きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ルームシェア

2015-09-04 | 息子keke
今日は通帳3冊を持って、銀行へ。

ひとつは会社のお金をおろして社長に渡すこと。
もう一つは別名義の会社の通帳で、今度のイベントの準備のお金をおろす。
もう一つは有志で作った某会の通帳にこの前のコンペで残ったお金を戻して、今度のコンペのお金をおろす。


そこの銀行はあまり面白い雑誌がない所で、待ち時間に新聞を開くことにした。

中国の抗日の何とかパレードの記事を不快ながらも読み、ペラペラめくっていくと、「人生案内」があった。
その悩みを読むと、某お母さんからの悩みである。

「大学を中退しアルバイトをしている息子が彼女ができて同棲しているのだが、正社員でもないのにこれでいいのか、自分の将来をちゃんと考えてほしい。」

そんな内容である。
まるで我が家の息子の様なので、「フンフン、それでそれで」と思いながら回答を読むと、「もうお子さんは自分の道を歩き始めています。それを応援してあげましょう。」というようなことが書いてあった。

親から見れば「正社員ではない」不安定な状態だが、子供は自分の意思でアルバイトの職を見つけ、彼女もみつけて同棲している。それを応援しましょう、と言うのである。


銀行の窓口で名前を呼ばれて、私はパタンと新聞を置く。
そうなのだ、kekeはもう自分で選んだ仕事を始めたのだった。

去年の今頃のブログを読むと、kekeが初めて夜勤のバイトに行く様子が書かれている。どこで何の仕事か尋ねても「知らない」などと言っている。
あれから1年が過ぎ、私の目から見てもkekeはたくましくなった。
見た目もたくましくなったような気がするし、言うこともたくましくなった。
私に助言まですることがあったりする。

食事は「自分の分だけ作って食べればいい」等と言う。自分は自分で買ってくるから、と言う意味である。
それでは何となく忍びなく、塩分や添加物も気になるのでよく作っておいておくが、食べてある時もあるし、食べてないこともある。

夜と昼が入れ替わっているので、ほとんど顔を合わさず、合っても寝ている姿を見ることが多い。
ひとつ屋根の下でも、顔も合わせず、食事も一緒には食べず、互いが好き勝手に暮らしている。
(まるでルームシェアのようである。)

でも、それでそこそこバランスが取れている今の生活。。。。
こんな暮らしもいいかもな、と思う。

いつまでもこんな暮らしが続いてもいいと思ってる。


窓口で返ってきた通帳を見て、某会に返すはずの金を、間違えて違う口座に入れてしまったことに気が付いた。
(自分が窓口のネェちゃんに指示したのである。)

何てバカな。。。。orz
ハンコを持って来なかったので、また来週行かなくては。。。(社長に突っ込まれるかな。。。)








sakeの歩窓から(公園散歩)

2015-09-03 | 車の練習
まだ暑い頃に撮った公園の写真です。(^_^;)

ブランコ。


夕方だったので影が長くなりました。
こんなにスリムではありません。


一昨日の晩ごはん。
ポトフ、残ったご飯でおにぎり。
残ってた上海焼きそば。


上海焼きそばは作った時に写真も撮りました。


また今日から仕切り直し。










名付けて達成感

2015-09-02 | 日記
昨日は帰ると既にkekeはおらず、どこかに行ったようである。

鍋の蓋を開けると昨日のポトフが残っており、炊飯器にはご飯が残っていたので、それでおにぎりとポトフを食べることにした。

夕飯の支度をやめ、今日は部屋の掃除をしよう!と決意して、洗濯物をたたみ片付け、自分のブラウスとkekeの布団カバーを取り替え洗濯機で回し、床に置いてある本やカバンをまとめて隅に置き、掃除機をかけた。

なんと、それで部屋が見た目片付いたんですね。(^o^)丿
休みの日に同じことをするのにいつも嫌々しているので、午前中ぐらいつぶれるのだが、1時間半ぐらいで終わった。

名付けて達・成・感!


夜も8時半になってしまったが、達成感のご褒美で何となくスーパーに行き、バナナを買ってしまった。(^_^;)本当は買い物に行かなくても夕飯は食べられるけど、バナナぐらい買ってもいいことにする。

どうしても週末にでかけると、掃除や常備菜の用意ができなくて負い目を感じてしまいそうになるが、平日こうしてどこかの1日で料理をやめて掃除をすれば、週末は外に出て散歩や写真を撮ったりできるんだ。(と当たり前のことにやっと気づく。)

そう思うと、私はまだまだ自由で、生きている間もっと楽しめることに気がついた。

「やらなきゃならないこと」より、「やりたいこと」を率先して、生きている今を十分に楽しもう!(^o^)丿

  天国にいるsakeの両親へ。
  私はもうしばらくここでうんと楽しんで暮らすことにしました。
  もうしばらく見守っていてください。


おー、それで思い出した。
土曜に車にひかれそうになったのだ。

横断歩道のない交差点なので、一応車が来ないことを確かめながら渡っていたのだが、あいにく傘を深くかぶっていて、周りが見えなかったようである。
気が付いたら、傘の向こうに車の姿があり、それが動いたまま直進してきたのである。

「これはもうぶつかる!」と思い、慌ててピョン!と飛び跳ねて車をよけた。(それでよけられるぐらい車のスピードも遅かった。)

思わず振り向いて運転手をにらむと、向こうは窓をあけて謝ってきた。(でもしばらく怒りは収まらなかった)

しかし、私の傘を深くかぶったまま横断歩道のない交差点を渡っていたのも事実である。
これからはもうああいう所を渡るのは止めようと思う。

そして、ご先祖様がまたピンチを助けてくれたのだと思った。
何だかんだ言ってもいつも私はこうして助けられて交通事故はまだ遭ったことが無い。本当に幸運なことだと思った。(昨日ご褒美で買ったバナナも、今日の朝はご飯を食べる時間がなく車で食べられてちょうど買っておいて良かった。)

天命にしたがえ

2015-09-01 | 日記
そうそう、一昨日妹を見たのだった。

スーパーの違うレジの所で、お金を払い、先に待っている旦那さんと一緒にレジ袋につめて、帰っていく姿を見た。

久しぶりだったら声をかけるのだけど、昨日もここで偶然会ったばかりだし、目があったら手を振ろうと思っていたがそんなこともなく、旦那さんとごく普通に歩いて帰って行った妹。
もう娘たちも大きくなってそれぞれの用事があり、夜の8時のこの時間にこうして夫婦二人でスーパーで買い物をしているのだなぁ何だかいいなァ、と思う。

にぎやかだった姪達がそれぞれの世界を作り、夫婦ふたりでゆっくりとしてるんだ。


私はこの前もらったレジ袋をマイバッグ代わりにして、いつものように買ったものをボカスカ入れて、手にして帰る。

今日はkekeは仕事に行って、これからはひとりで晩酌だよ。


前に40になった頃、「40は惑わず」とブログに書いた。これからは惑わず落ち着いた40代を迎えるのだ、と私は書いた。

そして10年後、私は50になった。今度は「50にして天命を知る」そうである。

私はこんな風にこれから生きて行くのだな、と言う覚悟をした。

40代の時は心のどこかで「何かをきっかけにこの先で人生が変わるかも」という期待(?)があったが、たぶん妹のような連れあいの居る人生は考えられない。
でも、それは悲しいとか、淋しいとか言うものでもないのだ。
そう言う人生もあるし、私のような生き方もある。そのどちらも同じように尊重されていいものだ、という自負だった。


私は、両親の「結婚しないで一人で暮らすことは淋しいこと。」と言う価値観を無意識に受けていた気がする。
もちろん、20代や30代の頃は、ボーイフレンドのことや結婚を含めてかけがえのない相手と沿って生きて行くことは重要なことだろう。そう言う風に私達は生理的にも否応なく仕組まれているから。

でももう50にもなったら、どんな生き方であろうが、いいのではないか。逆にどんな生き方でも尊重できるのではないか。
そんな気がする。


私はこのまま、一人で本を読んだり、ご飯を作ったりして生きて行こう。
もちろん息子がここにいるうちは一緒に、でも離れて行っても自分一人で。

今あるものに囲まれながら、それ以上を求めようともせず、ありのままの自分を大切に。
そんな自分を誇りに。

そんな小さな決意をしたのだった。




おそばのかきあげは、ゴーヤと玉ねぎ。
この日の朝、コロッケを作った衣の卵と小麦粉が余っていたので、それを混ぜて水を足して天ぷらの衣にしてみた。
思ったよりうまくできてきれいに揚がって満足した。

このままでもかまわない、私はそれでも平気だろうと思えて、少しだけ強くなった。