九曜紋 細川九曜紋(離れ九曜)
細川九曜紋(離れ九曜)の登場は、細川宗孝の殿中における不慮の事件(1747)以降のことであるとされている。しかしながらこの紋は以前から存在するものであり、この事件以後七つ紋にするとともに、正式にこの形の紋を細川家においては採用したということであろう。
「離れ九曜」というものは、いつのころから存在していたのだろうか。
永青文庫には寛永十五年(1638)の天草島原の乱の際、光尚が使用したとされる縦172㌢×横181㌢ の細川九曜を染め抜いた大馬験が残されている。
宗孝の事件から110年も以前のことである。
いろいろ調べると他にも時代を遡り証明できるものがあるのだろうが、今後の課題としたい。ご存知の方はご教示いただきたい。