三齋の死後、家老職を勤めた長岡(村上)河内は肥後を離國する事になる。
その折の「長岡河内被召出度由ニ而堀田加賀守様より之書状」
猶々御病中御披見もいかヽと存候へとも如此ニ御座候
必不及御報候以上
其後使を以も御見廻不申候御気色次第ニ被得御験気候哉承度奉存候左様に
御座候得ハ御同名三齋被召仕候長岡河内儀帯刀殿見廻として罷下候由承候
彼者いまた浪人にて長崎ニ罷在候由承候ニ付前かとより存候者儀ニ候間此方
へ罷下心安被居候様ニと町左近を以内談いたし候處ニ同心に候此段早々可得
御内意候処ニ此度ハぬし身代之とんちゃくよりも無之見廻迄に罷下候と申候ニ
付隠密ニ而申合候儀ニ候へとも自他ワきよりも御聞可被成と存如此ニ御座候委
細ハいつにても面上可得御意候恐惶謹言
(慶安二年)六月二日 堀田加賀守(判)
細川肥後守(光尚)様
人々御中
堀田加賀守家中の町左近とは誰か。光尚室彌々死去に際し三齋の激しい怒りをかって、扶持放しになった町源右衛門は、のち堀田家に仕官することになるが、一族であろうか。長岡河内の堀田家召出しに係わっているのが興味深い。
その折の「長岡河内被召出度由ニ而堀田加賀守様より之書状」
猶々御病中御披見もいかヽと存候へとも如此ニ御座候
必不及御報候以上
其後使を以も御見廻不申候御気色次第ニ被得御験気候哉承度奉存候左様に
御座候得ハ御同名三齋被召仕候長岡河内儀帯刀殿見廻として罷下候由承候
彼者いまた浪人にて長崎ニ罷在候由承候ニ付前かとより存候者儀ニ候間此方
へ罷下心安被居候様ニと町左近を以内談いたし候處ニ同心に候此段早々可得
御内意候処ニ此度ハぬし身代之とんちゃくよりも無之見廻迄に罷下候と申候ニ
付隠密ニ而申合候儀ニ候へとも自他ワきよりも御聞可被成と存如此ニ御座候委
細ハいつにても面上可得御意候恐惶謹言
(慶安二年)六月二日 堀田加賀守(判)
細川肥後守(光尚)様
人々御中
堀田加賀守家中の町左近とは誰か。光尚室彌々死去に際し三齋の激しい怒りをかって、扶持放しになった町源右衛門は、のち堀田家に仕官することになるが、一族であろうか。長岡河内の堀田家召出しに係わっているのが興味深い。