津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

熊本城、そして永青文庫

2008-04-20 12:25:49 | 熊本
 待ちに待った熊本城本丸大広間が、今日一般公開された。すばらしいお天気にも恵まれ、沢山の人達で賑う事だろう。入城制限が予想されているともいう。66爺はゆっくり時間を掛けて拝見したいので、後日賑わいが一段落してから出かけようと思う。

 熊本県立美術館本館では、永青文庫常設展示場が4/25日にオープン予定、こちらも待ちに待ったものだ。日本一の文化遺産に常時触れられる事に感謝したい。
さて、今日の地元新聞は、永青文庫が休刊していた季刊誌を再刊する事、また「友の会」活動を始めた事を報じている。永青文庫が段々身近に感じられてくる。さらに、熊本大学に委託収蔵されている史料の閲覧がもう少し簡単にならないかと願っている。理事長、御一考を・・。(永青文庫HPで情報を得られないのが残念・・広報をお願いしたい)
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「北関始末實記」より

2008-04-20 11:06:01 | 歴史
   今日南関江旅行北関至先年其方儀藤田父子
   令誅戮無比類働申候場所今見様存候其邑老
   村女マテ感心申候天下静謐ノ節家老職其方
   ヲ持申事世上無上稀有之事ト存候 謹言
     三月六日  越中綱利・御判
             山名十左衛門殿

 2007/7/28付当ブログに「細川一族の決闘」を書いた。前川勘右衛門とその一族が、藤田助之進親子を討果したと言う事件についてである。末尾に「細川家にとっては苦々しい事件では有る。」と書いたが、藩主綱利はそうでもないらしく、その決闘に参加した十左衛門は上記のような「賜書」を受けている。

 勘右衛門と藤田助之進女の縁談の話しが、山名一族の話し合いにより破談となる。山名家当主・十右衛門(従兄弟)、前川与三兵衛(従兄弟)、外縁家長長岡佐渡興長(室忠興二女古保)、津川次郎左衛門長房、藤崎作左衛門直治、細川修理直房、長岡佐門興知らが談合「此縁組之儀ハ無用」と相成った。丁寧な断りが入れられたが、藤田助之進の怒りは収まらず某所に於いて、勘右衛門の所業誹謗したとされる。勘右衛門はこれに対し反論するも両者の溝は埋る事はない。山名一族は「面子」が汚されたとして、果し合いを申し入れる。勘右衛門本人にはどうもその気がなかったように伺えるが、長老達の意思が勝ったのであろう。そして事件が起った。

 あるサイトを見ると、藤田助之進の家来が鉄炮を打ち掛ける中、十右衛門らが活躍して藤田親子その他を討ち取ったと記すものがあるが、他藩領内でそのようなことが可能であろうか。史料を読むと両方共に鉄炮方の人間が参加している事は事実であり、死者も出ている。鉄炮方の人間だからと言って、鉄炮を打ち放つとは限らないだろう。山名家(三渕家)が細川家に非常に近い家柄だけに、鉄炮云々の話しは信じがたい。

 勘右衛門は後、杵築において自害する。23歳。一族の面子が彼を死へと誘った。そして山名家(三渕家)は栄えていく。山名家側に非が有ったとは思えないが、後味の悪い事件ではある。「細川家にとっては苦々しい事件」と書いたが、ここで訂正しておこう。

 
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