きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

裏血液型に消費税

2014-03-22 | 息子keke
今日はkekeとお墓参りに行った。

本当に今日はいい天気だ。
kekeがマスクをしているので訊いてみると、ノドが痛いのだと言う。
胃も痛いと言う。

私は今年は不思議なくらい花粉症が軽くて、マスクも要らないような気にさえなるけれど、1度なると怖いので、外出にはマスクをしている。しかし花粉症が軽いので、ついつい車に置き忘れてしまうのだ。
車から降りて「あ、マスク忘れた取りに帰ろうか」と言ったら、kekeがコートのポケットから予備のマスクをくれた。

「わざわざ新しいのを使うのはもったいないから、いいよ」と言うと、「取りに帰る時間の方がもったいない」と言うので使わせてもらった。
拝んで帰りの車に乗って、ちょっと使っただけだからまた使うか?とkekeに訊くと「もうそれは使わない」と言うので、車の収納ボックスに入れようとするが、そこには幾つもの1度使ったがまだ使うつもりのマスクが重なりあっていてkekeがあきれ返っていた。

そして墓参りを終えてからスーパーに向かう。
kekeが数日前に寝起きに突然「消費税が上がる前にお米を買わなくては」と言い出して、私達親子の間では「米を買わなくては」と言う思いがあったのだ。kekeが米を2袋運んでくれたので助かった。

と言うのも私はまた五十肩が再燃していたのである。
今度は前の反対の左肩。
なので今はキャリーバッグを持たない時は重いものは買わないのである。


お昼を食べてから、リコールもあったのでディーラーに行き、そこで置いてある雑誌を読んだ。

それはアンアンの血液型の本で、本来の血液型と「裏血液型」を心理テストで判断して、組み合わせて診断するものである。
さっそくやってみると、裏血液型はA型と出た。
そこでB型×裏血液はA型と言う所を読んでみる。

すると(原文どおりではないが)、「あなたはB型の奔放さとA型の神経質な面、正反対の気質を両方持っています」みたいな事が書いてある。

そうなんだよ!
いつも血液型占いを読んで、絶対自分はB型ではないと思っていたんだ。
たしかにあまのじゃくみたいな所もあるのだけど、いわゆるガハハハハみたいな感じではない。

そして続きを読んでみると、
「本来はマイペースな気質なのに、A型の気配りや人の目を気にしやすい傾向が表れ、対人関係で必要以上に消耗しやすく1人を好みます。」

本当にその通り!!
こんなに占いごときで性格を当てられたことがかつてあっただろうか。
よし、この本図書館で予約してみるぞ。(でも今さら誰の裏血液を知ろうとするのだろうか。)
ちなみにアドバイスとしては「もっと自分らしく行動してみましょう、人は思っているほどあなたを嫌う事はありません。」みたいなことが書いてあった。

そうか、私って心理的にはA型だったのか。。。と納得しながら本を置いた。

洗車されてピカピカになったので、それだけで何となく気持が上向きになった。
1時間待って裏血液型も判明し車もピカピカになった(洗車代500円浮いた)ので、リコールも悪いもんじゃないなと思う。
この時期特に雨や砂埃が多いので、洗車してもらえるだけで感謝である。

魚のあんかけ

2014-03-21 | 息子keke
今日は父の所に行った。

丁度お昼が始まるところだ。
おかゆ、白魚のあんかけを細かく刻んでとろみをつけたもの、菜っ葉をこまかく刻んだもの、マッシュポテトはコロッケの中身のようだった。

今日は目も開いていて、パクパク口をあけて食べている。
おいしい?と尋ねると、おいしいと言う。
今日はやたら機嫌がよくて、時々話してくるけれどよく分からない。
年を取ると子供に返ると言うけれど、父の言葉は話し始めの赤ちゃんのようである。何て言っているのか分からないけれど、顔の表情で食事がおいしいみたいに言っているのだろうなと思う。

「sakeだよ」と言うと今日は「sakeちゃんか」と言った。

私はあまり口が回らなくて、相変わらず一方通行の会話は苦手で、「sakeだよ」と「おいしい?」ぐらいの言葉しか出ず、あとは手をさすってみたり、そんなことしかできないので、食事を何度もスプーンで運んでつながっているような気になっている。
そして、今日はとってもよく食べた。
ごちそうさま。

今度魚のあんかけを作ってみよう、ちょっと面倒くさいけど今のkekeならおいしく食べるんじゃないのかな、そんなことを車で考えた。


家に帰ると、kekeは寝ている。


私が仕事でいない平日はいつもこんな姿なのだろうか。
これがもう3ヶ月以上も続いているのだ。

言いたくも無いのに「毎日こんな状態なのか?」と私は言う。
「そうではない」とkekeは言う。

「履歴書を送ったのか?」と私は言う。
kekeはうなずく
「面接はないのか?」と私は言う。
kekeはうなずいているようにも見えるし、そういうポーズを取っているようにも見える。


「今まで何枚送ったのだ。毎日2枚ぐらいは送れるだろう。」と私は言う。
「アンタは毎日そんなことばかりだ。」とkekeは言う。
「言い出したのはここ最近だろう、もうじき4ヶ月になるんだぞ、この状態が。いい加減言いたくなる。」と私は言う。
kekeはいいやアンタは前から毎日そんなことばかりだ、と言う。

「そんなことはない、放っておけばずっとこのままになりそうで心配してるのだ。」そんな堂々巡りにkekeは布団をかぶる。

「学生でもなければ、働いてもいない。それで寝ているのか。」
「だから大学は辞めるべきではなかった、だからあんなに言ったのに。辞めたらこうなることは分かってたんだ。」

でも、そんな事を言ってもしょうがない。
出したって出したって、どんなに出したって無駄かもしれない。あの時点でもう終わってるのだ。くそ!本当に自分自身に腹が立つ。何もかも間違いだった。最低だ。

もうほんとに何もかもイヤになって、いいやどうにもならなかったら私達死んでしまえばいいんだから、そんな言葉だけが唯一支えになっている。今の私には。だからだからこの状態を許してほしいのだ、でも誰に?

「寝てるぐらいならバイトでも何でもあるだろう。夜でも土日でも何かみつけないのか。」

kekeは怒りながらも「アンタが言っても何も変わらない」「アンタの論点はあちこちブレすぎ」「小遣いは自分で稼いでいる」等と言う。
そして、また寝てしまった。


魚のあんかけはもうやめてしまった。
言ってもいいことなんか何も無いのに。
kekeは怒るし、料理はまずくなるし、そんな自分に腹が立つ。
私はただ不安なだけなのだ。
kekeに八つ当たりをしてしまうのだ。くそっ!!

もう何も考えなくて済む国に行ってしまいたい。

カッコ笑い

2014-03-20 | 日記
最近、ネットあたりで「劣化」と言う言葉を見かける。
どうやら年を取って昔ほどきれいでなくなった女性のことを差すようだ。
男性に対して使われているのはたぶん見たことが無い。

人間は年を取れば誰でも容姿は変わる。大抵は衰えるものである。
長い目で見ればおおかたの女性は「劣化」するものと思われる。すなわちそれは自然現象だろうに「劣化」と言う言葉をあえて使うことで、相手をなめきって見下したニュアンスを感じてしまう。人様に向かってこれを使う人はどんな人なのだろうか、男性なのか、女性なのか、はたまた年齢層はどの辺りなのだろうか、気になる今日この頃である。


それとはまた違ってこちらはささやかな事なのだが、気がついている人がいるのかどうかわからないが、私はめったに使わない表現方法がある。

それは(笑)と言う表現方法である。
私はこれがあまり得意でないのだ。
1度も使ったことがない・・・わけではないと思うのだが、ここ数年は使ってないだろうと思われる。
意識して使ってこなかった気がする。

と言うのも(笑)ってだけだと、どんな笑い方をしているか伝わらなくて怖いと思うのだ。
笑いにはいろんな笑いがあるわけで、実は私ってばこうなんですよアハハと言う自虐笑いもあるし、逆に相手をあざ笑うと言う笑い方もある。ヘヘッみたいな照れ隠しの笑いもあるし、本当に心からゲラゲラ楽しんでいる笑い方もある。
でも(笑)だとどんなニュアンスなのか分からないような気がして、ハッキリ言えば私のようにもともと「被害妄想」が入ってる人は、そうでなくても自分が笑われているように感じてしまう時があるのである。

そんな風に感じるのは自分だけではあるまい、同じように(笑)に違和感を感じている人がこの世界のどこかにいるはず・・・その気持を分かち合いたい等と思いながら、この数年注意深く見てきたが、どうやら誰もかれもが当たり前に「(笑)」っているようである。

という事は(笑)とは、「相手をコバカにするような笑い方ではない」と言う大前提があるのだろうか。

いずれにしても(笑)と言う表現方法は実は奥が深いと思っている。
さらに引き続き、この使い方を研究するつもりである。(苦笑)

ふわふわ生きる

2014-03-19 | 息子keke
会社にもやっと新人の子が面接に来た。

知り合いの方の息子さんである。今月大学を卒業すると言う。
ちょっと不器用な感じはするけれど、真面目で堂々と自分をアピールしてる。
もちろん、即採用決定である。
「質問する事は何でも答える。きっと練習してきたんだろうな。」とnanuさんは言う。
 
私はこんな姿を見て、kekeのことを思わずにいられない。
学校を卒業していないから、学校からの紹介もできず、新卒扱いでもない。
面接もとてもこのように立派な受け答えができるとは思えない。
たちまち不安になってしまう。

一方家に帰ると、kekeは寝ている。
具合が悪いのか、マスクをしている。

最近はほとんど家にいて、ひきこもりの状態である。
夜バイトをして、昼間仕事を探すと言うことはできないのだろうか。
本人に言うと、仕事が決まってもそういうバイトはすぐには辞められない、と言う。
では、この状態で良いのだろうか。
親として、悩む。

悩んで悩んで、悩みつかれる。
もうその果てに、いったい何が良くて何が悪いことなのか分からなくなる。

kekeは「昔は切腹と言う(責任を取る)方法があったのに、なぜ自殺をしてはいけないのだ。」と言う。今の私は「そうだよね。」と思う。
私達親子はいい加減、生きるのに疲れている。

kekeが小さい頃は、そうでなかった。
私が稼いで、頑張って節約してお金を貯めて、両親揃った家庭の子とひけをとらないように、育てる気力があった。だから、どこでだって働く意欲があった。

今はそうではない。
今の職場だから、だらだらどうにかしているが、そうでなかったら引きこもったかもしれぬ。そう思うから、余計kekeの心境も分かる。
もう23歳だ。
仕事は必死になれば見つかる。
それをしないのもできないのも本人の意思で、それから意思で無いもの、例えば日陰で育ったひょろひょろしたひまわりが、太陽をしっかり浴びて育ったのとどこか違うように、萎える、それはどうしようもないってこと。そんな事も考える。

社会はしっかり育ったものだけが欲しくて、そうでないものは要らないから落ちる。落とされる。
必要とされてない。
一番必要とされるのは這い上がる力。自分だけが。

なのに「命は大切」とか、「自殺は止めましょう」とか、そういう見た目きれいな言葉だけが平気で歩いている。
そして死ぬことも許されず、生きている心地のしないまま毎日が空回りしている。そして何より悲しいことはそれを「悪」と呼ばれることだ。

それが分かっているのに、「今日は仕事を探してね」と言ってしまった。
言わずにいられないのは、これでどんどん年を重ねていくのが怖いからだ。
年を取ればますます門は狭くなる。
そんなこと、本当はどうだっていいのに。

こんな言葉を年中子供に言わなければならないなら、もう生きていなくていい。
世の中、なんかおかしいぞ。
生きたいも死にたいも好きでいいじゃないか。

本当はそう思うのに。

いつまでもここに

2014-03-18 | 息子keke
通勤途中に一足早く咲く桜があって、その桜がもう5分咲きぐらいだっただろうか。

去年のブログによると、この時期満開だったらしい。
いずれにしても春は多少前後しても同じようにやってくる!と言うことだ。

今年は桜の時期になっても雪が残ってるだろうと心配したけれど、そんなことはなかった。
桜の前には雪はきれいになくなっている。


昨日はkekeが皿洗いをしていた。

私はそれが「外に出なかった」kekeの心の内をみるようで、ちょっと胸が痛かった。

「そんなこと気にしなくていいんだよ」
そう言いたいけれど、それも言えなかった。

早く仕事を探してほしかった。
自立してほしいと思った。

でも、本当はずっとここに居てもほしいんだ。
そんなことは決して言えないけれど。

1人になったら、モコとまたどこへでもドライブに行こう。
だから、平気なんだよ。


この季節になると、何年か前kekeが出て行った春のことを思い出す。
kekeが帰って来て、ケンカばかりしていたような時間に意味があったのか、ただの遠回りだったのかもう分からない。

いつまでもここに居てもいいんだよ。
そんなことは決して言えないけれど。


昨日は残ったカレーを二人で食べようと言うことになり、他につまめるものをと私は買い物に行った。
買ってきたのはチョギレサラダの素なるもので、ごま油と混ぜてサニーレタスと混ぜると出来上がる、と言う代物だ。

kekeは「またそんな挑戦して」と言うけれど、食べてみたらおいしかった。

そんな風にレシピが増えて行くのが最近楽しい。

車のキズ(2)

2014-03-17 | 父の記録と母の思い出
体重は週末で2キロ痩せたみたいだ。
またすぐに戻ると思うけど。

今日は元気になったようで、朝も「ラーメンを食べるか」とkekeに訊いた。
kekeは「食べるけど、この野菜あんかけいつ作ったんだっけ?」と言う。

冷蔵庫に入ってるし大丈夫だよ、と言って、私はラーメンをゆでる。
二人前ゆでて、多めにkekeの器に、残りを自分の弁当箱に詰めた。


また私は車のキズを見る。
また内蔵が傷むような気持がする。
よくよく見てみると、やはり当て逃げではない気がする。
一番出っ張っている所のキズではないからだ。

今日はたまたま、保険屋さんが会社に来ているので、キズを見てもらった。
「この位置だとバイクでこすったのかもしれませんね」と言う。
「定かではありませんけどね」と伏線も張って言う。
免責5万を出せば保険も使えるそうである。

帰りに近くの修理屋さんに寄って、見積だけでもとお願いした。
そこで見てもらったのは2万ぐらいで直ると言う。
週末ディーラーにも行く予定なので、そこでも見てもらおうと思うけれど、ちょっとそれで安心した。
見るたびに悲しいので、それぐらいで済むなら払おう。

家に帰ると、kekeはお皿を洗っている。
「カレーだったら食べられるかも」と言ったら、昨日もまたカレーを作ってくれたのだ。
ルーは「ゴールデンカレーの中辛」だと言う。

それから昨日は、鶏がらスープの素で特製スープを作ってくれた。
鶏がらスープと、ショウガ(本物の)をすって、刻んだ青ネギを入れると言う思いつきレシピである。
でも、おいしかった。サラダも買ってきてくれた。
スプーンも用意してくれた。


社内の人達は「どこで直せばいいのかなぁ」とか、「会社で修理している所に持ってけば」と言うだけなので、もう他の人には話をするのも面倒で止める。

私の方がおかしいのかもしれない。
この先確実に来るだろう親の死でも、ここまでがっくりするか自信が無い。
父には生きている間はできるだけ幸せで心地よくいてほしいと思うけれど、もう時間の問題でいずれ天国に行ってしまう事は分かっている。それまでの間、毎週会いに行こうとは思うけれど。。。

そう言えば週末も父の所に行ってきた。
遅くなってしまってご飯はほとんど終わってしまい、デザートのプリンとお茶ぐらい。
それでもよく食べていた。最近は元気になったように思う。

プリンおいしい?と尋ねると「甘い」と言った。
父の口から「痛い」以外の言葉を聞いたのは久しぶりである。

その日は遅くに行ってしまったので、父の食後の歯磨きの様子も見ることができた。
ハブラシを口に入れてこするだけなのに、「痛い痛い」と騒ぐ。
もしかしたら、不快なことは全て「痛い」と表現しているのだろうか。

看護婦さんによると、父の歯は丈夫な方だけど、歯茎は弱ってきているそうである。
昔、今の私ぐらいの年のころは、よく虫歯になっていたような気がする父の歯だけど、80過ぎても1本も入れ歯がないのは幸せなことかもしれない。

その分歯磨きは苦痛のように見えるけれど。。。

車のキズ

2014-03-16 | 車の練習
駐車場に戻ってから、車がこすられているのを発見する。

傷口を手のひらでなぞっているうちに、あれもこれもで悲しくなってしまった。
本当だったら泣きたいぐらい悲しかったのに、涙が出ないからよけいに悲しい。

車は来週ディーラーに持っていくことにした。
余りお金を掛けたくないし、直せるかどうかも分からないけれど。

こんなことはよくあることだと、Aさんも義理の弟も言う。
直すなら直してもいいし、そのままでも特に問題はないと。
でも、本当に悲しいんだ。

たかが車、なのにそれを直すかどうかだけの話なのに、晩ご飯の支度も気力がなくなってしまった。
自分でもどうしてこんなに悲しいのか分からない。

出かける前に玉ねぎを炒めていたのでkekeがカレーを作ってくれた。
ちゃんとお皿によそって、スプーンまで用意してくれた。
とてもおいしかった。

そして昨日は珍しく愚痴まで聞いてくれた。
大学を辞めたことや仕事のこと。好きなアーティストの話も。
元気が出ない私に「カラオケに行ってくれば」とも言ってくれた。

でも私は朝になっても起きれなかったんだ。
もう「車」と言う次元ではない気がする。
それが引き金で今まで張り詰めていたものがプツンと切れた。
そんな感じだ。

今までのいろんな我慢が浮かび上がってくる。
小さく叫ぶ事もできなかった我慢が、また声もあげることができずに
ふたたび押し込められていく。

そうじゃないよ、ほんとは私は
言いたくても言えなかったたくさんのこと。


線キズは何回かあったけれど、本当にきれいに使ってたのに。


これを見た時に、もう何も信じられないと言うのか
信じられるものなんて何も無いと言うのか
たまらなくひとりぼっちなのだと分かってしまった。

何もそんなことまで考えなくてもいいのに。

kekeは頭が痛いと言う。
それも元気になれない自分のせいのような気がしてますますめげてしまう。

母は家の中では太陽だから、と母は言っていた。
でもやっぱりこんな風にコントロール不能にめげている時もあって
でも、そう言う時は父がいつも傍に居たものだったっけ。

letters/宇多田ヒカル

2014-03-15 | 歌謡曲・カラオケ
宇多田ヒカル「letters」。
最近この歌が気になって仕方ない。最近と言うか、藤圭子さんが亡くなってからである。
藤圭子さんのことをチラホラ耳にして想像してから、この曲が気になって止まなくなったのだ。

この曲は10年前ころ「SAKURAドロップス」と両A面で発売されたそうだが、私のイメージではどちらかと言うとシングルは「SAKURAドロップス」、でそのB面みたいなイメージであった。あまり宣伝されていたイメージが無い。
私がちょっと関心を持ったのは、友達にこの曲が好きだと言われてからである。

最初に聞いた時は失恋の歌だと思っていた。
置手紙をして出て行ってしまった恋人。別れの歌だとずっと思っていた。
 ●→「letters」歌詞はこちらに

ところが藤圭子さんが亡くなってから、どうもこの曲がつかえるようになったのである。

と言うのも、私の母が祖母と二人暮らしだったのだが(母子家庭である)、いつも祖母が仕事でいないので、母に置手紙を残していたそうである。母はそれで祖母のぬくもりを感じ、私にも「kekeに置手紙をしておきなさい」と言っていた。

私は(そうかなるほど)と思い、小学校2年生のkekeに「おかえりなさい、今日は○○」みたいな置手紙をしておいたところ、kekeはそれをビリビリに破いて窓から捨てた・・・・。
(大きくなってから尋ねた所、母が家出をする置手紙と思ったそうである。)

そんな置手紙。
置手紙を残して去っていた恋人。。。。

・・いや、これ恋人ではないんじゃないの?!

いまどき、置手紙を残して去っていく恋人なんていないんじゃないの?!


これ、お母さんの置手紙じゃないの?!

ある日突如そんな思いにかられて、ググッてみると、やはりこの曲はお母さんへの思いをたどった曲だったのだ。

朝起きて窓際の置手紙。
君がいなくても太陽はのぼるよ/最後の一行は「必ず帰るよ」/
夢の中でも電話越しでも声を聴きたいよ

必ず帰るよって言う置手紙が、憶えているのだから、そういうことがあったのかな、とか。
電話したくても自分からはできなくて、たまに待っていても来なかったこともあったのかなとか。
そんなことを想像すると(もちろんあくまで歌詞の中ではありますが)お母さんのこととか想像してしまうことがあったりして、それでも娘って、お母さんを信じているし、決して離れることはないのだろうなとか。
いろんな思いがグルグル回り始める。

そして、自分の母と祖母のことを重ね合わせると、切なくなる。

「母ひとり子ひとり」
この言葉を母はよく口にしていた。
誇りでもあったし、悔しくもあった。
兄弟がいたら、例えお母さんが自分の人生を歩いていったとしても、そこには兄弟がいる。
でも、母ひとり子ひとりでは、そこには誰も居ない。


歌は宇多田さんらしくなかなか難易度が高く、でもコーラスも入っている(様な気がした)ので、これから練習してチャレンジしたい。最後にくるサビの繰り返しで盛り上げたいのでそこに合わせてキー変をすると、上手な方は聞かせる歌になるかと思う。
wikiによると、本当はプロモーションビデオを作る予定だったのが、宇多田さんの体調が悪くてできなかったそうです。

母は言った。
「反発した時はすごかったよ、髪も金髪にして(おばあちゃんに)恥をかかせた。でも忘れたことはなかった。結婚する人は絶対おばあちゃんの選んだ人にしようと決めていた。一緒に暮らすつもりだった。」

そんな言葉を思い出す。

野菜ラーメンをすばやく作る

2014-03-14 | 息子keke
帰ると、kekeが朝のままコタツに座っている。

「パン1個しか食べなかったのか?」と言うとウンと言い、今はおなかすいてきた、と言う。

それじゃ野菜ラーメンでも作るかと思うが、あんかけを一度作るとフライパンを洗わないとならないので、冷蔵庫の中のものと余ったご飯でチャーハンを炒め、それから焼くだけのギョーザを焼き、買ってきたサンドイッチを次々並べて先に食べていいよ、と言うと、半分づつだけ食べている。

「これでラーメン二人前作ると多すぎかなぁ」と言うと「もうラーメン要らない」と言うので、1人前だけ作るかと思ったら、本当にラーメンは1つしか残っていなかった。

頭の中では豪華な野菜炒めを乗せる予定だったが、冷蔵庫をあけても白菜と人参と玉ねぎしかなく、しかも使いようのないカニカマも入れたら、それがバラバラになって汚らしい半端な麺みたいで、見栄えも悪く(やっぱりkekeには作らないでよかったかも)と思いながら、自分のラーメンにした。

ラーメンは翌朝まで残せないから先に食べていると、kekeがやっぱり食べるかも・・・と言う顔をしているので、「これ食べていいよ、私サンドイッチもチャーハンもあるから」と言うと、案外おいしそうに食べている。
(人があとで食べているものって、おいしそうなんだ。)


ここでレシピを紹介すると、

1.豚バラ肉をテフロンのフライパンの上でキッチンバサミで切りながら広げ、油も敷かずにそのまま弱めの火にジリジリ火にかける。(時間が無い時は、切ってる最中から火をつけて焼き始めても良い)肉を弱火でジリジリ焼きながら、上に書いた野菜を適当に切る。

2.油がだんだん出てくるのでそれぞれひっくり返したりしながら、1の野菜をドバッと乗せる。バラ肉がカリカリっぽくなったら、全体を混ぜて炒める。急ぐ時はフライパンの蓋をして蒸すのもあり。

3.調味料は、酒、水、中華スープの素(やや多め)、砂糖(隠し味的に少し)、塩コショウ、あればチューブのしょうが少々、ごま油をたらす。

4.ここで味見(主に塩コショウの分量を見る為)。あれば仕上にオイスターソースを入れて、もうちょっと味を濃くしたい時はしょうゆを入れて、水溶き片栗粉でとろみをつけておしまい。

(邪道かもしれないけど、こうやって作ると早いよ。^^;)


ラーメンを食べながら、「これからは手作りも増やしたいな」と言う話をして、「セロトニンとかストレスに強い栄養を取り込もう」と言うことを言っていると、kekeは「セロトニンにはトリプトファンがいいらしい」と言う。
それからそれだけではなくて、ビタミンB6も大切だから自分はデカビタCを時々買って飲んでいる、そういうのはマグロやカツオにも含まれているらしい、と言う。

「kekeはずいぶん詳しいな。栄養の仕事も向いているかもしれないね」と言うと、「資格がなければダメなんだ」と言う。

「4月から専門学校に行くこともできるんだよ」と言うと、そんな決心はつかないそうである。
この1年はのんびり考えてもいいじゃないか、と言うと、もうそんな時間は無いと言う。

週末には車の練習をしてもいいんだよ、運送屋さんなんて向いてるんじゃないかな、車に乗っている間いろんなことを考えられるよ、と言うと、「そうなったら練習する。」そうである。


kekeを産んで3ヶ月したある日、私はへとへとに疲れ、道行くお母さんが誰もかれもが偉大だと気がついた瞬間があった。
バギーを押している人も、子供と手をつないでいる人も、みんなこうして日々夜泣きに起こされ、離乳食を食べさせ、風呂も裸のまま子供に服を着せているのかと思ったら、誰もが偉大に思えたのである。

kekeのような若者は山のようにいるのだろう、とうすうす気がつきはじめ、そちらの親御さんも皆、こんな風に時にキレたり、涙し反省したりしながら、雲をつかむような気持でこの先を歩いているのだろうか。


誰もかれもが偉大に見える。
同じように悩んできた親御さんも、悩んできた若者も。
無駄なものなんて何一つないし、答えもたぶん1つじゃない。

こう言う壁にぶつかるたびに、また1つ賢くなるような気がする。

母親の魔法

2014-03-13 | 母子家庭だから思うこと
ここで保険料の値上がりの通知が舞い込む。
そろそろ国民年金の請求も来るはずである。

そんなことを考えていたら、明け方に目がランランと輝いてきた。
ふと気づくと、kekeは布団に居ない。
相変わらず部屋で何やらやっているのである。

「keke」
と私は言い、「就活はどうなっているのだ」と尋ねると、やっているようなことを言う。

「お前は1度しか面接に行ったきり。あれからどうなっているのだ」と言う。

いつもの通り「アンタがそう言う事を言うとやる気がなくなる。」と言う。

「言わなければ何もしないから言うのだ。23歳になると税金も上がるし年金も納めなければならない。いい加減に仕事を探して働いてくれ。」と強く言う。

「お前はこの3ヶ月で何枚履歴書を書いたのか」と尋ねても答えず、「大学を辞めたのはお前の意思ではないか、それなりに風当たりが強いのは当たり前だから、人の2倍も3倍も履歴書を書く必要がある」等と言い、「税金、保険料、年金、どんどん払いが増えて、削るとしたら食費ではないか、それなのにこれマズイだの、言ってる場合か。お前の言う美味しいものを作るには市販の調味料を買わないとならないんだぞ。」と言う。
kekeはいつものように「頼みもしないのに勝手に産まれただけ」と言う。

「産んだ以上、アンタは生き長らえさせる義務がある」「こんな劣悪環境に育てられて迷惑だった」「がんばれと応援されるのと説教ではやる気に差が出る」等と言い、「それで食費が掛かってイヤならもう食事も要らない、死んでいいから。」と言う。

そんなに生きるのがイヤなら死んでもかまわん。


・・と私は内心思ってしまった。

思ってしまう。
それでもニコニコご飯を作って差し上げているのは、愛情なのか、死なれると困ると言う世間体なのか、もう自分でもよく分からん。世間一般的に、母親とは子供を永久不滅に愛せるように思われているが、最近疑問に思う。

と言うのもこの前また竹内久美子さんの本を読んで、返してしまったのでタイトルは忘れたが、動物の親子愛(残酷な面)を書かれた後に、人間の親子の虐待に切り込んだ本があって、なかなか面白かったが、その中でどこかの原住民の話が載っていた。

その原住民は、村のお祭りで若い女が何人もの男とたわむれるそうである。その結果、誰の子供とも分からない子供が授かるのだが、それが若くて育てられない、経済的に育てられない、または既に子供がたくさん居すぎて育てられない等、環境が劣悪だと地面に埋めてしまうそうである。人間には(と言うより生物全体に)、本来そういう残虐な面を持っているのだ、それを文明(見た目)によって隠している、みたいな話である。
(冒頭はパンダも2頭産むが、そのうちの1頭しか親は育てない話で始まる本である。)

「もう死んでもいいから、食事も要らない」
本気でそう思ってるらしい息子に、それでも好きなものを作って差し上げるのは、もう偽善の領域に入っている。私はこれが愛情とは思えない。

家から閉め出して、「生きたければ何処へでも行って生き延びろ、死にたければ見えないところで死んでくれ」と言いたい気分である。でもそうしたら間違いなく死ぬであろうから(23年もつきあっているとだいたい予想できる)、家でかくまっている。要約するとそうなる。


昨日は、kekeが生まれた時のことを思い出した。
あの時、あんなに可愛くて誰よりもいい子だと思っていたのに、まさかこんな風になろうとは。
こんな風とは、kekeのことではない。
自分自身の息子への気持である。

高校を卒業した辺りから、母親としての魔法は解けたように思う。
私達は、今現在いったいどのような間柄なのであろうか。

何かの機会があれば、私はもうこの家から出て行っているに違いない。
今日は心底そう思う。