「侍帳」を編集しながら、読み方にとまどう事がある。例えば「余田」という姓があるが、「よだ」とばかり思っていたら、大叔母の便りで「よでん」と読むことを教えられて唖然とした。ある文書を読んでいたら「余田・余傳」とあり証明された。「朽木」氏は「くつき」だろうし、「波々伯部」氏は「ほうかべ」だろうと理解しているが・・・。赤穂義士・堀部弥兵衛を介錯した米良氏は、「めら」「まいら」などと解釈が異なっていたが、これは「めら」で間違いないようだ。分らないものがいろいろある。例えば「神西」氏、「細川家家臣略歴」では「ち」の項にあるから、「神」は「ち+‘」=「じん」なのだろう。「じんせい」と書かれているものを見たことが有る、如何?。「町」氏は長曽我部氏の子孫で「ちょう」らしい。「越生」「神鷹」「樹下」など、正確な読みに自信がもてない。お叱りを頂戴することが続くことだろう。
かって、会社の応接室などには喫煙三点セットが置かれていたものだ。灰皿・ライター・そして煙草が入れられた器があった。明治も初期の頃の話だろう、H侯爵が明治天皇に拝謁するにあたり、陛下をお待ちする間一服していた。目の前の煙草を入れた器から、煙草を無断拝領におよび懐中したらしい。ちょうどその時陛下がお出ましになり、事の次第はお見通しである。笑いながら陛下が言われた。
「H、出自は争えぬのー」
大名と言わず、維新後爵位を頂戴した人たちには、少なからず当てはまる話なのだろう。H家の至鎮は、徳川家康の養女(実・小笠原秀政女)を室としているから、細川忠利とは相壻の関係にある。当然東軍に参じて大坂の陣を戦い、その功により阿波徳島藩主となった。(H氏と伏せる必要はなかったか・・) 初代はともかく、徳川の血もはいり明治までの250年ほどを過し来たものを、「無断煙草拝領」で、明治天皇に古傷を触られてしまった。
「H、出自は争えぬのー」
大名と言わず、維新後爵位を頂戴した人たちには、少なからず当てはまる話なのだろう。H家の至鎮は、徳川家康の養女(実・小笠原秀政女)を室としているから、細川忠利とは相壻の関係にある。当然東軍に参じて大坂の陣を戦い、その功により阿波徳島藩主となった。(H氏と伏せる必要はなかったか・・) 初代はともかく、徳川の血もはいり明治までの250年ほどを過し来たものを、「無断煙草拝領」で、明治天皇に古傷を触られてしまった。