津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

八代-未来の森ミュージアム

2010-09-20 11:20:31 | 徒然
 八代市立博物館「未来の森ミュージアム」の、次の展覧会の詳細が発表されている。
いやはや素晴らしいものばかりで、開館20周年記念にふさわしい取り合わせである。
これらが一・二点を除きすべて(財)松井文庫のものだというのにも驚かされる。
二三度通う必要がありそうだ。

      www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum

 ところで「熊本アートポリス」の事業は、細川護煕氏が熊本県知事時代に提唱され、名建築が数々出来、又これをきっかけに名建築家が登場した。
「未来の森ミュージアム」の設計者・伊東豊雄氏もそのお一人だろう。今回「第22回高松宮殿下記念世界文化賞」を受賞されたが、喜びにたえない。(個人的にアートポリス作品の中で一番好きな作品である)
20年を経過して多くの皆様が訪れて居られるが、伊東氏にとってはそれが一番嬉しいことではなかろうか。
      www.pref.kumamoto.jp/traffic/artpolis/links/005.html
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細川家家臣・吉田如雪家

2010-09-20 09:46:09 | 歴史
 ある方から吉田氏に関する資料を頂戴した。
JR鹿児島本線、上熊本駅前から京町台に上がる坂道がある。その左手、現在の林野庁の施設がある辺りに吉田家はあったらしい。西南戦争時ここから吉田家十一代如雪正固が、熊本城の炎上をみたことが日記に書かれている。貴重な史料である。

 資料を眺めていて、思わず「おっ」と声を上げてしまった。
6月26日のブログで「あゝ屏山先生・・」を書いた。高名な儒者水足屏山の奥方が不貞なる事件を起こし、屏山父子は不義の相手方に乗り込むがかえって返り討ちに遭い、屏山は死去、その子も大怪我をする。(この事件により水足家は絶家)そのとき駆けつけて助太刀し相手を仕留めたのが、吉田家五代喜右衛門父子だった。「水足事件助太刀にて笠井源右衛門を斬る」と書かれていた。喜右衛門の子・喜左衛門正弘は「武蔵流第三代」とあり、「肥後の武芸流派」をみると、次のようにある。

新免武蔵玄信--寺尾藤兵衛信行--寺尾郷右衛門勝行--吉田喜右(ママ)衛門正弘--山東彦右衛門清秀--山東半兵衛--山東新十郎

遠祖吉田美作は蒲生氏郷に仕え八千石、家老職を務めたという。二代・三代は加藤家に仕えている。明治十年当時吉田家が住まいしていた上記の場所は、赤尾本城址に近く加藤清正が荼毘にふされた場所でもある。
コメント (3)
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