津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

日次記(ひなみき)

2006-03-04 20:22:23 | 歴史
 忠興と義弟・木下延俊の親密ぶりは、当サイトの閑話休題の「茶入れを盗む」話でも伺える。秀吉室・高台院(ねね)の甥に当たる木下延俊が書き残した「日次記」は、当時の細川家を知る上でも貴重な資料である。二木謙一氏の著になる「慶長大名物語」は解説風で楽しく読める。忠興の妹・加賀が延俊室である。延俊は忠興の息・忠利や、忠利の妹(多良)壻・一通の父稲葉典通らとの交流の記録が多い。生没年を見ながら、彼等の行動を考えるとなかなか面白い。

    細川忠興 永禄 6(1563)年生~正保 2(1645)年没
    細川忠利 天正14(1586)年生~寛永18(1641)年没
    木下延俊 天正 5(1577)年生~寛永19(1642)年没
      加賀           慶長 9(1604)年没
    稲葉典通 永禄 9(1566)年生~寛永 3(1626)年没
    稲葉一通 天正15(1587)年生~寛永18(1641)年没 
      多良 天正16(1588)年生~慶長19(1614)年没

 日次記が書かれた慶長18(1613)年頃は、大名同士の暖かい交流が見られる。
延俊と加賀の間に生まれた男子は夭折し、木下家に細川の血ははいらなかった。
二人の側室に男子が誕生したのは、加賀の死後9年つまり日次記が書かれたその年である。
コメント
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