寛永十七年の書状によると、忠利は「白鳥のわた毛」を献上している。将軍家光が頭巾に羽毛を入れて重宝しているとも記している。月代をそり上げた頭というものはそれなりに寒いのだろう。熊本弁で言えば、「頭ん、すーすーすー(する)」といったところか。それかと思うとご一新後「斬切り頭」になった人達は、「頭がむれてしょうがない」とこぼしている。そもそも「月代」を剃るという行為は、兜をかぶった時に頭が蒸れないようにしたのが始まりだといわれる。それが士農工商総じての髪型になっていくわけだが、異人さんから見れば、「頭にピストルが乗っている」という事になる。
藩主が亡くなったりすると、上士は髻(もとどり)を切ったりしたらしい。下士は元結を切ってザンバラ状態となる。月代も剃らなかったようだから、何とも異様な光景であったろう。(何時頃までの事かはっきりしないが) 蟄居などの罪を得ると、雨戸を閉めまわして月代も剃らず端座して、お許しの出るのを待つという事になるが、長岡元知の永蟄居などという処分の場合は、どのようなものだったのだろうか。
今日の熊本はどうやら夕方から雨模様のようですが、曇り空の現在は私の部屋も21度ほどで、「足元ん、すーすーすー」状態です。
藩主が亡くなったりすると、上士は髻(もとどり)を切ったりしたらしい。下士は元結を切ってザンバラ状態となる。月代も剃らなかったようだから、何とも異様な光景であったろう。(何時頃までの事かはっきりしないが) 蟄居などの罪を得ると、雨戸を閉めまわして月代も剃らず端座して、お許しの出るのを待つという事になるが、長岡元知の永蟄居などという処分の場合は、どのようなものだったのだろうか。
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