何時のころなのか、何方が祀られているのか承知しないが、ここは細川家の菩提寺であるという。一般の庶民も承知していたらしく、かって「史談会」で勉強した「日光道中記」の弥富某ら一行も旅の途中ここに宿泊している。塔頭の一つでありその名前が示す通り、赤松一族の菩提寺であったらしい。
高野山赤松院 www.sekishoin.net
縁起によると、「鎌倉後期護良親王当院に御在住当時、赤松則村随従し入道して円心と称され・・」赤松院と改めたとされる。護良親王もまた熊本には縁の深い方で、不思議な因縁を感じる。最近侍帳の研究の中で、赤松氏に係るお宅が多いことに気づき、大変興味深く思っている。赤松院を菩提寺とする経緯などまったく承知していないが、ご承知の方が居られたらご教示いただきたいと思う。
【赤松氏】 ja.wikipedia.org/wiki/赤松氏
【赤松一族と家臣団】 homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/rekishi/akamatu/aka_kasin2.htm
【護良親王】 ja.wikipedia.org/wiki/護良親王
【八代宮】 www.yroyal.com/yatsushirogu
赤松氏一族及び家臣であったと思われる諸氏
永良、浦上、上月、明石、志水、衣笠、魚住、後藤氏 etc
高野山赤松院 www.sekishoin.net
縁起によると、「鎌倉後期護良親王当院に御在住当時、赤松則村随従し入道して円心と称され・・」赤松院と改めたとされる。護良親王もまた熊本には縁の深い方で、不思議な因縁を感じる。最近侍帳の研究の中で、赤松氏に係るお宅が多いことに気づき、大変興味深く思っている。赤松院を菩提寺とする経緯などまったく承知していないが、ご承知の方が居られたらご教示いただきたいと思う。
【赤松氏】 ja.wikipedia.org/wiki/赤松氏
【赤松一族と家臣団】 homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/rekishi/akamatu/aka_kasin2.htm
【護良親王】 ja.wikipedia.org/wiki/護良親王
【八代宮】 www.yroyal.com/yatsushirogu
赤松氏一族及び家臣であったと思われる諸氏
永良、浦上、上月、明石、志水、衣笠、魚住、後藤氏 etc
国立情報研究所・論文情報ナビゲーター(CiNii)で、熊本藩で検索すると137件、肥後藩で84件、細川藩で31件、細川家で109件ほどがヒットし、種々の論考の目録を見ることができる。中には熊本大学学術リポジトリのように、PDFでその全文を読むことができて非常に有難い。出来得れば多くの論考がPDFで公開されることを切に願うものである。