津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

安政の大地震(東海)

2013-11-04 19:50:43 | 歴史

                                         

   安政元年(嘉永七年)の今日、いわゆる安政東海地震が起きた。翌日には南海地震が発生している。   
  この時期細川藩は相州警備の為、肥後藩士を派遣しているが道中のさ中に地震に遭遇、荒木敬右衛門が道中日記で詳しく有様を認めている。
  苦労をしながら十一月廿一日相州陣屋に到着している。以下は地震が発生した十一月四日の模様である。

 

                 勢州亀山縄手
                   地震縄手     並松左右沼アリ
                  此処通懸り当六月十四日地震ニ而亀山
                  御城ヤクラ 塀 カベ抔散々損し誠に
                  目を驚かし地震之噂抔いたし
                  所々損所見通り縄手並松左右ニ而
                  十丁計之処半分計通り懸候処
                  五ッ半比と覚いつ方となくゴヲゴヲト
                  ライ聲もおとりたる天地をさけび
                  よふなる変成音いたし往来之人々
                  顔見合而仰天いたし候中道■次第次第ニ
                  ユリ出し大地震ニなり暫ユリ人足
                  人馬皆々足踏留メ難成千鳥足ニ而
                  右よ左よと倒レ馬乗之人は
                  落馬致無残籠の人は籠よりぶり出し往還
                  筋前後足元之無差別壱尺
                  弐尺七八寸 五六寸幾筋か千々ニ引
                  割泥水吹上ケ往還に満水いたし通路之人馬
                  駄津うセながら倒れたすけ
                  呉れと喚嗁べ共たれとて助ル人モ
                  なし 私し共初皆々彼の割目ヲ
                  飛越■■■よふよふと並松ニ取付居
                  実ニ一命終り候と存神仏江祈念の
                  聲々あわただ敷旅人ハ世直し
                  世直しととなへし 聲々誠ニ身ニシミ
                  夢うつつともわからぬ不時之仰天ニ
                  候処猶並松よりユリハナサレ最者ヤ弥以
                  一命士中ニ割込レ候と心決仕其アハレ
                  言語同断をそろしきとも何れとも
                  言語難盡筆紙述候而又々並松ニ
                  よふよふと取付神仏江祈念仕候 漸
                  半時計りユリ次第ニ終候
 

                 一、長崎御奉行水野筑前守様行列も
                  先度之無差別散乱いたし
                  家来之中壱人怪我いたし足打折
                  気絶致し参人も壱人怪我いたし
                  私共御勢ハ多人数ニ候へとも天運強
                  不残無事ニ而よふよふと石薬師
                  之駅ニたとり付誠ニ古今無類の天変ニ而前代見分
                  之事共ニ御座候事
                勢州亀山領
                一、石薬師、四日市 二里十丁
                  此処ニ朝五ツ半比着 ■田中本田■之■
                  此宿之先ニ罷越候ニ付町口一丁計り入り居候処
                  市中之人々ケハ敷走出畑田中本丸かト
                  (判読不明)           地震ユリ
                  出し自然と強成市中江老若男女
                  群集いたし騒立テ水野殿下向
                  ニ付人足人馬段々セリ懸来り候
                  最中ニ而問屋場継立人足人馬
                  等入レ乱町中江迯出 元より人家畜
                  ユリ崩レ町中江ノ人込押分押分
                  よふよふと町迯江明家敷有所江
                  迯込候 然処只只地震強ク此処も
                  往来筋引割前条同様ニ而
                  当宿之人々案内怪我いたし候由
                  カツ又在方より人足罷出候者所々
                  方々と迯去り継前役人大イニ困り
                  暫し而漸ク継立罷越候處此先
                  往来損橋崩落候段駅役申聞
                  候之計 又暫彼之處水野■■ニ而
                  差速ニかり橋出来打越候
                勢州郡山領
                一、四日市、くわな 三里八丁
                  此処当六月十四日大地震壱番手強候由ニ而
                  神社佛閣寺院鳥井石燈籠等
                  ことごとく崩人家数千軒余之内三合通ハ
                  少し無難七合通ハ散々崩死人怪我人共ニ
                  七百余有之 其上過半焼失最ハヤ
                  新規出来之家段々有之 普仕(ママ)候
                  最中ニ候処又も十一月十四日之大地震ニユリ
                  崩レ家士中ニメリ込候ヶ所も有之
                  一軒も無難之家等無之惣躰此処
                  沼ニ而別而ユリ方強クあわれ
                  ハカなき事共ニテ候得共六月之
                  様ニは此処ハユリ不申由此節ハ各別
                  死人怪我人無之由 右之次第ニ而
                  炊火等一サイ難成煙草の火もなく
                  仕度所茶屋小屋等も一向無之
                  素より往来も留りこまりたる
                  道中ニ而御座候事


安政の東南海地震から約160年、いろいろ伝えられる予測が空振りに終わることを願わずにはいられない。

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お安く読む・中公文庫「水の旅・日本再発見」

2013-11-04 16:08:25 | 書籍・読書
    水の旅 (中公文庫)
 
     中央公論新社

内容(「BOOK」データベースより)

日本文化は水の文化でもある。日本列島の自然は山も川も、先祖たちが手をかけて、後世に贈ったものである。
先祖の知恵を学び、水を通して明日の日本を考える。

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紀伊国屋の「書評空間」で、文筆家近代ナリコは次のように書いている。
 
日本列島の山々を覆う森林が、祖先たちによっていかに築きあげられたものであるかを伝えるエピソードである。
たとえば「阿蘇の水を作る話」。江戸時代、阿蘇の外輪山吉無田官山から有明海へ注ぐ緑川の支流御船川流域では、水の乏しい土地に入植するさい、半世紀にわたって水源の山に木を植えつづけ、川の水量を増やし、水路を引いた。
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40分散歩

2013-11-04 07:34:11 | イベント

                                                                             販売店のサイトから

 4キロ散歩を宗旨替えして40分散歩を始めた。行程約2.5キロ、高低差18メートルあって膝痛爺にとってはこの程度が宜しかろう。
奥方から「続けることが大切ョ」と一本くぎを刺されたが、今度は血圧降下の大命題があって、早々止めるわけにはいかない。
膝をかばいながらの散歩に成るが、ある程度身体に負荷がかからないと運動にはならないから、兼ね合いが難しい。

途中に最近できたミニローバーの販売店に、話題のくまモンミニローバーが置かれていた。昨日の事だが、通りすがりの人達が盛んに撮影をしていた。
そんな街中の風景を横目に見ながら40分散歩すると、いろんな発見をする。
栗・柿・ザボン・夏みかん(?)・ざくろ等が結構植えられている。まさに秋の風情である。人様の御宅の表札を観察するのは最近の私の癖になったが、気に成るお名前に出くわすと、「古文書なんぞお持ちではないか」などといらぬ妄想を逞しくしている。

さて本日はお昼にしようか、夕方にしようか・・・ 

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