あるお宅から「御書出」数通をお送りいただいた。一通の御書出に上記の日付が書かれてある。
ムム・・おかしい・・・。万延二年は二月十九日文久と改元されているはずだ。「三月朔日」という日は存在しない。ひょっとしたら、これは「お宝物」じゃーないかと興奮してしまった。「慶順」とあるから紛れもなく元号は「萬延」である。グレゴリオ暦の採用は十数年後の明治五年の事だから新暦でもない。
紛れもない「お宝」だ・・・。
安政七年三月十八日改元された「萬延という元号」は、同二年二月十九日更に「文久」と改元され、わずか一年足らずで消滅している。よくよく考えると、江戸から熊本まで、早飛脚でも二十日位を費やする。これがこの「御書出」を「お宝」とした所以であろう。(しかし同時期に書かれた、御書出が他にも有るかもしれないなー・・)
ムム・・おかしい・・・。万延二年は二月十九日文久と改元されているはずだ。「三月朔日」という日は存在しない。ひょっとしたら、これは「お宝物」じゃーないかと興奮してしまった。「慶順」とあるから紛れもなく元号は「萬延」である。グレゴリオ暦の採用は十数年後の明治五年の事だから新暦でもない。
紛れもない「お宝」だ・・・。
安政七年三月十八日改元された「萬延という元号」は、同二年二月十九日更に「文久」と改元され、わずか一年足らずで消滅している。よくよく考えると、江戸から熊本まで、早飛脚でも二十日位を費やする。これがこの「御書出」を「お宝」とした所以であろう。(しかし同時期に書かれた、御書出が他にも有るかもしれないなー・・)