方角的にあそこだったら写真が撮れるはず、と踏んだ。
もう光景が目に浮かんでくる。
両手には2リットルのペットボトルと抱えている。それにはお風呂の残り湯が入っている。

車庫にたどりつくと、フロントガラスにザバンザバンとお湯を掛けて、急いで車に乗り込みワイパーを左右に動かす。そしてあまりエンジンをふかしているのも大家さんに悪いし、幸い他のガラスは霜がついていなかったので、ゆっくり車を出した。

途中、車が2~3台だけ停められるあるちょっとした絶景ポイントがあった。
おっ@@!と思うが既に車はめいっぱい停められて、素人カメラマンさんが4~5人そこで朝日が昇るのを待っている。

まぁ他にもあるしまだこれからだ、と通り過ぎ、目指す道路にたどりつき、とりあえず近くのコンビニに停める。

が、初日の方向がどうも私のイメージと違うようである。
実際はそれより南側の方が明るくなりつつある。(そしてその方向には柵があり、いまいちな感じ。)

んん~予想外。
それならば、もうちょっと丘っぽい所に走らせればイイ感じで初日の出が見えるかも。。。と思い、お赤飯おにぎり1個を買って、また車を走らせる。

秀クンの家はこの辺りにある、ちょっと小高い丘の住宅街である。近いうちに一軒家を考えているがとても今の給料ではローンが組めないとボヤいている。ここだったら、どこかでいいポイントがあるのでは?とグルグル回るが、やはり建物や、遠くの森?みたいなのが邪魔で、朝日が昇ってこない。

くぅ。。。。

私はさらに太陽に向かって車を走らせる。
もう少し東に行けば見えるだろう、と思いながら走らせても走らせても、その先下り坂になっていたり、住宅が立ち並んでいたり、新しい丘が見えてきたりで、どうにも太陽は見えない。

もう帰ろうかと引き返しある街道に出て、バックミラーに朝日が見えてきたので、ここらだったら、コンビニ辺りで停めれば朝日の昇るさまが・・・と思ったが、悲しいかな、もう既に太陽はかなり昇っていた。

私は分かった。
初日の出を撮るためには、方向が何より大切だって言うことを。
そして、ちゃんととどまって待ち構えていなければならないことを。


なので、上の写真は今日の写真ではありません。m(__)m あしからず。



何やらともあれ、今年もよろしくお願いします。