津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

オン・ザ・ロック

2006-03-17 22:31:18 | 徒然
 私の晩酌は寝酒に近い。早々と飲み始めると、量を過してしまうからである。最近はもっぱら、焼酎のお湯割だけれど、時折オン・ザ・ロックということもある。誕生祝いに娘夫婦からもらった、ワインなどは一度には飲めないから、三日ほどで戴くことになる。お酒は「上善如水」の愛好者である。これは口に柔らかでどれだけでもいけるから・・・余り飲まない。私のお酒修行は、サントリーの「赤」から始まり、「白」「角」「だるま」と進化した。そのあたりでお酒に変わったような気がする。悪友に誘われて、屋台や、路地裏の汚い店で「角うち」で飲んだりした。建築業界が景気良かったある年の十二月は、忘年会22回というのを経験したことがある。さすがに胃潰瘍になってしまった。

 ある店で「オン・ザ・ロック(飲み方)を、日本に持ち込んだのは誰だと思う」という会話が遠くから聞こえる。若い女の子たちが「そんな人知らないわ」とか、答えていた。
教えを乞いに出向きたい衝動に駆られながら果たせず、それっきり忘れていた。

 数年後、山口瞳氏のエッセー「酒飲みの自己弁護」から答えが得られた。昭和20年代の終わり頃、水原円裕なる人が持ち込んだという。
水原円裕・・・「そりゃ誰だ?」又数年経過した。読売巨人軍の名将水原茂氏が、一時期円裕と名乗っていたらしいことを知った。「水原さんか、あのダンディーな水原さんなら納得だなー」
 水原さんは、銀座のバーで「オン・ザ・ロックで」と注文したそうな。バーテンの誰もが知らなかったという。「ショーチュー・オン・ザ・ロック」を準備するとこの話を思い出す。
コメント
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