津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

彦次郎って・・誰?

2012-03-02 11:11:14 | 歴史

 細川家の江戸上屋敷・龍の口邸のすぐ近くに「道三橋」があった。医師の曲直瀬道三(二代目玄朔)の屋敷があったことに由来するという。またこの橋は細川越中守から越中橋とも、又越中守の幼名から「彦次郎橋」とも呼んだと、サイト「東京都千代田区の歴史」は伝えている。
                                       http://tokyochiyoda.blog.shinobi.jp/Entry/315/

この彦次郎が判らない。このような幼名を名乗った人を私は知らない。何かの間違いではないのか・・・・・

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絵図・本妙寺本堂

2012-03-02 10:13:50 | 史料

 左手に見える階段が胸付雁木、300段の階段を登ると清正公の墓所・浄池廟に至る。
この絵図が書かれた時期、浄池廟がどのような形で存在していたのか定かではない。
左上部の赤く描かれているのが勅願道場本妙寺、その右が本妙寺本院である。左下の赤い表記の建物は現在の法皇閣、右手の赤い表記の建物は塔頭・雲晴院であろう。後年ここに神風連の小篠四兄弟が葬られることになる。 

ほぼこの絵図の状態で現在に至っている。 

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