江戸名所図繪を読んでいる。なかなか面白いし勉強にも成り、改めて関係サイトと照らし合わせたりしてみるとなかなk興味深い。
左手に藪に囲まれた加藤越中守の屋敷が見える。上部に見えるのが藪小路である。(巻一 p187)
広重 愛宕下藪小路
中央奥に赤く見えるのが愛宕山の入り口、加藤越中守の屋敷は右手藪の中であり、藪小路は背後に位置する。
左手に塀が見えるのは土方備中守の屋敷である。
あるサイトを見るとこの藪を「加藤家の祖である清正の朝鮮における虎退治に由来する」とするが、水口藩加藤家の祖は加藤嘉明でありまったく関係ない。そしてこれを引用しているサイトがちらほらある。削除を願いたいものである。
江戸名所図繪は次のように記す。(巻一 p189)
藪小路 愛宕の下通り、加藤侯の邸の北の通りを云。同所艮の隅裏門の傍に少しばかりの竹叢あり、故にしかいへり。
されど其由来詳ならず、傳説あれども證としがたし。
慶長より寛永の頃に至り細川三齋公此地に住せられ、その庭中の小池を三齋堀と號くといふ・