きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

出産の記憶

2014-03-12 | 女だから思ったこと
まだ寒いけれど、いよいよ春が近づいたなと言う気配を感じる。

「お前、花粉症はないのか」とnanuさんが言うので、「そんなことないですよ、でも今年はまだクシャミ程度で済んでます」と言うと、nanuさんはかなりひどいようで薬を飲まなきゃダメかなと言っている。

そう言えば確かに「卒業式の頃は少しはおさまるよね?」なんて思いながら必死に過した年も(その昔には)あったので、やはり年を取って感度が鈍くなって花粉症も治まってきたのだろうか。(母も昔たしかそんなこと言ってた。)
なので「年を取るとだんだん治まるみたいですよ」と周りには言うけれど、誰もが半信半疑みたい。

「お前の子供は出産の時大きい方だったか、小さい方だったか」とnanuさんが言うのは、もう奥さんの出産が来月に迫っているそうである。
私は「たぶん大きな方でしたよ」と言う。

「出産する日は決まってるのか?」と言うので、「当時は自然に陣痛が始まってから自然に病院に行きました。」と言い、「予定日より遅かったのか?」と言うので、「1週間ぐらい遅れましたね」と言い、先輩ぶって「あれはとても痛かったですよ。1年ぐらいしたら忘れてしまいましたが。」と言い、「座るだけでも痛かったですからね。」とつけ足すと、nanuさんがそんなに痛いのか?みたいな顔をするので、ますます調子に乗って、「縫ったりするから座ると痛いんですね。」と言うと、「あぁ帝王切開か?」と言うので、「いや、そうじゃないですけど・・出入り口を切ったり縫ったりするんです。あれ?たぶんみんなそうだと思うけど違うのかな?」と私は言う、とnanuさんは言葉も無くシーンとなる。

「イスに座るだけでも痛くて、ドーナツ型のイスなんですけどね。」
と引っ込みもつかなくなり、自分で自分の言葉をフォローしてみる。

いずれ分かる事だからせめて経験談を・・と思ったが、それきりその会話はなくなった。
一応nanuさんは、出産には駆けつけるそうである。

前にもたしか書いたけど、もしも私がもう一度出産を経験する時があったら、旦那は居ても居なくても変わらないような気がするので、仕事を休んでまで来なくてもいいような気がする。
と言うより、あんな七転八倒する姿を見られたくないと言うのが本音である。

ドーナツ型のイス・・・・今でも産婦人科にはあるのだろうか。
イテテテテ。。。

両親から学んだこと

2014-03-11 | 父の記録と母の思い出
STAP細胞の論文が取り下げかと言う記事を見て、がっかりしてしまう。
(まだはっきり決まったわけではないのかもだが。)

あの聴力がない作曲家の事件もそうだが、単なるうっかりではなく、そういう意識があって世間を騒がせているのかなぁと思ってしまう。人様のことをなるべく批判しないように心がけたい、自分だって欠点だらけの人間だから・・・と思うつつ、やっぱり物を申したくなる自分が悲しい。

いつになったら人から自由になれるのだろう。
自分が精一杯正直に素直に生きていれば、他人なんてもうどうでも良いはずなのに。
最近、そんなことを考える。

そうだ、逆に考えよう。
私が両親からもらった財産はたくさんあるけど、1つは見栄を張らなくていいことだ。
私は私、このままでの私でいいや、そんな風に思えることだ。

この前さんまの「ホンマでっかTV」を見ていたら、「男は収集癖があって、女は高級品に目がくらむ」と言っていた。女は必ず宝石店があると覗いてしまうと言うのである。

でも私は宝石店にあまり興味が無い。ぶっちゃけ宝石が似合わないのである。見て「きれいだなぁ・・」と思うけどつけたことがないから、つけようと思わない。なくすと怖いので見た目だけのイミテーションで充分なのである。そもそも親が宝石店に入っているのを見たことが無いから、ものの価値が分からないのである。

その分両親は食事には金をかけていたかもしれない。
美味しい店にも(今から思えば)連れて行ってもらった気がするけれど、吉野家の牛丼でもマックのハンバーガーでもレトルトカレーでも同じように「おいしいおいしい」と両親は食べていたので、私がその価値の違いがわかるようになったのは、だいぶ大きくなってからである。

今から思うと、両親は「あれもいい、これもいい」と言う価値観で育ててくれたのだと思う。
高い寿司もおいしいけれど、牛丼も同じようにおいしいと教えてくれたのだ。
今はもちろん高い料理は食べられないけれど、そこで卑屈にはならない。
牛丼だってマクドナルドだって同じように私にはおいしいからだ。
財布に合わせてチョイスすればいいだけの話である。

人も会社も同じなのかもしれない。

学歴があったってなくたって、同じように偉いんだ。
大きな会社も小さな会社も、同じように大切なんだ。

私はこの前まで、息子にはちゃんと大学を出てもらい、大きな会社に勤めてほしかった。
自分が前にそう言う所に勤めていて、あれが良かったそれが幸せだと信じていたからだ。
でもそれは間違いだった。

どんな人生を選んでも、人に順位なんてつけられないのではないかと思う。
順位をつけることが不幸の始まりのような気がする。
驕ることも卑屈になることも、そこから始まるような気がする。

ましてやウソをついてまで人に良く見られる必要はないでしょう?
そんなことからオサラバしよう。

人と比べずに、戦わずに、今の自分で進化し続ければよいのではないだろうか。
また今日もそんなことを思う。

そんな価値観を教えてくれた両親に感謝したい。
いつかkekeにもそんなことを伝えよう。

卒恋

2014-03-10 | 友人
G子の会社がけっこうヤバいことになってると言う。
「給料も出るか分からない」とG子は言い、ハローワークにも相談してるそうである。

「あとの社員の行く末を考えてくれる社長さんもいるみたいだけどG子の所はどうかなぁ。」とメールを送ると、G子の社長さんもみんなのその後の事も考えたいし、会社ごと面倒をみてくれるところを今探しているから働いてほしい、と言われているそうである。

「でも私はイヤ。次の所を探している」と返事がきたので、「給料が1ヶ月だか2ヶ月払われないと会社都合になるんじゃなかったかな。倒産や会社都合だと失業保険も長くもらえるからすぐに見つからなくても、どうにかなる。それにT子ちゃんもあと2年で社会人だし、それまでどうにか食い繋げばいいんだよ。ただ倒産してる社員を嫌う会社もあるから、ずっと居る事がいいとも言いきれないんだけど。」とメールを送った。

それからどうしただろう?と思って、今日は時間があったので電話してみると、「今月は大丈夫そう、それからsakeちゃんの言うとおりだった」とG子は言い、倒産だと失業保険もすぐにもらえるんだって、と言う。
それからsakeちゃんの言うとおり「倒産」の履歴を嫌う会社もあるんだって、と言う。

「ハローワークに通って履歴書を書いているけど、面接にも行けない。」とG子は言う。
ただよく話を聞くと、社長さんもG子を連れて知り合いの企業に挨拶に訪れたりしているそうだ。親身になってくれている人のようにも思える。

「元旦那の浮気やら破産やら死ぬ思いだった離婚騒動の頃を思い出せば大した事無いじゃないか。大丈夫どうにかなるよ。」と私はそれしか言う事ができないが、G子は「そうだよね、あれからしたらね。私も図太くなったよね。」と言う。

「もうT男どころじゃなくなった」とG子は言い、しばらく会ってない、このまま自然消滅するかも。。と言う。

「それならそれでいいよ。別れれば新しい出会いが訪れるって言うし。」
「sakeちゃんだったらどうする?」

「私だったら?え?え?」と言い、相手がT男って想定で?想像つかないなぁ、え?どうだろう?と思いながら、私の彼だったら相談すると思う、『私達これからどうするの?』とか『どうしたいの?』とか。それで決めるんじゃないかなぁ。。。

「T男はそーいうの嫌がるもの」とG子は言い、気分が向いた時に会ってとかそんな感じ、だからもうたぶんこのままだよ、と言う。

「そうなのかな。。。」
「sakeちゃんが言うように絶対家は出ないし、不毛だもの。」
「うん。。。」
「でもなんかさみしいね。」
「そぉ・・?」

何と言っていいか分からない。
止められるものなら、止めてしまった方がいいから。
不思議なくらいに「一緒にがんばろうよ」なんて思わないんだ。
これっぽっちも。

「最後に会った日に言ったの。『私が居なくなっても淋しくない?』って。そしたらビクッて驚いて、そのうち新しい女探そうかなだって。でもあんなに驚くくらいだから少しはショックだったのかな。そう思えたからもういいよ。」
「うん。」
「私初めのころ自分で何にも決められなくてT男に怒られたんだよね。食事のメニューも優柔不断で同じのでいいとか、決めるのも時間が掛かって・・でも今はすぐ自分で決められるようになった。T男のおかげだと思ってるの。感謝してる。」
「うん。」
「でもちょっと淋しいね。」
「また次の出会いがあるよ。もしも縁があったらまた連絡が来るだろうしね。」
「sakeちゃんはどう?」
「この前は土曜に出かけたよ、そんなの初めてだったかな。」
「うまく行ってるじゃん。」
「ううん、家ではもっとうまくやってると思うよ。」

これから2ヶ月会わなかったらたぶん終わると思う、卒業かも、そう言うG子との電話は切れた。

父の隣で

2014-03-09 | 父の記録と母の思い出
父の面会に行った。

今日は良いタイミングでこれから昼食である。
先週は途中で眠ってしまって食べれなかったので、食べにくそうなもの(なめらかではないもの)から急いで口に入れた。

今ではご飯もおかゆになり、肉もそぼろにとろみがついている。
さつまいもにあんこがかかっている。

時々咳払いをすると、味噌汁を口に入れる。それもとろみがついている。
今までこの時にはスプーンに肉や野菜がついたままだと、一緒に飲み込んで咳き込ませてしまうことがあるので、何もついてないスプーンで飲ませると良い(ことに最近気づいた)。

今日はすごく調子がいい。
目も時々開けている。

おいしい?と訊くと「うん」と言う。

食事がとてもスムーズだったので、しばらくまだそこに居て、「sakeだよ」と言うがもうその言葉は分からないようだ。「おいしい」は日頃看護士さんと会話をしていて分かるが、「sakeだよ」はもう分からなくなってしまったのかもしれない。
たまに「痛い」と言い、足が?と訊くとそうだと言う。(しかし「足」と言う意味がもう分かっているかどうか分からないので、その意思疎通は定かではない。)

あとはあまり意味の分からない言葉をたまに言う。もう伝えたい事と「単語」が一致していないのだと思う。

それでも今日の父は元気だったように見えた。
この前妹が行った時も元気だったそうだ。
このままずっと元気でいたらいいなぁ。

父とここで面会するようになって、もうじき5年である。
すぐにパッと答えられるのは、自分の買った車の車検から換算できるからである。
父の面会がなかったら買う決心がつかなかったと思う。
怖くて収支をつけず(やると凹むから)おそらく少しづつ貯金を崩して維持しているだろう車だが、こうして毎週来れるので買って良かった。

もう5年だ。
早かった気もするし、でも父と一緒にカラオケに行ってたのは、すごく遠い気がする。車もとりあえず5年でなんて思っていたけど、父も元気だし通勤は倍速便利だし、たぶんこのまま今の車に乗れるまで乗るような気がする、

何を話していいかも分からず、私はこうしてぼんやり隣で座る。
妹だったら、いろんな話をしてるかもしれない。

それもステキだけど、私はこの状態で何を言っても、よく分からないことを問いかけるのもエネルギーを使わせてしまうような気がして、こうしてぼんやり座ってるよ。

そして今日も帰ることにした。
また来週来るからね、なんて思いながら。。。

フジテレビ 人狼 village5 3月7日

2014-03-08 | 巷の話題
今年の正月に姪から人狼ゲームを教えてもらってから、(実戦がないながらも)人狼ゲームを楽しんでいる私である。たまに夜中にフジテレビで芸能人の人狼バトルをやっているのを知って、最近はその過去の動画を何回も見るほどはまっている。

今日はリアルタイムで初めてフジテレビの人狼ゲームを見る。
夜中の1時半である。早寝の私がこの時間帯の番組を見るのは、真央ちゃんのソチのフリーさながら必死である。それでも見ようとするぐらい、私は燃えている。夕飯でもフジテレビの人狼を見ながらkekeに「面白いよ面白いよ」と連呼しているが、息子には冷めた目で見られている。

ちなみに現在好きなキャストは浜谷と言う人である。
見た感じお笑い系っぽいので、kekeに「あの人お笑いだったら何てグループの人?」と尋ねてみると「ハマカーン」と言う返事が返ってきた。ちなみに彼のコントは1度も見たことがないと思う。

今までは「人狼チーム」と「市民チーム」との戦いでどちらの人数が多く生き延びるかで勝敗が決まったのだが、今回から「裏切り者」と言う役職が現れた。これは人狼ではなく市民の顔をしているが実は人狼と言うビミョウな立場である。私はフジテレビの人狼ゲームしか知らないので、この役割に面食らってしまった。視聴者は誰が何のチームかどの役割かお開きで見ているから楽しめるが、実際にやっていたら「???」と言う感じではないかと思われる。

つたない感想を述べると、

●浜谷さんの1人勝ちみたくなってしまったのは役柄上、ゲームを引っ張っていかないと番組が面白くならないと言う使命感からではないか?と思われる。これからも応援したい。しかしあの七三分け(九一分け?)みたいな髪型はますます人狼に(性格悪く)見えてしまうので、前の髪型に戻した方が良いと思う。

●それに比べて狩野(俺ツケメンの人)はこのゲームに向いていないと思う。過去に何度も出ているわりにクォリティが低い。過去のVTRでも「オレ、ハイクォリティ~」と言いながら人狼で勝っていたことがあったが、いい気になるなと言いたい。

●今回の後半は水野美紀の行動がよく分からなかった。最初の投票も「え?」と思ったが市民チームのフリをしているのかな?と思ったが、最後も何故あそこで裏切り者に投票したのだろうか。私が頭が悪くて理解できていないのだろうか。

●ロンブーの淳は後半負けてしまったけど、喋りが上手いので期待通り楽しい。レギュラーでこれからも出てほしい。今まで何となくずるくてあまりいい人だと思っていなかったが、思ったよりいい人なのかも知れない気がしてきた。

●「裏切り者」が入ったことでゲームのレベルが上がってしまい、上手い人と下手な人が混じっていると圧倒されてしまってゲームが面白くなくなる。もっと上手な人をもってきてほしい。

●おぎやはぎをもう一度出してほしい。ナオタロウさんも親戚づきあいで一緒に人狼をしているとのことで今回出演したが、やはりこの人は正直な人であそこまでスレたことはできない気がする。

●自分が女だからなのか、女の行動は分かりやすいし大胆な行動が取れないので、どうしてもつまらなく見えてしまう。やはり男の方が嘘がうまいし面白い。結局女は男についていくしかないのだろうか。我が身を振り返ってもそんな気がする。過去のメンツの中では鈴木サリナがキャラは面白いけどゲームに向いてない気がする。


と言う訳で、私がぜひゲームのメンツに入れてほしい人をあげると

・ハマカーンの浜谷
・ロンブーの淳
・北村弁護士
・おぎやはぎの両方

あと誰だろう?あえて考えると
ますだおかだの岡田。
1度人狼をやっているところを見たけれど、この人全然キャラが変わらなくて逆に驚いた。
普段もあのキャラは作っているのだろうか。

千原ジュニア。
場を仕切るタイプの人は何人か居た方が楽しいのかな。

後藤何とかさん(フットボールアワーとか言うグループの人)
何となく無難。

そんな感じかな、いい加減かつ無責任に書いてしまった。アハハハ。。。(^o^)丿
誰かとこの話がしたいので、課長にも「面白いから見てくださいね(^o^)丿」と言っておいた。
早く話が通じて一緒に笑えるといいんだけどな!

ちなみに次回は3月21日の1時半かららしい。
またたぶん見るだろう。

最近のkeke

2014-03-07 | 息子keke
家に帰って着替えていると風呂場がもうもうとしているので「?」と思い、開けてみると風呂のフタが開いたままである。

「keke~!風呂入ったの?!」と言うと、入ったと言うので、「風呂のフタが開けっ放しだよ!!」と言うと、「お湯を抜いたつもりだったけど、抜いてなかったっけ?」と言う返事である。

私はハッと気づく。

昨日社長の悪口を書いてしまったが、自分も家に帰れば同じ。
風呂のフタをわざわざkekeが開けっ放しにするわけがない。お湯を抜いたつもりで忘れてしまったのだ。
それを鬼の首を取ったように「開けっ放しだよ!」と責める自分。この言い方。
これではまったく彼と同じではないか。。。

そしてドア越しにひきこもっていたかつてのkekeを思い出す。

「また学校に行かなかったのか?!」有無を言わせず、行かない子供を責めるあの態度に問題はなかったのか。こちらがあんな態度をしていたからドア越しでなければ会話が成り立たなかったではないか?


それにしても最近のkekeは変わった。
私が怒りだしても冷静に考える目を持ち始めたように思う。

この前、私が図書館から借りて読もうとしたある本が探してもどこにもない。
探しても探してもどこにもないので、「新幹線に乗ったkekeが持って行ったのでは。」と思い始めた。
しかしkekeが「読みたいから貸してくれ」と言った本ではないし、勝手に疑うと怒ると思ったのでしばらく黙っていたが、どうしてもそれでもまた探しても見つからないので、おそるおそる「○○と言う本を知らない?」とメールしたら、「ごめん。持ってきてた。」と返事がきた。

kekeが「ごめん」と言ったのは生まれて初めてである。
あまりに画期的なのであのメールを待ち受け画面においておこうかと思うぐらい驚いた。

それからお皿も洗ってくれるようになった。
3日に1度ぐらい(あまりにたまってしまう時)頼むとやっておいてくれる。


昨日は夕飯を食べていたら、私の電池は切れてしまった。
(もう電池が切れたように動けなくなってしまうのである。)
そして、こたつで寝てしまったら、kekeは悪いと思ったのかTVをつけずに静かにご飯を食べていた。

どうにか起きて布団に入ったがカーテンを閉めるのも辛くて「後で、立ったついでいいから部屋を出る時カーテン閉めてほしい」と言ったら閉めてくれた。毎晩本を見ながら電気をつけながら寝てしまうけど、朝になると消えている。

今この先kekeが出て行く日が来たら、ちょっと淋しくなる。
でもその日が来たら応援したい。

もしも願わくば、どこか働ける場所がみつかればいい。
学生は学校で先生がいろいろ世話してくれるだろう。募集も入ってくるだろう。
新卒と言う名目で。

それを思うと、とても可哀想な気がする。
でも仕方ない。
正しいも間違っているも、何が間違っていたかも今の私には関係ない。
今の私はこんな風でいて、もう全てを受け入れる覚悟でいる。

事務所の一日

2014-03-05 | 今の会社
Aさんとnanuさんと秀クンが打ち合わせをしている。
ガラガラガラとホワイトボードを運んで、この日は誰がどこに行って、それからこっちではこれがあって、と手配している。消費税前もあり、3月と言う時期もあり大雪もあったりして、あちこちで忙しくなっているのだ。

sakeさん、4月のカレンダーも大きく作って、とnanuさんが言う。
A1サイズでねと言うがエクセルの書式でA1と言うのがどうも見当たらないので、A3で作って引き伸ばしてみた。
「いいねぇいいねぇ」と秀クンが言う。

「そのファイル、オレに送って。」
秀クンはそう言って、スケジュールを書き込んで、A1に引き伸ばした。
とても楽しそうだ。


昨日はTUKAさんが新しい車でやってきた。
噂でよく聞くアクアと言う車である。

私は自分がモコを買った日の事を思い出して、TUKAさんに「新車いいですね~」と声を掛けた。
TUKAさんは「これ、燃費がすごくいいんです。」と言う。

「やっぱり車は白ですよね。」と私は言う。
「(私の)父は車の仕事をしていたんだけど、いつも白い車だったんですよ。」と言って、「自分の車は洗車機かけないように言われているから、洗うのが大変なんです。ほらあの色だから・・・」と私は言う。

「sakeさんはどこで洗っているんですか?」
「コイン洗車場と言うところですよ。」

TUKAさんは「この車も洗車機にかけないようにと言われました。」と言う。
私は自分の車が茶色だからキズが目立つから洗車機にかけられないのかと思っていたが、白でもダメなのだろうか。知らなかった。

TUKAさんのナンバープレートを見ると数字を選んでいるみたいだが、誕生日でもないし、いったい何の記念日なのだろう?と思い、TUKAさんに「このナンバーは何の番号ですか?」と訊いてみた。TUKAさんは「本当は誕生日のはずだったのにトヨタが間違えたんです。」と言う。もういいやと思ってそのままにしているそうである。
お金払ってナンバーを選んだ意味がないのでは・・・?と思うが、TUKAさんはO型なので太っ腹なのだろう。


1時を少し過ぎた頃、秀クンとAさんが慌ただしく戻ってきた。
「まだ社長が戻って来てない。」と秀クンは言い、「1時にここでって約束したから急いで来たのに。」と言う。

「もう出掛けるから電話しよう。」と言うので、「社長にですか?」と言うと、「15分から次の約束があるから(居ないなら)もう出掛けますと言わなきゃ。」とスマホのダイヤルを掛けている。「社長にそんなこと言うんですか?」と言うと、「だって約束の時間に居ないからね。」と秀クンは言い、社長にそれを言えるのは社内で彼だけだよと言うAさんの言葉を思いだした。

「もうすぐ着くって。」と秀クンは言い、またみんなそれぞれ出て行ってしまった。

私は1人できのこの山を食べながら、今日も楽しい。
私、仕事には恵まれているのかもしれない。

ありのままの自分を受け入れるレッスン

2014-03-03 | 母子家庭だから思うこと
kekeが大学を辞めてひきこもるようになってから、私は図書館で心理学の本を借りるようになった。

その中で必ずぶつかるのは「ありのままの子供を受け入れる」と言う言葉である。当時はその意味が理解できなかったのだ。何故なら私は「ありのままの息子」の姿を受け入れられなかったからだと思う。

私にとって息子は、生きて行くための旗印だったのだ。
母子家庭で「不幸のかたまり」と思われていた私が(今思えば、そうみなす方もどうかと思うのだが)、それを見返してやる手段に息子を利用しようとしてしまったのだと思う。はっきり言いたくないが、分かりやすく悪く言えばそうなる。

だからあの息子が大学に行かなくなった時期、私はあの子をしっかり愛せていなかった。どうしても大学を出てもらわなければ、その条件がなければ愛せなかったのだと思う。あの時期は今から思うとkekeを突き放してしまっていたと思う。謝らなければならない時期だったと思う。

そしてその時期に「ありのままの自分を愛してもらえないまま大人になると、同じことを子供に繰り返す」と言う概念を本で知って、「よもや」と思い始める。
そうだ、私はありのままの自分を認めてもらえた記憶があまりないのでは?

なんでだろう?
考えてみると、幼稚園や小学校の半分はずっといじめられてきたので、私は迎合と言う自分を押し殺して、相手を持ち上げる事でコミュニケーションを取ってきたからだ。いつも相手に気を遣って、自分が思うこと、自分が言いたい事を飲み込んできてしまったからだ。いじめられるのが怖くて変人にされるのが怖くて、多数決では多い方にわざと手を挙げていた、とにかく空気のように目立たない事を望む人間になっていたのだ。

もしかしたら離婚もあるのかもしれない。2度目の離婚はあれはちょっと相手もひどかった。父や妹も最初こそ話を聞いてくれたけど、いつまでも相手にしてくれない。フォローをしてくれるところが無かったんだ。あれも1つの要因かもしれない。

でも祖母はありのままの私を愛してくれていたし、両親もだんだんと認めてくれるようになったから、悪いことばかりではなかったはずなのに、よく考えてみると、たしかに私が安心して心を許せる場所がどこにもないのだ。
結婚していれば夫とか妻なりと言う存在があるのに、私の場合は逆にそれが裏切られた形で爪あとまで残っているのである。

だから心を許しても、かならずいつか報復を受けるような気持になったし、実際にたいていの人は困った話をすると「頑張りなさい」「あなたを変えなさい」ということを遠まわしに言ってくる。それが悪いことではないのだけど、私のとってはうまく機能しない。私が良くなるように「こうすればいいよ」と言っても、それは遠まわしに今の私を否定する事にすぎないから、やがて傷ついてしまう。
私に必要なのは「ありのままの私を受け入れてくれる」ことだったからだ。

でも、本を読んでまた知ったのは、それを他人に委ねてはいけないらしい。
私がありのままの自分を認められずに育ってきたように、他の人も完璧じゃない。それに他の人は他の人で家族や大切な人がいたり、私と同じように自分で自分を修復する必要があったりするから。
だから、自分の心は自分でメンテしないとならないのである。

ありのままの自分を自分で認められるように、自分で誇れるように、自分の考えを述べる練習をしている。
それと同時に、ありのままのkekeを認める、近くにいるありのままの彼を認める、それから周りの人。損得関係無しに良い所も悪い所も分かりながら、その人を好きになる。そういう練習をしようとしている。

それをしていかないと、まだ勝った負けた、誰かと比較することで自分を維持する世界に戻ってしまう。
自分の価値観をちゃんと固めておかないと、誰かに何か言われるとグシャとなってしまう。それが悪いわけではないけれど、もともとが気が弱いから人の間に入っていくのを目指していくと、また迎合する癖が出てしまう。

人と比べること、何か(例えば見栄の様なもの)を見せること、人から見られる意識、そういうところで自分を奮い立たせようとすると、ずっと心は休まらないような気がする。
そうやって考えていくと、やっぱり「ありのままの自分を受け入れる」ことの大切さをまた思い知る。

だから今の自分はとても不完全な状態だと思う。
自分を守るために、人を思いやれない状態なのだ。
でもどうしても今ここでやっつけておかないと、この先変われない。

頑張ることで、人にほめられることで、維持することも悪いことではないけれど、そうしているうちは私は自分の子供をありのまま愛することができない。
本当に心から自分に自信を持てるようになって、初めてkekeの親になれるのではなかろうか。

今考えていることは、そういうことだ。

ブログを書くことについて

2014-03-02 | 読んだ本
「生きづらい時代の幸福論」諸富祥彦さんの本を読む。

この本は以前紹介した「死ななくてすむ人間関係の作り方」と言う本を書いた方である。アマゾンレビューによると後半はこの方の半生が記されているそうなので、関心を持ち借りてみた。

1章~3章までは心理学者や用語が出てきてちょっと難しいなぁと思いながら読んだが、最後の4章が面白い。本当にこの先生の半生が生々と書き上げられ、7年のひきこもり時代の心境や、3度の自殺願望、それも最後の20代半ばのものについては、身体までおかしくなり心底死にたいと思ったが、そこからどう這い上がったかが書かれている。
やっぱり、面白い。

これを読んで「自殺する人を救えるのは、自殺しようと思ったことがある人だけ」だと思った。リアル感がハンパない。やっぱり経験がなければダメなんだ。病気も失恋も、結婚も子育ても、家族も親のことも全て全身で入り込んでみなければ分からない。そしてそれが分かるから、「あ、その経験は私は無いから何とも言うことができないよね」と引き下がる事もできる。


正直、最近ブログがちょっとイヤになっていた。
文章を書くのは好きなので書くのは全然苦ではないけれど、それをわざわざ公開する意味があるのかずっと考えていた。

私は割りと真剣に正直に生きていて、ブログも正直に内情を書いているので、何か言われると自分が否定されているみたいな気持になってしまう。だから結局自分を守るために言い返してしまう。でもそうすると今度は相手を傷つけてしまう。どっちに転んでも、いい気持がしない。

書かなくても死ぬわけじゃないのに勝手に書いて、自分も気分が悪くなって人も気分を悪くさせることに意味があるのか、最近ずっと考えていた。少なくてもその気になればもっと当たり障り無く誰とでも仲良くできるようなものにもできるのに・・・。

でも、今日この諸富さんの本を読んで、自分が感じたこと、歩いてきた道、そういうことをありのままに正直に隠し事無くさらけ出すのはいいことだな、って思った。そこにエネルギーがある。真剣、まっさら、正直、なすがまま、こういう姿勢は人の心を動かすと思った。
少なくても今の私は、そういうものを信じる。

人はみんな服を着て歩いている。
こう見られたいと言う願望や見栄のようなもの、それからあと何だろう、今ちょっと思い浮かばないけど、いろんな見えたい欲望。そういう類のもの。

私もそういうものはまだあると思う。完全には拭い去れないけれど、果敢にこれから挑戦したいと思う。
そういうものをできるだけ剥ぎ取って、正直に生きていきたいんだ。私の悩む姿も他の誰かの励みになるかもしれない。100%まっさらはなかなか難しいと思うけれど。

少なくても自分の本当の幸せは、そこにヒントがあるような気がする。
まっさらの自分、それを自信を持って送り出せること。
悲しみも悩みも、わがままも、時にメチャクチャな自分のそういうところを全部見せても、自分を裏切らないでいられること。

それを読んでちょっと安心できる人がいたら、さらにうれしいな。

3月1日

2014-03-01 | 父の記録と母の思い出
今日も雨が降る。
この時期の雨は降るたびに暖かくなって春に近づくと母が言っていた。

他にもたぶんいろんな言葉があったはずなのに、この時期雨が降るたびに思い出すのはこの言葉で、もうそれはきっと忘れない。

面倒を見きれなくなった鉢植えを引き取ってもらったこととか、離婚した時に『二人でお酒を』をいっしょに歌ったこととか、今思い出すと懐かしい。

親子だったからなのか
もう今は会えないからなのか
思い出すのはいつもいいことばかり。

雨はどんどん雪をやわらかくして、強くなった日差しで溶けていく。
先週の今日は「いつになるんだろうね」と言ったはずの雪がだんだん溶けていく。

今年ほど桜の季節が待ち遠しい年はない。

誰かと一緒の方が楽しいかもしれないけれど、1人でもいいから出かけよう。
30分でいいから、桜が散るのを観ていよう。

私は大丈夫だから、って言ってみよう。