津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

明治廿二年・廿五年上田久兵衛記念碑建設 寄付金名簿

2012-03-28 10:45:07 | 歴史

 熊本市横手町の禅定寺にある上田久兵衛顕彰費の建設に当っては、川尻の皆様の大変な熱意と貴重な浄財の寄付があったことを聞き及んでいる。
血を引く人間として深く感謝申し上げる。その名簿が残されていることは承知していたのだが、今般故鈴木喬先生が残された上田久兵衛にかかわる資料を整理していたところ10冊に及ぶ寄付をされた方々の名簿が見つかった。

写真のものは77頁に及び、建設旨趣(ママ)書が閉じこまれ寄付者とその金額がしるされているが、その他9冊は6~10頁ほどで名前と金額の記載のみである。その金額の多寡はまちまちであるが、先に記したように川尻の町の方々のまさに心から出た浄財であることが判る。
一銭五厘、三銭と云った数字が多く見られるし、時には一円、一円五十銭といった高額者も居られる。五円というのが最高の金額のようである。

この時期の貨幣価値がよくわからないが、米価などから比較すると現在は8,000倍ほどになっている・・・・ 

鈴木先生のご遺族のご了解を得て、川尻の皆様にご覧いただけるよう何らかの手立てをしようと考えている。

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鶴崎を勉強する

2012-03-28 09:13:09 | 書籍・読書

 大分市鶴崎公民館の「ふるさとの歴史教室」発刊の、平成17年度研究小報」を日本の古本屋で発見、少々高かったが購入。「瀬戸内の航路図」が掲載されているという謳い文句に惹かれてしまった。
先にご紹介したが、鶴崎の「御船歌復活に寄せて」の本をご恵贈いただいたこともあって、勉強を継続させなければならないと思っていたからである。

 航路図は正式には「熊本藩鶴崎定詰船手所持瀬戸内海路図」というのだそうだが、写真七枚で紹介されているが判が小さく詳細がわからない。
所有者が判っているからぜひ本物を拝見したいものだと思っている。別途嘉永二年六月四日の日付がある「航路記」がある。藤原秀政の署名・花押があり「豊後鶴崎ヨリ摂州大坂迄海上航路両道并湊附」とあり、津崎から大坂にいたる海路のほか、上ノ関から大里(豊前小倉)にいたる中国路海上、鞆から鶴崎にいたる伊豫路海上が詳細な里程と共に記されている。

その他貴重な記事が多くあり、細川藩の御船手の重要な拠点としての栄誉を謳いあげている。
大分市に於ける鶴崎の独自性は、まさしくこのことが底辺にあり現在もこの冊子に見るような鶴崎ならではの文化的活動が為されている。 

 

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