津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

光尚の再婚話・・書状-5

2010-09-03 18:23:20 | 歴史
 従八條(宮)殿之御使ニ八月廿一日之御状拝見仕候
    (抜粋)
 肥後縁邊之儀ニ付江戸にて讃岐殿(酒井忠勝)へ申候ハ被仰出候而からハ不及申御意
 次第之事候条存寄通申候我等・右近(小倉・小笠原氏)続之事にて候間肥後所へ右近娘
 申合候様にハ如何右近も左様ニ被存候つる小壱岐殿・右近殿との我等間の使にて候加
 様ニ申候故少も八條殿を我等きらひ申事にハ無御座候申シ候事ハ延慮(ママ)仕候由御返
 事申候此分にてハ事済申わけにてハ無之候間さぬき殿へ申入候ハ右内証申置候縁邊之
 儀如何被成候哉相済間敷様ニも候ハゝ八條殿の御望ハ御披露も被成能候ハん間右内談
 之衆不相調候ハゝ八條殿との縁邊儀申上候へハ 御諚次第ニいつれの成共相調候間八
 條殿之様成御衆よりハ肥後との縁邊之儀百人も被仰上候へかしと存事候貴様如御状八
 條殿御縁邊之儀ハ同心にて御座候へとも右右近殿息女之儀申置候故夫を申置候故夫を
 差置候而ハ不被申右之分ニ御座候事
     九月十五日
         永日向様

                           「熊本縣史料・近世篇第一 p102」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 酒井讃岐守様よりの御状
    (抜粋)
 御同名肥後守(光尚)殿御縁邊之儀被仰被越候八條(宮)様も生島玄番(ママ)方・私所迄
 御使ニ被下貴殿もおくそこなく御同心ニ候間御前之儀御頼被成候由被仰聞候而少も御無
 沙汰申上間敷候御返事申上候先日少々御前ニて能次而御座候而八條様より御状之儀ニ
 付而使者御下シ被成候定而得上意可申旨そと申上候私なとハ右近殿(小倉・小笠原氏)
 より私共不被申参候而貴殿より右近殿御手前相違なき様ニ被成可被下候御次而見合候
 上意可申候此趣右近殿私ニ被仰候や失念仕候自然左様ニ右近殿も被仰候者右近殿前を
 相済其上得御意申度定而右近殿ハ少も相意有間敷と奉存候

    (中略)                 酒井讃岐守 
                               判
    霜月廿二日
         細川越中殿
               尊報
                          「熊本縣史料・近世篇第一 p180」

 いずれも「部分御舊記」にある文書の抜粋だが、年代がはっきりしない。
 「書状-4」との関連からして、寛永14年と考えるのが妥当であろう。
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加々美紅星と「雑華錦語集」

2010-09-03 12:09:55 | 歴史
 先にご紹介した「錦嚢移文」の編者、紅星こと加々美又兵衛は、別に「雑華錦語集」を顕している。
その出自は、ガラシャ夫人介錯役を勤め殉死した小笠原少齋に遡っている。


  小笠原少齋---+--長光--+--長之------長知・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→小笠原七郎家
           |      |
           |      +--長昌--+--長澄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→小笠原夫九郎家
           |      |      |
           |      |      | 加々美氏
           |      |      +--長定-----長意・・・・・・・・・・→加々美健次郎家
           |      |  
           |      +--●
           |      |
           |      +--長友・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→
           |          陽明学徒の故を以って追放さる 
           |
           +--長次 与三郎・入道玄也 切支丹の故を以って妻子共々誅伐さる
           |
           +--長良 室・藤孝女千 女子(田中又助室)をなしたが継嗣なく絶家

   「肥後人名辞典」は次の様に紹介している。
     加々美紅星 名は長意、又兵衛と称す。鶴灘の兄なり。終身記録の著書
                     雑華錦語集二百五十巻、錦嚢移文七十五巻あり。
                     安永八年九月廿一日歿す。年七十九。

 その「雑華錦語集」二百五十巻に何が書かれているのかがよく判らない。
「錦嚢移文」の内容細目をご紹介したことだから、つぎはこれに挑戦しようと思っている。
しかしこれはどうやら活字化されていないようだ。原本から書き起こさなければならないのか?
気合を入れてチャレンジしようと思っている。
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