西園寺家といえば、忠興の嫡男・忠隆女徳姫が西園寺左大臣實晴に嫁いでいる。忠隆は500石を徳姫におくるよう遺言し、西園寺家を経済的に援助した。徳姫の三男・24代公宣(随宣)は公家を嫌い職を辞した跡、叔父長岡忠春(徳姫・弟)の知行地である熊本の入道水村(菊陽町原水)に隠棲、数年間を過ごしここで亡くなっている。娘が京都に帰り実輔(鷹司氏)を婿養子として迎え西園寺家を継承した。
www.town.kikuyo.lg.jp/site/bunkazai
ja.wikipedia.org/wiki/西園寺家
細川家記を見ると、綱利の三女(生母正室)松姫が西園寺左中将と婚約中十七歳で亡くなったと記している。24代の実尚と思われる。もし実現していれば、忠隆公もさぞお慶びであったろうと思うのだが・・・・
22 23
21 +--公満---実尚
西園寺實晴 | 25 26
∥-----+--公遂===実輔
忠興----+--忠隆---徳姫 | 24 ∥
ガラシャ | +--公宣-----●
+--興秋
|
+--忠利---光尚---綱利----+---松姫
|
+===光尚
www.town.kikuyo.lg.jp/site/bunkazai
ja.wikipedia.org/wiki/西園寺家
細川家記を見ると、綱利の三女(生母正室)松姫が西園寺左中将と婚約中十七歳で亡くなったと記している。24代の実尚と思われる。もし実現していれば、忠隆公もさぞお慶びであったろうと思うのだが・・・・
22 23
21 +--公満---実尚
西園寺實晴 | 25 26
∥-----+--公遂===実輔
忠興----+--忠隆---徳姫 | 24 ∥
ガラシャ | +--公宣-----●
+--興秋
|
+--忠利---光尚---綱利----+---松姫
|
+===光尚