勝海舟は「氷川清話」の中で、横井小楠を「長崎ではじめて会ったときから、途方もない聡明な人だと、心中多いに敬服して・・・」と書いている。手元の資料ではその日時の特定は出来ない。元治元年(1864)海舟の肝煎りで神戸海軍操錬所が設けられ、肥後藩士横井忠平、同左平太、岩尾内蔵允、川瀬典次、末松覚兵衛、大谷徳次郎が入所している。いずれも所謂実学党の面々である。うち横井左平太、同忠平、岩尾内蔵之助(ママ)は「勝安房(海舟)家来」の扱いを受けている。このことは、平尾道夫氏の「海援隊始末記」によると、「(坂本)龍馬の同志のものはすべて海舟の家来としてとりつくろい・・・」観光丸乗組員として、月一両を支給される「お雇手伝」と成っている。ところが、僅か数ヵ月後海舟の失脚によりご破算となってしまった。小楠と海舟・龍馬の強い結びつきが伺える。
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