津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

召出しの時期

2008-04-08 17:16:41 | 歴史
 我がご先祖の召出しの時期については、「三齋様豊前より江戸御上下被遊候時分」と先祖附は記しているが、それが何時であったのか不明であった。「福岡県史・近世資料編--細川小倉藩(三)」にかすかなヒントがあった。元和九年閏八月七日の「御用覚書之帳」に、「磯部長八郎(知行高弐百石)此地罷越居候儀 此中不存候而 何も御小々性衆御目見ニ被罷出候せんさくニ付 しれ申候事」とある。我が家の祖庄左衛門の兄が長五郎(長八郎とも)であり、同時期に御児小姓で召出されたと先祖附は記している。ほぼ間違いないのではないかとほっとしている。それにしても、何度も目を通してきた同書だが、すっかり見落としていた。我が家に限らず、まだまだ見落としがあるのかもしれない。心して読まなければ成らない。
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高田老松町

2008-04-08 12:53:18 | 徒然
 東京・文京区関口に御住まいの、熊本ご出身のある方からメールをいただいた。新江戸川公園の情報などをお教えいただいたが、今日の東京は大荒れのようで、お庭の桜もすっかり痛めつけられた事だろう。

 二年程前ある方から昭和21年発行の「大東京區分地図・小石川區明細圖」なる貴重な品を頂戴したことがある。私が生まれた高田老松町がそこにある。ここはかっての細川藩下屋敷があった所で昭和十二年頃には、細川侯爵邸が建設された。現在は和敬塾本館と成っている。永青文庫や新江戸川公園を含む広大な広さであった。先の地図をみると、高田老松町は目白通りの道向こうまで広がっている。その町名の由来は、嘉永年間に発行された「雑司ヶ谷音羽繪圖」でも伺えるが、細川邸の前に大きな二本の老松がある事に由来している。今では目白台一丁目、近くに「田中角栄邸」がある。裏には神田川が流れ、映画「神田川」のロケなども行われたと聞く。細川家邸内には、いわゆる職員住宅のようなものがあり、堅山南風先生や、高野松山先生なども住んでおられた。時の偶然で私はここで生を受けた。そんなこんなが現在の「細川狂い」の元であるのは間違いない。

    和敬塾本館(旧細川侯爵邸) homepage2.nifty.com/matsuken/sanpo01.htm
    永青文庫      www.eiseibunko.com
    新江戸川公園  www7a.biglobe.ne.jp/~tokyo-sanpo/36.htm

 文京区関口は、旧高田老松町のすぐお隣の町である。
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家人

2008-04-08 08:35:46 | 書籍・読書
 最近伊集院静のエッセイを読み始めた。彼のダンディー振りが処々に顔をのぞかせている。あの「夏目雅子」さんが前の奥さん、ひまわりのような笑顔が素敵な女優さんだったが、「美人薄命」の代名詞となった。文中氏は奥方を「家人」と呼ぶ。その家人、夏目さんなのか現在の奥さんなのか、判断に窮する場面もあるが、「家人」という表現はいささかの「てれ」を伴っているように思える。今の奥様は元女優・篠ヒロ子さん、結婚依頼まったく顔をお見せにならないが、氏の文中から素晴らしい奥様振りが伺える。

 旅に出る氏のために準備された下着に、穴があいているのに気付く。其の事を告げると、「この頃はパンツだって高いんだから・・・」 すまし顔の篠さんと、当惑げな伊集院氏の顔が浮かんでくる。
いいご夫婦だ。
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