http://www.asahi.com/politics/update/0320/TKY201203200350.html
先にブログでご紹介した宮脇先生提唱のプロジェクトに。細川元首相が動き出されたようだ。
何とか一日も早く着工の運びとなるように祈るばかりである。
宮脇昭・(財)国際生態学センター所長の提唱を実現させよう
http://www.asahi.com/politics/update/0320/TKY201203200350.html
先にブログでご紹介した宮脇先生提唱のプロジェクトに。細川元首相が動き出されたようだ。
何とか一日も早く着工の運びとなるように祈るばかりである。
最近勉強不足でブログに書くネタが枯渇状態である。何とか幅を広げたいと思い「地図散歩」というカテゴリーを追加した。
新熊本市史の地図編は、「江戸時代のゼンリン地図」とも言ってよい位に細川藩士の屋敷を知ることが出来る。
この地図を片手に自転車で走り回って、いろいろレポートしようかと思っている。
随分くたびれた自転車をまずは処分して、新しい自転車を購入しようと考えている。
左の膝が痛いのがいささか気になるところだが、車にのせて目的地近くの100円パーキングまで出かけて、そこからサイクリングという訳である。
ダイエットにもなり一石二鳥ということもある。
ただいま地図とにらめっこをしながら、まずはどこへ出かけようかとイメージトレーニングに励んでいる。
新熊本市史・地図編では、一つの地域が時代を異にして4~5枚存在しているから、同じ屋敷でも住人の入れ替わりがある。
このあたりも確かめておかなければならないし、事前の勉強が大変ではある。
暖かくなったら動き出したと思っている。そしてカテゴリー「地図散歩」でご報告しようと考えている。乞うご期待・・・
細川家家臣山内氏を家紋から探ってみると興味深いものがある。
(十五)山内 山家 丸に一文字紋
(十六)山内又四郎家 丸に柏巴紋
(十七)山内九平太家 井桁菱に丸紋
(十八)山内忠次郎家 不明 ( )数字は「や」二冊之内、南東三五(棚番号)に於ける番号を示す。--細川家家臣略系譜から
山内氏は遠祖を首藤氏とするという。丸に一文字紋はまさしく首藤山内氏の紋である。(十五)
(十六)の山内氏は丸に柏巴紋で 土佐の山内氏(丸に柏紋)に連なるものではないかと考えられる。
(十七)については家紋からの関連性は見受けられない。
問題は(十八)の忠次郎家である。家紋は不明であるが、川口恭子氏編の「細川家家臣略系譜」は初代を首藤刑部丞義通としている。
先祖附を見ていないのでよくわからないが、これは初代ではなく遠祖ではないのか・・・・
武家家伝から引用させていただくと、山内氏の発祥として【 『尊卑分脉』をみると、親清の子義通に山内刑部丞と傍注がされ、『山内首藤氏系図』では、義通の子俊通に「相模国に住み、山内滝口を号す」とある。首藤氏は十二世紀前半の義通・俊通父子のころ、相模国鎌倉郡山内に土着して山内首藤を称するようになったようだ。】としている。
忠次郎家の首藤刑部丞義通なる人物は、上記「武家家伝」にある義通と解してよいのではないか、先祖附がこのあたりをどう書き表しているのか調べる必要がある。
(十七)はともかく、他の三家は祖を首藤氏とすることは間違いなさそうである。
四家の先祖附を読んで召出の経緯をしらべると、いま少しこれらの関係が詳しくなるのではないかと思っている。
1,000以上の家があると、まだまだ見落としている所が沢山ある。