津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

筑前藩のS氏

2010-09-28 18:36:11 | 歴史
 ある方からご恵贈いただいた、幕末筑前藩の悲惨な「乙丑の獄」に係る本を読んでいる。
家老・加藤図書ら勤皇派が大粛清を受け、切腹などの処分を受けた事件である。この中に私と同姓のS氏が含まれている。遠島の処分を受けた。我が家の遠祖は磯部氏だが、二代目が母方の姓をとりS氏を名乗った。いろいろ調べているがどうやら筑前の人であったようだ。しかし幕末勤皇派であったというS氏との関係は不明だが、その悲惨な処分には同情を禁じえない。有名な勤皇派・野村望東尼も姫島に流罪の身と成っているが、慶應二年救助されるがのち亡くなっている。S氏はこの望東尼と交流があったらしく、某図書館にはS氏文書として望東尼に関する史料が残されているらしい。

 筑前藩の悲惨はその後も続き、今度は勤皇派を粛清した守旧派が大政奉還を受けて、「乙丑の獄」同様の処分を受ける。執政の大部分がいなくなった中、勤皇派が復権した後、今度は「偽札事件」が勃発、この処分も厳しいものであった。筑前藩はわずかの期間に多くの人を失い、なすすべもなく時代の変革の大渦に巻き込まれていくのである。

 筑前と比較すると、熊本の実学党vs学校党の対立など物の数ではない。
もっとも神風連諸士の挙や、西南の役などで多くの人命が失われた。
わが高祖父も非業の死を遂げた。いずれの死も忘却のかなたにあるが、このような資料に遭遇すると、貴重な命のやり取りの上に我々が存在していることを思い知らされるのである。

 

 
コメント
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