宝暦の改革に於いての、町氏(長曾我部氏)の活躍が目を引く。町市郎右衛門とその子孫平太、
市郎右衛門の実弟・村山九郎次郎、従兄弟大里角次などである。夫々が奉行職を務めた。
■町市郎右衛門
宝暦十年十月~宝暦十三年 奉行副役・後十挺頭ニ転
■町孫平太
安永六年七月~天明五年七月 奉行副役
天明五年七月~寛政二年九月 奉行(被差除)
孫平太性甚だ酒を嗜む、或夜隣家の平井某の宅にて泥酔し、裸体に肩衣袴を着て帰宅
する程なりしが、翌日早朝政堂に出て、事を処するや、判断流るゝ如く、少しくも滞ること
なかりきとぞ、然れども之に因りて職を免ぜらる
寛政十年七月(大組付)~寛政十一年三月 中小姓頭
寛政十一年五月~文化十一年七月 奉行(致仕後隠居)
■村山九郎次郎
宝暦五年五月~宝暦七年十二月 奉行
* 御知行被召上候 宝暦七年十二月上知 高三百五十石
(奉行職にて江戸行使中乱心知行没収・・細川霊感公より)
■大里角次
安永二年八月~安永六年五月 奉行副役
安永六年五月~天明五年三月 奉行
阿蘇大宮司惟種--+--惟光(嫡男)大宮司・文禄二年八月十三歳にて刑死
|
+--惟善--+--(嫡男)阿蘇家
|
| (二男)大里氏 (町源右衛門二男)
+--儀大夫惟直---牛右衛門惟仲---牛右衛門惟正---角次惟公
市郎右衛門の実弟・村山九郎次郎、従兄弟大里角次などである。夫々が奉行職を務めた。
■町市郎右衛門
宝暦十年十月~宝暦十三年 奉行副役・後十挺頭ニ転
■町孫平太
安永六年七月~天明五年七月 奉行副役
天明五年七月~寛政二年九月 奉行(被差除)
孫平太性甚だ酒を嗜む、或夜隣家の平井某の宅にて泥酔し、裸体に肩衣袴を着て帰宅
する程なりしが、翌日早朝政堂に出て、事を処するや、判断流るゝ如く、少しくも滞ること
なかりきとぞ、然れども之に因りて職を免ぜらる
寛政十年七月(大組付)~寛政十一年三月 中小姓頭
寛政十一年五月~文化十一年七月 奉行(致仕後隠居)
■村山九郎次郎
宝暦五年五月~宝暦七年十二月 奉行
* 御知行被召上候 宝暦七年十二月上知 高三百五十石
(奉行職にて江戸行使中乱心知行没収・・細川霊感公より)
■大里角次
安永二年八月~安永六年五月 奉行副役
安永六年五月~天明五年三月 奉行
阿蘇大宮司惟種--+--惟光(嫡男)大宮司・文禄二年八月十三歳にて刑死
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+--惟善--+--(嫡男)阿蘇家
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| (二男)大里氏 (町源右衛門二男)
+--儀大夫惟直---牛右衛門惟仲---牛右衛門惟正---角次惟公