津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川興秋の子孫について (三)

2010-09-06 18:33:03 | 歴史
    三代
+--■茂辰 長野五郎左衛門
|    父興茂の家督を継ぎて大庄屋となる、父の諱の一字を取り茂辰と名乗る也。
|    法名、仁光了義居士。寶永七庚寅年五月廿五日卒。

+--■弥太郎 早世

+--■兵四郎
|    半左衛門祖なり、今の中村千七郎先祖なり。
|    系圖在別紙

+--■茂直
|    長野彦八郎と穪す。後に兄の五郎左衛門茂辰が養子となり、家を継ぎて大庄屋となる。
|    系下にあり。

+--女子 大塚俊蔵の曾祖母なり。

+--■吉右衛門 加左衛門の祖父、子孫絶えたり。

+--■僧暁雲  東禅寺住職、一向宗なり。

+--■東禅寺圓瑞

+--■西法寺圓乗

+--■圓爾 無子孫


    四代 
+--■茂直 長野彦八郎
|    實は長野五郎左衛門茂辰の弟也。茂辰の子幼若の故に、茂直を養ふて、家を継が
|    しむ、仍ち大庄屋となる。法名、久雲元昌居士。正徳五乙未年七月廿七日卒。

+--■茂相
|    始め五市平、後半左衛門と穪す。五郎左衛門茂辰の嫡子也。茂直に無子、依而養
|    弟の茂相をして家業を継がしめ、大庄屋を勤めしむ。系下に在り。

+--■丈助
|    (茂辰の二男也、茂直の弟として養はる)子孫なし。

+--■茂勝
|    (茂辰の三男、茂直の養弟たり)中村五郎左衛門と穪し、後に兄茂相の養子とな
|    る。系下に在り。

+--女子
|    (茂辰の長女、茂直の養妹たり)佐伊津村庄屋中村伴左衛門の妻となる。

+--女子
|    (茂辰の二女、茂直の養妹)

+--■半右衛門
     (茂辰の四男、茂直の養弟)子孫なし。


     五代
   ■茂相 長野半左衛門
      實は茂辰の嫡子なり。茂直無子、依て半左衛門を養ふて家督を継がしめ、大庄屋
      となす。法名、東遊浄歸居士。正徳四甲午年三月十九日卒。


     六代
   ■茂勝 中村五郎左衛門
      實は茂辰の第三子なり。茂相無嗣子、依て弟の茂勝を養ふて家緒を継がしめ、大
      庄屋となす。幼名四郎太郎。法名、長屋宗壽居士。延享四丁卯年四月廿二日卒。


     七代
+--■茂濟 中村養右衛門
|    父茂勝の家緒を継ぎて大庄屋となる。幼名を喜代助と云ふ。法名、國傳永治居士。
|    明和三年丙戌年四月十三日卒(行年四十四歳)

+--■松左衛門 子孫無し。

+--■久左衛門 河内屋五郎兵衛の養子となる。無子孫。

+--■僧鼎州 禅宗

+--■清右衛門 山崎喜右衛門の養子となる。

+--女子   小山清兵衛の妻。

+--■勘助  子孫無し。


    八代
+--■隆成 中村喜七郎
|    號天錫、幼名兼助。延享元甲子年に生まる。法名大臺獄智鑑居士。寛政元巳酉年
|    三月十七日卒 行年四十六歳(妻は小山清兵衛の女梅子)

+--■興道
|    幼名宗治郎。後に兄隆成の養子となり、家緒を継ぐ。系下にあり。

+--■民蔵
|    (後に總内と改む)子孫無し。

+--女子 生蓮寺観月の妻。

+--女子 井上悌助の妻。

+--女子 本泉村庄屋倉田佐七の妻。
  
コメント
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