津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

やる気は・・・ある

2008-03-25 17:30:05 | 徒然
 「米田家臣中山宗俊覚書」「細川忠雄家譜」のタイピングが遅々として進まない。体力が落ちたわけではないが、根気の方は減退著しい。読みながらのタイピングだから余計である。前者は1/3、後者は1/4といった進捗率である。

さて、明智光秀の謀反、迦羅奢夫人の三戸辺蟄居、玉造屋敷での死、又飯河豊前・長岡肥後の誅伐事件など、中山宗俊の記述は多岐にわたるが、目新しいものは見受けられない。しかし、綿孝輯録などと詳細に比較すると、いささかの差違がない訳ではない。これが「覚書」の面白いところで、興味は尽きない。早々に終わらせてその相違点をお知らせしたいと考えているが、緊急突発的に他に時間を費する事が多くて、いらいらが募っている。

 細川忠雄家譜、いわゆる内膳家の家譜だが、こちらは新事実が飛び出してきて中々のものである。綿孝輯録当たりでは触れられていない事柄も多く興味が尽きない。まだ1/4、お披露目は何時になるのか、66爺の根気は落ちる一方で確約が出来ない。

 やる気は・・・・・ある・・のだが・・。
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神風連・・再び

2008-03-25 09:32:59 | 徒然
 ある方から先祖探しについて問い合わせをいただいた。22日の晩の事である。そして24日の真夜中(AM)に送られて来た、メールの内容をみて閃いたものがあった。神風連の史料をあさり確信となった。
10:30メールで報告。居てもたっても居られず、午後は図書館行き。「有禄士族基本帳」や「先祖附」から、お目当ての人物を特定、確信は変じて確定となった。帰宅後18:30メールで報告・・落着と相成った。
 神風連に参加されたKY氏のご子孫である事が判明、どこのご遺族にもあった波乱の人生が展開している。語り部が消え、又口を閉ざされたかもしれない状況が有ったのだろう、130年経過した今日、ご子孫はその事実をまったくご存知なく吃驚しておられる。お墓まで見つかり、早々にお参りに出かけられるという。罪人扱いとなった方々は、一人先祖のお墓から離れて築かれていることが多い。こちらもその事例である。しかしご子孫が持っておられた僅かの情報が、一挙解決のキーワードとなった。23歳で自刃して果てたKY氏には、15歳の許婚がいたと関係資料は伝えている。ここにも悲しい現実があった。
また、どっぽりと神風連の史料の中に居る。
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