津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

西園寺家と細川家

2010-09-08 14:31:32 | 歴史
 西園寺家といえば、忠興の嫡男・忠隆女徳姫が西園寺左大臣實晴に嫁いでいる。忠隆は500石を徳姫におくるよう遺言し、西園寺家を経済的に援助した。徳姫の三男・24代公宣(随宣)は公家を嫌い職を辞した跡、叔父長岡忠春(徳姫・弟)の知行地である熊本の入道水村(菊陽町原水)に隠棲、数年間を過ごしここで亡くなっている。娘が京都に帰り実輔(鷹司氏)を婿養子として迎え西園寺家を継承した。

         www.town.kikuyo.lg.jp/site/bunkazai
         ja.wikipedia.org/wiki/西園寺家

細川家記を見ると、綱利の三女(生母正室)松姫が西園寺左中将と婚約中十七歳で亡くなったと記している。24代の実尚と思われる。もし実現していれば、忠隆公もさぞお慶びであったろうと思うのだが・・・・

                          22     23
             21         +--公満---実尚           
            西園寺實晴    |  25     26
                 ∥-----+--公遂===実輔
 忠興----+--忠隆---徳姫    |  24     ∥
 ガラシャ |              +--公宣-----●
       +--興秋             
       |                  
       +--忠利---光尚---綱利----+---松姫
                           |
                           +===光尚
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実学党と細川齊護 そして学校党

2010-09-08 13:14:22 | 書籍・読書
 2005年3月「熊本大学社会文化研究」に、堤克彦氏の論考「肥後藩における『実学』の形成と展開:藩主細川齊護と藩家老長岡監物の場合」が発表された。熊本においては、実学党vs学校党という図式がよく語られる。党=集団と考えるならば、実学党はともかく学校党は存在しないと考えている。氏は「横井小楠」の研究家として知られる方だが、研究の過程として「実学党」の研究は避けて通れないものであろう。

 さて最新の「熊本史学」(2010、5 92号)では、蓑田勝彦氏が「熊本藩主=細川斉護の『実学連』排除--『学校党』は存在したか 」を発表、「実学党vs学校党」論争に一石を投じられた。

 後者についてはその全文を通読したのみで、所持するに至っていないが、堤氏と立場を異にする部分があり興味が尽きない。
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細川幽斎公没後四百年 記念シンポジュウム

2010-09-08 10:24:19 | 熊本
 日時:10月17日(日)13時~
 会場:鶴屋東館7階ホール
 基調講演:細川幽斎と天下統一 
      講師:稲葉継陽氏
          熊本大学文学部付属永青文庫研究センター教授
 パネルディスカッション
      パネリスト 小高道子氏  中京大教授
            細川佳代子氏  
            吉岡博之氏  京都府舞鶴市社会教育課長
            稲葉継陽氏
      コーディネーター
            高嶋正博氏  熊本日々新聞文化部長
 定員:600人(先着順)
 主催:水前寺まつり実行委員会(熊本日々新聞社ほか) 協力:永青文庫
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 申し込みについては、9/8付熊本日々新聞25面をご覧ください。
 お問い合わせは、096-361-3388 熊日事業局
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