津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

夜中越中

2008-04-19 12:24:00 | 書籍・読書
 福富真紀著「徳川将軍側近の研究」が面白い。きっかけは細川藩士薮田氏に関する、疑問と勘から誕生した偶然である。「細川家家臣略歴」の薮田氏項を見ると、家祖を柳沢白鴎としている。細川家と柳沢家の関係は「夜中越中」と言われる如く、柳沢吉保にすりよる細川綱利の姿がある。もしやと思い大和郡山の「柳沢文庫」にお尋ねした。まさに的中で上記著書に詳しいのでこちらを見るようにとのご示教をいただいた。綱利の「夜中越中」ぶりが伺えて大変面白い。また、薮田氏の召出に係わる事情もよく理解できる。

 綱利は継嗣を亡くしたため、柳沢吉保三男安基を養子に所望し、吉保も了解していたらしい。ところが老中稲葉正往が「国許の家中は同心するのか、近親はいないのか、無縁の者の養子は御条目にたがう」として、実現しなかったらしい。その事を以って正住は将軍や吉保の不興をかい失脚したと言う。細川家と稲葉家との関係は、春日局との懇意まで遡る大事な関係だが、綱利も罪なことをしたものだ。綱利が弟・細川利重の二男宣紀を養子に迎えるのは其の直後である。その他いろいろ「夜中越中」に係わる話しが興味深い。
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2008-04-19 10:51:39 | 熊本
 人吉は霧の町だといわれる。相良氏700年の城下町である。球磨川沿いに石垣を連らねる城跡がそれこそ霧に見え隠れし、その様は一幅の墨絵を見るようだ。建築設計の仕事に携った私は、駆け出しの頃人吉の某施設の設計監理の為に半年ほど、この地で過ごした。市内の下宿から青井阿蘇神社の前を通って毎日現場に通った。高速道路で繋がれた今日では、車で1時間で行き来出来るようになり、隔世の感があるが、あの下宿時代が懐かしい。

 今日の新聞の「一面」は、その「青井阿蘇神社が国宝に指定された」事を報じる記事が踊っている。建物の一つ一つが鮮やかに蘇ってくる。監理事務所の手伝いをしてくれた老人が、人吉には世界に誇れるものが三つあるという。「霧のロンドンに次ぐ霧の町」「人吉城」そして「青井さん(青井青神社)」だと・・・・。

 5年ほど前、やはり設計・監理の仕事で人吉の先のO町に二年ほど通ったが、インターチェンジからやや離れている「青井さん」には一二度しか訪れる事が出来なかった。改めてお参りせずばなるまいと思っている。
                       Congratulations
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