きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

手作り料理(煮込みハンバーグ、キャベツですき焼き)

2014-12-19 | ぶきっちょさんの家事一般
昨日しぶがき隊のフッくんがTVに出ていた。
白髪まじりの髪型で、奥さんと娘が出て行ったおうちでビビンバや自前のぬか漬けでめちゃ自炊していた。ヒロミも久しぶりにTVで見たと思ったら遠くの川まで釣りに行き、川べりでのんびり沸かしたお湯でコーヒーを飲み、パイプで煙草をふかしていた。

たしかフッくんもヒロミも私と年がほとんど同じぐらいなはず。私も今年初めて梅酒を作った。来年は倍にして作ってもいいかなぁと思っている。

昨日ブログにちらっと登場した煮込みハンバーグ。

デミグラスソース缶1缶と、赤ワイン90cc、水200ccに味付けはケチャップとコンソメ。
 (参考)http://cookpad.com/recipe/700754
たまたま生クリームもあったのでたらしてみた。

煮込みハンバーグで煮込んだソースが残ってしまい、もったいないので、これでロールキャベツを煮ることを思いついた。(食べるのは今晩、まだ食べていない。)
別鍋でコンソメ味でじっくり中まで熱を入れてから、デミグラスソースの鍋に移して少し煮たところ。


ここでロールキャベツを作るのにキャベツを丸ごとゆでてしまって、ゆだった葉っぱを早く使おうと、すき焼き風に煮込んでみる。


たまたま半額の牛肉(ばら肉)を見つけたので買って、冷蔵庫にある豚ばら肉も入れてみた。豆腐の下にはロールキャベツでゆでたキャベツを切ってしきつめた。
味付けは砂糖・みりん・しょう油を大さじ2づつ、それに酒と水を適当に入れる。(砂糖・みりん・しょう油の割合はケンタロウのレシピを参考にした。)

キャベツですき焼きなんてどうかなぁ~?と思ったが、おいしくできた。kekeも食べていたので、まあまあうまく行ったのだろう。


まだ元夫と暮らしていた頃は、料理本にある同じ材料を揃えなくては気が済まなくて、すき焼きと言うとどうしても春菊を買ってこないとならなかった。元夫に「白菜でいいのに」と言われてケンカした。

そんなことを思い出した。(苦笑)

あれから20年以上経って、初めてのキャベツですき焼き。
でも、おいしい。

暮れせまる忘年会

2014-12-18 | 今の会社
昨日は仕事関係の有志で忘年会をするそうで、うちの会社では社長とAさんが行くらしい。

夕方Aさんから電話がかかってきて「(別件があって)このまま直接会場に行くから」と言うので、私は社長室をチラッと見ながら小声で「たぶん社長は誰かが送ってくれると思っていると思いますよ、どうしましょう・・・」とヒソヒソ言うと、「そう思ってI山さん(内装屋さんの社長)に社長を送ってくれるように頼んでいるから。」と言う。

I山さんとは私と学年タメで、どこか近藤マッチの匂いがする人である。両方とも学年タメなので勝手にマッチと似ている気がするだけかもしれないが、私の中では大きなひとくくりになっているのである。
容貌とかはマッチのようにカッコいいわけではなく、マッチを「味のあるヴィンテージジーンズ」とするなら、I山さんは「スラックス」と言う感じである。でも同じズボンとして私の中ではひとくくりになっている存在なのである。

私は電話を切って、「Aさんは直接会場に行くそうですけど、I山さんがこちらに向かっているそうです。」と言うと、それなら分かったと言う。
(こういうこともイライラしてから言い出すと火にアブラなので、そうなる前に報告(火消し)するのが常である。)

その時電話が鳴る。
製本屋さんからである。
「依頼を受けていた製本ができました」と言うのである。これも社長が明後日持って行きたくて気にしていた製本である。「明日中に絶対だからな」と3度ぐらい言われていて、私もだから「早く早く絶対早く」と言う感じでオネガイしたので、明日仕上がる予定が今日の今、仕上げてくれたのである。助かった。

「じゃ、私は製本を取ってきます。」と言うと「そうか、もう鍵は閉めちゃうから(ちゃんと鍵ももってけよ)」と言う。
私はいつも持ってますよ・・・と思いながらハイと答える。

その時I山さんがやってくると、二人はあっと言う間に車で出て行き、結局鍵は私が閉めて出た。

製本屋さんではただ取りに行っただけなのに「こんなに遅くにご苦労様」と言われ、またまたクオカードを頂く。「会社ではなくあなたがもらっていいのよ。」と女主人さんに言われてたいそう喜ぶ。
この暮れ、お歳暮OROからのクオカードに続き、ここでもクオカード。
気持を明るく真面目に働いているといいことが続く。

まだ6時になってないのでしょうがなく会社に戻ると、電話が鳴っている。
このメロディーはいつもよく耳にする社長のスマホ。会社に置き忘れたのだろう。着歴を見ると「I山携帯」と出ている。

社長がスマホを失くしたのか、忘れたのか分からなくて探している様子。折り返そうとすると会社の電話が鳴る。
「あぁI山さん、社長の携帯鳴ってます。ここにありますよ。」と言うと「会社にあるって!」とI山さんが向こうに返事している声が聞こえてきた。

(やれやれ・・)と思って、またしばらくするとI山さんから電話がなり、「sakeさん、社長が帰る時に届けてくれだって。」と言う。

えぇ・・・・と思ったのは、彼らの飲み会が街中なのである。あそこらは一方通行があちこちにあり、駐車場もどこだか分かりやしない。駐車場を探しているうちに何をやらかすか分からないので不安なのだ。

「それでは試みてみます。。。」と消極的に返事をすると、I山さんは「え?場所は新しく移ったあの店の方だよ」と言うけれど場所はググれば分かる。私が不安なのは駐車場にちゃんと止められるかどうかなのだ。ほんとに人騒がせな。

走りながら
「そんな飲み会場に行ったら(みんな顔知ってるし)sakeさんも一緒に飲みなよ、なんて言われるかも。」
そんなことを考えた。
困ったなぁ・・今日はコートを脱ぐ予定がなかったから、服もタイツもよそ行きではなく毛玉だらけ。私は人に見せる用の服と、家用の服と、その中間(コートの下だったら外出OK)と、3つぐらいチームがあって今日はあまりコートを脱ぎたくない組合せだったのだ。でもいいか。。。

煮込みハンバーグも作ってあるからkekeにメールで知らせれば大丈夫かなと思い直し会場に向かう。

そして会場につくとAさんが「sakeさん!どうしたの!」と言うので「これ」と社長のスマホを見せると、社長はあっちだよと言われ、女性に取り巻かれている社長の所に行こうとすると、I山さんが「sakeさん、ありがとう」と持って行ってくれた。

その後2~3秒立ち尽くすが、皆さんそれぞれ飲み会で盛り上がっており、誰からも何のリアクションもないまま、気づかれもしないまま、私は会場を後にして家に帰ることにした。

やなせさんの特製野菜スープ

2014-12-17 | 読んだ本
昨日スープを作って飲んでいたら、みるみる元気になってきた。
コトコトじっくり煮たスープが「だいじょうぶだよ~ヽ(^o^)」と体の中から声をかけてくれている気がする。

この寒さなのに温かい。ゆったりしててやさしいこと。
そういうことが心を癒してくれるのだな。

読み終えたのは、やなせたかしさんの本である。
「93歳・現役漫画家。病気だらけをいっそ楽しむ50の長寿法」という長いタイトルの本。
93歳を迎えたやなせさんが「自分はこんな風に養生してますよ」という健康への留意点が書かれているのである。

ここに偶然「20年間、特製野菜スープを飲んでます」という話が書かれていて、そのスープの作り方は昆布とかつおぶしで取ったダシで、冷蔵庫にある野菜をあれこれ粗みじんに切って30分煮込んで、塩とお酒で味付け、最後におろし生姜を入れるもの。そしたら老人斑やシミが消えていったそうである。(前の晩にスタッフの人が作ってくれるらしい。)

今ちょうど、昆布もかつおぶしもあるし、生姜もいつも使い切れなくて困っているので、やってみようかと思う。
毎日と思うと無理がかかるから「なるべく」。お肌がそれできれいになったらいいな♪^^


最近、食事を作るようになって明らかに変わったことがある。
お通じが良くなったのだ。

最初は偶然か?と思ったが、ここの所ずっと調子がいい。口では「長く生きてても、この先ろくなことなんてありゃしない」と言っているくせに、こうして便通が良くなるだけで喜んで毎日野菜スープを作ろうと思う自分・・・言っていることと、やっていることが矛盾しているのだ。でもいいか。長寿を心懸けることは。


やなせさんも体中手術だらけ・病気だらけだったそうである。それでも書かれている文面は明るく、病気だったら病気であることも楽しんでいるような感じ。糖尿病で血糖値を測るのが億劫なので、血糖値を測るのを趣味にしてしまったそうだ。何を食べるとダメ、何を食べるとOKとか、研究していったようである。
だから本にも、「うなぎはタレとご飯を減らせばOK」「ビフテキは濃厚なソースを止めて、ポン酢と白ワインビネガーを合わせたタレならOK」「お寿司もご飯の量を減らして大トロを除けば5個までOK」と書いてある。

ほんと、ものは考えよう。
最近、ちょっと冷えるとひざや足首が痛くなるので、ハイソックスの上の部分(かかとや、つま先が破れて来ると足首から切って上だけにする)足首やひざにはめている。

そのたびに「昔はこうではなかったのに」と残念に思うが、考えようによってはまだ今は歯も全部そろっているし、ぴょんぴょん歩ける。やがて歯も悪くなって食事もやわらかいものになり、歩くのにも杖をつきながらゆっくり歩くようになるのだろう。

できなくなったことより、今何でも食べられることや、普通に歩けることを喜ぼう。(^o^)丿その方が楽しいものね。
これぞまさに、やなせ流なのだ。


今日はミートソース。
具材を炒めて、トマトピューレと赤ワインで煮込んだ。味付けはコンソメと塩コショウ、オレガノがあったのでそれも入れてみる。

温かい下着と温かいスープ

2014-12-16 | ぶきっちょさんの家事一般
寒いなーと思ったら、今日の予想最高気温が6度。これは東京では一番寒い1月下旬の寒さである。
寒いわけだ。

今年はしかし新たな大発見をした。
よくヒートテックと言われる下着。私はイオンで買ったのでヒート何とかと言う別名なんだけど。それを2枚重ねにすると温かいんですよ~!(^o^)超薄地を2枚重ねにしてます。

・・・って知らなかったのは私だけでしょうね。ハハハ・・・
11月になって寒くなってから思い切って2枚重ねして着てみたら、温かくてビックリしました。さすがにこの寒さでは上にシャツもカーデガンも羽織ってます。下には子供が中学生の頃に着てた裏地がしっかり入ったズボンを履いてますが、昨晩はエアコン入れなかった。(^_^;)

昨日は寒さにふるえ、家に帰ってもkekeもおらず、コドク染み入り「もう今日は料理しないゾ」と思いながらも、冷蔵庫にとっくに賞味期限を過ぎてると思われる生揚げが(もうやばいよ)と訴えてる気がして、台所に立つ。
(パックから取り出してしまったので賞味期限が分からないが、たぶんとっくに過ぎてるはず。)

豆腐の部分を触るとちょっとヌメっとしている気がしたりしなかったりで、豆腐の場合はこれでボロボロボロと崩れる時は捨ててますが、生揚げ自体あまり買わないのでよく分からず、でもギリギリ・・・と信じて使うことにしました。
昨日取っただしの出がらしがまだあるので、それを鍋に入れ火にかけ、その出し汁で冷蔵庫にあるれんこん、大根、玉ねぎ、冷凍してあったキューブのニンジン・・・これらをコトコトと煮て、1人なのでご飯をたくのももったいなく、餅をトースターで焼いたものを入れる。味噌汁を加えて最後にゆずの皮と青ネギを・・・。


お惣菜を買わなくなってから2ヶ月近くになった。
惣菜を買わないようにしている訳ではないが、冷蔵庫に野菜や肉が入っていると、それを傷んでしまうのが心配で、こうして毎日台所に立つ仕組みになっているようである。

自分でこれがいいとか、エライとか思ってはいないし、思ってはならない、そんな気がする。
でも昨日(日曜)もそうだったのだが、そればかりやっていると(もともとが家事キライなので)この日何をしていたのか分からなくなってしまう。そんな時「私こんなにがんばってるのよ」と思うしかなくなってしまうのがイヤで、それならむしろ、あまりやらずに、のんびり過すことを目指したい。

今日なんかは無理なくチャチャッと食べれたので、かなり合格点だ・・・そういうことにしよう。

余り無理をすると、昨日のように心にスキマができて、思わぬ孤独が忍び寄る。
1人=孤独ではない。
心が満たされなくなるのが孤独なのである。

ホットスープで心を温めて、今日も歩きだそう。(^o^)丿
※生揚げは結局大丈夫だったようです。あれからお腹も異変が無い。

選挙

2014-12-14 | 父の記録と母の思い出
午後まで待ったが、kekeはオンラインで何かしているようなので一人で出かけた。

こうしてみると選挙は家族(夫婦)で投票に来る人が多いことに気がついた。見回すとひとりで来ているのは自分だけのような気がする。(たまたまかもしれないが)

投票できるようになった二十歳の頃は親が投票に行くと言うのでついて行った。両親は必ず投票に行っていたし、家の中では「投票には行くべきもの」という空気があったように思う。(ただ、妹がここで一緒に行ったことはまったく記憶に無い。)
両親に「誰に入れるの?」と尋ねると、ちゃんと答えてくれたが「そこに入れろ」と言われたことは無い。何となくそこには曖昧な、ぼやけた空気があったように思う。でも私は当時サッパリ政治に関心がなかったので、それでも投票に行かなければならない空気があったので、たぶん親と同じ投票をしていたように思う。

そして実家を離れて、結婚していた頃は選挙に行っていないように思う。
そもそも元夫はそういうことに関心がない人であった。家人でそういう空気があると、強い動機(支持)が無い限り「それじゃ一人で選挙に行ってくるわ」とはなかなかなりにくい。ハナから政治の事は分からないのだから、下手に行ったところでそれが正しいことなのかどうかも分からない。

だから、投票所に行くと夫婦連れが目立つのではなかろうか。
今日はそんなことを考えてしまった。

それから離婚して勤めた先は、社長の遠い親戚が立候補していることもあって会社ぐるみでその人を応援していた。「知り合いには誰それさんに投票するように声をかけろ」と言われ、私はそのまんま素直に実家に行った時に「社長の親戚の○○サンに入れてほしいの」と両親に言った。

すると二人は「分かったよ」「私のあの人はいいと思ってたよ」「あの人は悪い人じゃないよ」等とニコニコしていた。
その人は与党でもなければ第二政党でもない。明らかに落選するようなポジションであったし実際に落選した。今振り返ると、そうでもなければ両親が入れるとはとても思えない人である(ように思う)。

そんなことを思い出して今になると泣けてくる。

あの頃は大変だったと思う。
初めての子育ても、(一方的に責めるつもりはないが)家庭的とは言えない元夫や離婚したこと。
1人で子供を育てたこと。

淋しかった。

でも両親に会えること楽しみだった。

帰れるものなら、もう一度あの日に戻って両親に会いたい。
(でも、もうそれは叶わない。)


昨日のボルシチはパスタにして1人で食べる。

二度目のボルシチ

2014-12-13 | ぶきっちょさんの家事一般
チャンチャカチャカチャカチャンチャンチャン~♪
QP三分クッキング。

昨日の赤いカブを使ってボルシチに挑戦しました。

と言ってもボルシチ・・・どういうものか実はあまり知りません。(^_^;)
sake家の実家では「ボルシチ」なる料理は登場したことがなかったのであります。

しかーし、それでも50年生きているとボルシチなるものについても何らかの思い出があったりするものです。そう言えば私は今までただ一度だけボルシチを食べたことがありました。

それは振り返るに20年以上前のある日。。。
kekeがまだミルク飲みの赤ちゃんだった頃であります。

私は初めての赤ちゃんで四苦八苦していたのでありますが、kekeの父親は昼間からパチンコに行くことがたびたびありました。割と仕事も休みがちでのらりくらりしていた頃です。

あまりにそういうことが多かったのである日キレたんですね。
それで父親にkekeをドン!預け、家を出てしまいました。

・・・とは言ってもkekeのミルクの時間も気になるし、そんなに遠くにいけるはずがありません。
そのうちキューとおなかがすいてきました。

そしてそこにあるファミレスにぶらっと入ります。
ファミレスに1人で入ることなんてたぶん初体験だったことでしょう。

そしてカウンターに座り、メニューを見て「ボルシチ」を注文したのでありました。
何でその時ボルシチだったのでしょう?
(たぶん値段が安くて手ごろだったのだと思う。)

そして運ばれてきた生まれて初めてのボルシチをパクパクパクと食べて、また家に戻ったのでした。それが私のボルシチ、唯一の記憶。。。。


そう、そのボルシチを20数年ぶりに作ることにしたのである。
作り方はもう適当である。

フライパンでニンニクのみじん切りを炒め香りが出た辺りで、玉ねぎ、ニンジンを炒め、煮込み用の鍋にうつし、牛肉も軽く焼き、鍋にうつし、水を入れてコトコト煮込む。赤カブも適当に切って入れる。長い時間コトコト煮て、肉が柔らかくなってから、トマトの水煮を入れ、味をみながらコンソメ顆粒、塩コショウ、トマトの酸味が私は苦手なので砂糖も少し入れた。

これで良いのか分からないまま、「こんな感じでないかい?」みたいなノリで煮込んだものがこれ。

ジャーン。

そして試食。

・・・・・これってミネストローネじゃないの?

あの時のボルシチってこんな味だったっけ?牛肉が高いから分量を半分にしてしまったせいかしら。(^_^;)
でも、カブも違和感なくおいしく食べられるのでこれはこれでいいのかもしれない。

そしてこれが人生で二度目のボルシチ(?)・・・である。

今日の料理(赤いかぶでめげる)

2014-12-12 | ぶきっちょさんの家事一般
昨日は赤いカブを買ってみました。(^_^;)

大きなカブ。2個で330円。ちょっと高かった。

買って気がついたけど、どう料理するか考えていなかった。
とりあえずこの前のように「ゆず風味の浅漬け」を作ってみる。

当たり前だけど、この前と同じような味。

そして煮物も作ってみる。

煮物は赤い色が汁に出てしまってビミョウな気もするがまあまあおいしくできたと思う。
肉団子は急きょ鶏ひき肉にネギとしょうがのみじん切りを混ぜて、あんかけで使い切れずに残った片栗粉があるのでそれも混ぜた。味付けは塩コショウ。

【備考】
よく八宝菜などにつかう片栗粉に水を溶かしたあんかけ。
あれで残った時はそのまま放っておくと水と片栗粉が分離するのである。(片栗粉が底に沈む)
上の水だけを捨ててさらに放っておいて乾燥させると片栗粉だけとなって、それはまた再利用することができるようだ。(これも高山なおみさん本からの知恵)

もういい加減にお腹がすいて、がっつり食べたいと思い、最後のド根性でお好み焼きを作った。

限りなくキャベツのお焼きに近い。


・・・・ふぅ。。。(+o+)

時計を見ると夜10時。
もうぐったり。

もう就寝の時刻である。
なのにこれから20分も歯磨きをしないとならない。
(この前また歯医者で怒られて、再チェックを受けないとならないのだ。)

kekeはもう寝ている。

やはりこの生活にはムリがあるのではないだろうか。。。。


10時になってべらぼうに腹が減り、半分kekeに残しておくはずだったお好み焼き(キャベツのお焼き)も全部食べてしまい、翌朝コンビニでkekeに菓子パンを買ってくる。

何だか本末転倒。。。(+o+)これ以上自炊を求めるのは無理っぽい。少しめげる。
(こういう歯止めのかからない自分がキライ)

OROのおねがい

2014-12-11 | 今の会社
OROから電話があり「11時ごろそっちに行くから契約書をとじて。」と言う。
何を言っているのか?とよく聞いてみると、契約書をホチキスで止めてお宅みたいに製本テープで止めてほしいと言っているようだ。袋とじのことを言っているらしい。

ほんまかいな?わざわざ来なくても言ってくれればやり方をFAXで教えてあげるのにそれで文房具屋で製本テープを買えばいいのでは・・まぁいい。
それから私も私でお願いごとがある。奴んちは畑があって、お父さんが本職より畑仕事に精を出していて年中野菜を作っている。この前もnanuさんが「OROの所からブロッコリーと大根をもらったから、うちの食事が野菜ばっか」と言っていた。もしも、もしもでいいからその野菜をもし持て余すようなことがあったら、うちにも分けてもらおうというオネガイである。そうすればまた食事代が浮く。
製本テープと引き換えに、思い切って交渉してみよう。

しかしその間も急きょ社長の契約が決まり、こちらも契約書を作らねばならなかったり、Aさんから見積もりを作るように頼まれたり、2週間ぶりの紙ゴミの日でまとめなければならなかったり、それらがひと段落するとOROが来た。

OROは「これ」と言い、やはり想定通り「これを製本テープで袋とじにして」と言う用件のようである。ついでに請求書も持って来て「今日は早いでしょ」などと図々しく言う。

「実は私もお願いがあるんです。」と言い、「今度野菜が余ることがあったら私にもください、車で取りに行ってもいいです。」と言うと、「もっと早く言えばいいのに。」と言う。

「最近、料理にはまっているんです。消費税も上がりましたから。」
「sakeさん、外食しないの?」
「しませんよ。」

外食なんてもともと、もう10年以上してませんよ。マックと牛丼屋以外では。
さらに御惣菜も弁当も買うのをやめたんです。アベノミクスに対抗するためです。

・・・・と言おうとしたが、人の話は聞いちゃいない。
それではと製本テープを取り出し渡されたものを袋とじにしてあげるが、それを見ている様子でもない。
彼は袋とじのやり方を覚えなくていいのだろうか。それとも今後もこのように契約書を作る時はこうしてわざわざここまで来るのだろうか?

そして「御礼にこれあげる。」と言って帰って行った。
袋をあけると、クオカードが入っていた。

え!ほんとに?!
超ラッキー(^o^)丿


会社では(知らぬうちに)年棒制になっていたが、この前もお歳暮が回ってきたり(結局牛の焼肉にしました。^^;)今度はクオカード。(あとでよく見ると5000円。500円と勘違いしたのではないだろうか。)
きっと両親やご先祖様が見守っていてくれてるんだろうなぁ~(^o^)丿sakeまた来年もがんばるね~



これはイワシのフライ。
半額のイワシを買ってきて、この前コロッケを揚げた時のパン粉と小麦粉を冷蔵庫で保存していたのでそれで揚げる。
付け合せは前に作ったサーモンサラダの残り。きれいな盛り付け方がよく分からない。
生パン粉の開封後は冷凍でないと保存できませんと書いてあったが、こうして冬場冷蔵庫の中で1週間程度だったら大丈夫の様である。(生ものではなくコロッケというのもあるだろうが)お腹も特にこわさなかった。

昨日の晩御飯(大根の葉をソーセージ炒め、カツオのたたき丼)

2014-12-10 | ぶきっちょさんの家事一般
最近、kekeとケンカが無い。

たぶん顔をあまり合わせないからだろう。
kekeは夜からバイトに出ることもあったり、午後からだったり、時には朝から行ったりしている。ひどい時は朝帰ってきて寝て、午後に出掛けるなんてこともある。



ソーセージを大根の葉と炒めてみた。
高山なおみさんの本に「ほうれん草と魚肉ソーセージ」を炒めるレシピがあって、前は小松菜で挑戦したが、今回は大根の葉でやってみた。
大根の葉はクセがあるので前回の方がおいしかったような気がするが、大根の葉を消費したい時にはいいように思う。菜っ葉類はあまり食べないkekeもこれだと食べるようである。

ある方の娘さんが離婚すると聞いた。
相手の男性があまり働かないので愛想をつかしたそうだ。
働かないと言えば、kekeだって正社員ではないし「ちゃんと働いている」とは言い難い。
今はこういうポジションで何となく日々過ごしている若者は案外多いのかもしれない。

「30にもなって働いてなくて親の世話になってる男」とある方は言う。
kekeもあと6年すれば30である。

相手の男性のお母様はどんな気持であろう。
いっとき嫁が来て孫に恵まれながらも、みんな離れてしまった。
そんな気持を想像すると末恐ろしくなる。
独身で幸いだ。
このままどうなろうと、人様には迷惑かけることがないのだから。。。


いろいろ思い巡らせることにも疲れた。


戻りカツオがこの日onlyで安かったので買って、カツオのたたき丼を作る。
後からユズの皮をちょっと乗せても良かったことに気がついた。

私はこの日は他の残り物で済ませて、カツオのたたきをつけ汁につけたまま、青しそ、青ネギ、ユズを切り刻んだものも一緒に混ぜてタッパーに入れて、保冷袋で温度を守りながら会社に持って行った。そしてご飯に乗せて食べてみた。

ユズの香りがカツオのたたきと新鮮でマッチしておいしかった。^^

暖房を入れあのヤドカリ生活を思い出す

2014-12-09 | 父の記録と母の思い出
今シーズン、昨日初めてエアコンを入れてしまう。


実家は暖房をつけない家であった。
つけるのは早朝だけ。
ガスストーブのエアコンだけが入っており、私はその真ん前でふるえながら着替えるのであった。そしてそんなにブルブルしているのは自分だけで、あとの家族は軒並み平然としていたような印象がある。

他の部屋にはストーブもエアコンもなかった。
でも、母は普通に台所に立っていた。父も普通に洗面所で身支度をして出て行った。
私も妹も学校に行く頃になると、母はサッサとストーブを消していたと思う。そういう家であった。

私一人が寒がりでこたつにうずくまり、或いは布団にうずくまっていた。
勉強も当然布団の中でしていたので、よくそのまま寝ていたものだ。うつぶせで参考書を読みテキストを解き、布団の中で寝たり起きたりしていた。まるでヤドカリのようであった。
唯一ヤドカリのカラから出るのはピアノを弾く時である。ピアノを弾くと寒さを忘れた。(全身運動になっているのだろうか。)あとはカラオケ練習である。当時は妹とカラオケ伴奏と歌う方を交互にしていたので、それで寒さを乗り切ることができた。

そして私は嫁に行き、kekeが生まれてちょっとした頃、実家は建替えることになった。
そしたら、何てことだろう。
あちこちの部屋にエアコンが配置され、年中エアコンをつけてポカポカ暮らしているのである。
ちょっとしたカルチャーショックであった。

私が出て行ってから、父も母も妹も年中エアコンをつけハワイのように暮らしていたようだが、私だけはあのヤドカリ生活が抜けきらない。
暖房をつけることに常に罪悪感がつきまとうのである。


だから我が家はエアコンを入れない。
夏は35度を超えるまで。冬は雪が降る日だけである。
あとはこたつにうずくまっている。

でも、昨日はエアコンを入れてしまった。
もう寒くてかなわん。

それから今年に入ってから、冷たいドリンクが飲めなくなった。
もともとが猫舌なので、熱いお茶が飲めないのだ。だから冬でも氷を入れてガンガン、コールドドリンクを飲んでいた。
(ちなみに実家の両親も、妹も、熱いお茶を飲むことはほとんどなかったと思う。)

でも今年はダメだ。体が受け付けない。
冷たいものが飲めなくて、だけど熱いものも飲みたくないので、熱いお茶または冷たいドリンクを部屋の温度で常温にしてから飲んでいる。おかげでビールもここずっと飲んでいない。

昨日は(このままアルコールをやめちゃおうか)と思い、かなり真剣にそのつもりだった。しかし台所にずっと立っているうちに何か飲まねばやってられんわい、と言う気持になって、自作の梅酒を飲んだ。でも氷は2個しか入れられなかった。寒くて昔のように氷いっぱい入れて注ぐことなどもうできない。だから梅酒はやたら濃かった。

本当に冷えに弱くなった。もともと家族内で一番弱かったのだが、もう冷えることに耐えられない。

だから私はエアコンをつけた。
しばらくすると台所にも温かい風が流れ、しあわせな気分になった。

これからは朝晩暖房を入れよう、そしてささやかな幸せを感じるのだと心に誓いながら、料理がもうできそうなので余熱が残っているうちにサッサとエアコンを切って、kekeに「食事だよ」と声をかけた。(こたつとエアコン両方は要らないから。)