津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

竜馬からの忠告記した書簡発見 県立図書館

2012-03-10 10:41:10 | 新聞

    http://kumanichi.com/news/local/main/20120309007.shtml

 庄(荘)村省三  【丹後以来】 (南東51-9)
    1、五郎右衛門 御門番衆 百石 (豊前)
    2、仁左衛門  (1)台所人 十石五人扶持 豊前  
              (2)組外衆 百石 (真源院様御代御侍名附)
              (3)百石 (真源院様御代御侍免撫帳)
              (4)御留守居衆・田中左兵衛与 百石 (寛文四年六月・御侍帳)
    3、八助       御奉行処触組 御勘定役 百石・御役料米三十石 (御侍帳・元禄五年比カ)・・八
郎?
    4、五郎右衛門・政長 百石 御番方 十二番 屋敷・内坪井
    5、五郎右衛門
    6、仁左衛門   御番方 百石
    7、八助     
 庄村八助知行(年代不明)百石
    8、新平(五郎右衛門)
    9、市太郎(一郎助)  (1)須佐美権之允組御留守居御番方 百石
                   (2)八代御城付八代御番頭組 百石
            市太郎  
天保八年四月~弘化元年四月 阿蘇南郷郡代
            一郎助 
 慶応二年四月~慶応三年十二月 高瀬町奉行
    10、助右衛門(省三)   百石  

         何代か不明 五郎右衛門
                  
 宝暦二年三月~**   鶴崎郡代
                   明和元年十一月頃~   宇土郡代
                   明和元年*~明和四年  八代郡代

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見つけた・・・・・

2012-03-10 07:43:41 | 書籍・読書

  細川齊茲が愛してやまなかった耇姫の画像は何ともかわいらしく、幼くして死んだ無念さが偲ばれる。
耇姫については吉川弘文館の「本郷」2007年3月号に斉藤研一氏の「子どもの肖像画『細川耇姫像』によせて」がある。又地元熊本の郷土史家・蓑田勝彦氏の「細川耇姫と『荒仕子』清七」が熊本歴研・史叢第13号に発表されている。いずれも耇姫の愛らしさを増幅させてくれた。
斉藤研一氏の論考によると、耇姫の生い立ちの記ともいえる永青文庫蔵「梅の薫」があり、これを翻刻した山岸素夫の論考「『梅の薫』と耇姫画像の考察」が日本風俗学会の1993年32-2号に掲載されているという。

二年ばかりだろうか、随分探し回ったのだが昨日ようやく「日本の古本屋」で発見、早速注文をする。

山本素夫氏といえば甲冑の研究家に同姓同名の方が居られる。同一人物であろうか・・・・
数日待たねば成らないが楽しみではある。 

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