神風連を語るとき驚きを禁じえないのが、小篠四兄弟の死である。本妙寺塔中晴雲院の裏手に四兄弟のお墓と、末子源三が可愛がっていたという愛犬のお墓がある。小篠家の遠祖は大江広元に遡ると言われるが、初代七左衛門の父・次大夫は転切支丹でもある。六代十郎右衛門は西山家からの養子である。足利将軍家のDNAが入った。
十代千次郎(七郎右衛門・宗平 四百石)の四名の男子が神風連志士として散った。長子・一三(27歳)、二子・山田彦三郎(25歳)は、中島村荒木神社社頭にて自刃。三子・清四郎(22歳)、四子・源三(18歳)は、池上村谷尾崎の山王神社にて自刃した。
一三の辞世「忠と義のためには身をも捨て小舟堀や河辺に朽ち果てぬとも」
彦四郎辞世「大君の為には何か惜しからむ野邊の草葉の露と消ゆとも」
清四郎辞世「事ならで果つる我が身はいとはねど心にかかる皇国の御世」
源三の辞世「予てよりおもひこめにし真心のけふは操の立つぞうれしき」
四兄弟の集合写真が残されている。断髪はいまだ成されていない。源三はまだ幼さが伺える。愛犬虎は源三の死後食を絶って死んだとされる。
十代千次郎(七郎右衛門・宗平 四百石)の四名の男子が神風連志士として散った。長子・一三(27歳)、二子・山田彦三郎(25歳)は、中島村荒木神社社頭にて自刃。三子・清四郎(22歳)、四子・源三(18歳)は、池上村谷尾崎の山王神社にて自刃した。
一三の辞世「忠と義のためには身をも捨て小舟堀や河辺に朽ち果てぬとも」
彦四郎辞世「大君の為には何か惜しからむ野邊の草葉の露と消ゆとも」
清四郎辞世「事ならで果つる我が身はいとはねど心にかかる皇国の御世」
源三の辞世「予てよりおもひこめにし真心のけふは操の立つぞうれしき」
四兄弟の集合写真が残されている。断髪はいまだ成されていない。源三はまだ幼さが伺える。愛犬虎は源三の死後食を絶って死んだとされる。