津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川忠雄家譜

2008-03-03 16:44:21 | 歴史
 藩校サミットもあることだし、上妻文庫の細川内膳家「細川忠雄家譜」を読み始めた。元々は宮村典太の盤桓随筆所収の同記事を、上妻先生が昭和14年に書き写されたものである。当然毛筆で書き写されているが、まさに江戸期の文字である。細川忠雄すなわち細川内膳家五代当主である。忠英と書いたほうが分かりやすいかもしれない。藩校時習館の初代惣教を勤めた人である。忠英の父・忠季が内膳を名乗った事から、内膳家と呼ばれる。

 随分以前に忠隆の子与八郎(忠恒・友山)・半左衛門(忠春)兄弟の幼名が、夫々坊丸・侍者丸であることをこの家譜で知った。今般は、半左衛門を徳川直臣にする話しが、藩主光尚となされていた事を知った。これは光尚の死により頓挫している。しかしながら半左衛門は、兄与八郎の致仕に伴いその知行をも加増されて家督した。又、友山(忠恒)存生の内に内膳家家士十三名を、本家家臣に成す事が相談されている。己の死後の家臣の将来を慮っての事である。「家臣共事ハ安心仕置度」と記されている。当サイト侍帳でも全てではないが名前が確認され、新発見となった。(禄高は忠恒時代のもの)

    木村三郎左衛門 百六十石
    草刈作大夫    百石
    松本武左衛門   百五十石
    愛教四郎助    百石 (元は藤懸氏、与八郎により改姓)
    安藤善兵衛    百石
    草刈彦之進    七拾石
    江上弥兵衛    七拾石

    高井彦左衛門  五人扶持ニ拾石
    植野助左衛門    同上

    和齊権兵衛   三人扶持拾石
    荒木吉左衛門    同上
    富田助之允      同上
    吉住角大夫      同上   以上

さてこの後何が出てくるやら楽しみではある。差し当たって、侍帳に反映させる作業も出てきた。
追伸(22:12)愛教を最初登教と読んで、珍しい名前などとコメントした(削除)が大間違い、侍帳に愛敬四郎次なる人を発見、落着・・・「愛」と「登」くずし字はよく似ていますョ・・(汗)
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三齋とか齊彬とか

2008-03-03 13:40:21 | 徒然
 齊(斉)と齋(斎)、同じ「齊つくり」だが、当然別の文字だし意味も違う。幽齋・三齋の「齋」は「ものいみ・つつしむ」で「サイ」と読む。「齊」といえば、島津斉彬の「齊・斉」がすぐに思い浮かぶが、本当の読みは「セイ」であり、「齊」の字の中にある「二」の「ジ」が転音して「セイ」「サイ」となったという。「肆」から来ていて「一様に揃う」という意味だそうな。「齊」はすなわち「そろう・等しい」という意味になる。

 私がサイトを開いた頃、この文字の使い分けが良く分からず、「幽齊」とか「三齊」とか書いてご指摘を受けたことがある。なんとも恥ずかしい懐かしい思い出である。

 長男に男子を得た時、自分の一字に「彬」の字をつけて命名したいといってきた。『島津斉彬の「彬」だよ、「木編に杉」』。一瞬「名前負けするぞ」と思ったものだが、善しとした。何で又と聞くと、「島津齊彬」が好きだという。長男の答えに思わず合点してしまったのだが、じつは「木編に杉」じゃーなかった。「彡(さんづくり)に林」が正解らしい。「備わり整う」の意があるが、「齊彬」の名前はまさに斉彬その人の人格を象徴している。あとで「木編じゃないぞ、林に彡だぞ」と、いかにも前々から知っていたような顔をして教えてやった。
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