津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

加藤家侍帳 ・9

2013-11-25 11:21:03 | 保存

     長尾権之助組
 八百八石七斗五升                   長尾権之助
 弐百拾弐石六斗八升九合              小畑又八
 弐百九石九斗弐合                   竹田小太郎
 百九拾壱石八斗                    中河長三郎
 七百参拾六石壱斗七升五合             寺井小七郎
 弐百七拾石                        奥村数馬
 弐百石                           入江段四郎
 弐百九拾九石参斗弐升参合             飯田喜三兵衛
 五百八拾七石七升                   嘉悦平馬
 拾人扶持                         中尾与十郎
 弐百七拾弐石六斗                   中川伝次
 参百五拾石                        宮崎平次
 参百八石七斗参升五合                 奥村弥左衛門
 五百石                           糟谷十郎左衛門
 百八拾石                          杉村文太夫
 百九拾弐石五斗六升                  窪田平十郎
 弐百五拾壱石六斗弐升弐合             竹田藤内
 弐百五拾四石七斗壱升弐合             生駒五郎八
 弐百五拾弐石五斗八升壱合             竹田作十郎
 四百九拾八石                      下川平吉
 拾人扶持                          堀田加介
 拾人扶持                          福田十太夫
 七人扶持                          森部又之允
 七人扶持                          上田伝右衛門
 七人扶持                          小林伝兵衛
 七人扶持                          藤田三郎兵衛
 六百弐拾九石参斗弐升四合             柳田勘右衛門
 九拾人扶持               勘右衛門与    弓之者 参拾人

     松下弥平次組
 四百壱石五斗六升五合                松下弥平次
 五百石                           蟹江七太夫
 五人扶持                         荒木少二郎
 四百六拾壱石弐斗                   嘉悦小平次
 七拾人扶持                        鉄炮之者 弐拾五人扶持
 百七拾七石参斗五升                  嘉悦弥三右衛門
 弐百弐拾参石弐斗弐升弐合             早川四郎兵衛
 弐百六石六斗壱升参合                北 五右衛門
 参百五拾五石弐斗弐升                粟生甚兵衛
 参百壱石                          野尻八介
 弐百四拾六石六斗八升七合             松下右衛門
 九百九拾弐石参斗弐升                中村助十郎
 四百石                           大木次右衛門
 五百六石八斗                      早川内右衛門
 参百七拾参石六斗                   糟屋図書
 百七拾五石壱斗七升五合               松下弥二郎
 百七拾壱石九斗五升弐合               古閑喜介
 参百五拾石                        松下権蔵
 五百拾石七斗七升九合                下野藤村
 五百石                           平川縫殿介
 弐百七拾六石九斗五升九合             筑紫二郎八
 拾参人扶持                        貴田角蔵
 弐百七拾参石四斗六升                 野村小右衛門
 五百拾弐石四斗参升四合               木造左馬允
 百八拾石                          服部七兵衛

     中川平九郎与
 六百八石八斗                      中川平九郎
 百七拾石                         杉村作允
 弐百弐石四斗                      佐野杢右衛門
 参百八拾九石参斗四升四合             馬場兵三郎
 弐百五拾石                        荒川八太夫
 六百石                           水野左膳
 五百弐拾石                        原田武右衛門
 百五拾八石壱斗八升九合               河原二郎兵衛
 弐百九石六斗九升壱合                近藤七郎兵衛
 四百参拾四石九斗六升九合             小野三郎太夫
 四百石                           北里又作
 弐百六拾八石五斗五升七合             栗田九兵衛
 百九拾七石九斗七升五合              川原藤三郎
 参百石                           伏見八郎右衛門
 百九拾石八斗参合                   黒部与兵衛
 弐百四拾五石六斗                   野尻藤左衛門
 百五拾九石六斗五升参合               稲生六兵衛
 弐百石                           土橋四方介
 百五拾参石七斗参升七合               佐藤弥惣左衛門
 拾参人扶持                        山田半兵衛
 八人扶持                         松下角之丞
 拾人扶持                         中嶋藤九郎
 弐百九拾参石八斗                   柏原市郎太夫
 弐百五拾石                        平野二郎右衛門
 参百石                           福島弥右衛門

     相田六左衛門組
 四百石                           相田六左衛門
 弐百壱石七斗                      芳賀助十郎
 弐百壱石九斗参升壱合                黒宮五郎兵衛
 百六拾五石四斗四升参合               橋本藤兵衛
 五百六石八斗九升七合                成田重左衛門
 四百弐拾参石弐斗六升                野尻平八
 六百五石弐斗                      酒井内蔵丞
 弐百四拾五石壱升九合                安田弥伝次
 弐百参拾九石弐斗参升弐合             魚住忠二郎
 弐百弐拾石五斗                     古橋小左衛門
 弐百七拾六石七斗                   村田市太夫
 弐百拾参石九斗七升五合               古橋左五右衛門
 弐百壱石壱斗九升壱合                林 九大夫
 百五拾石                          林 七兵衛
 五百石                           小代六兵衛
 千九石七斗七升六合                  山田藤蔵
 百弐拾四石弐斗四升九合       藤蔵内     大島次兵衛
 百六拾参石参斗八升          藤蔵内     山田左近右衛門
 弐百弐拾六石弐斗七升五合             平田二郎兵衛
 百壱石九斗弐合                     多賀勘十郎
 五人扶持                          山田二郎太夫
 弐百五拾石壱斗弐升九合               萱野勝三郎
 五百石                           神田左京
 参百八拾石                        飯田孫左衛門
 拾参人扶持                        椙村与二兵衛
 八人扶持                          堀江安兵衛
 百六拾四石五斗九升四合               山口久兵衛
 参百五拾石                        北川平八
  

 
  

  

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宇土城の破却

2013-11-25 10:20:59 | 歴史

或る方から宇土城の破却に関してのご質問をいただいた。
肥後文献叢書の「古城考」を見ても、破却に係る詳細は知ることが出来ない。同じく 肥後文献叢書(三)で、小西行長の事蹟を追う中で宇土城に関する記述の中に以下のような記述があった。
新撰事蹟通考・巻之十二(p197)

   堀内安房守氏善ハ紀伊國無婁郡新宮ノ城主ナリ、秀吉ニ仕テ二萬七千石ヲ領ス、近歳紀伊没落ノ後行長ヲ頼リ肥後ニ来リ宇土ニ浪客タリ、宇土落城
   以後清正ノ扶助ニ預リ宇土城内ニ居住シ剃髪シテ道也ト穪ス、慶長十四年病死宇土ノ石橋村三寶院ニ葬ル、墓碑ノ銘ニ笑翁清定居士紀州室郡藤原
   朝臣堀内安房入道于時慶長十四年己酉八月十五日 一書ニ曰氏善ハ宮内少輔氏高カ子ナリ、慶長五年西方ニ黨シ軍破テ本國山本ニ蟄居シ、後肥後ニ来テ加藤清正ニ寄食シ
    宇土ノ城ニ居ル、未知孰是                                 

  (天正)十六年六月小西行長此城ヲ居城ニ定メ城郭ノ狭小ナルヲ以テ翌年ヨリ築廣修繕ヲ加フ・・・・・此度清正並河氏之ヲ城代トシ、後ニ中川豊後城代
   トナル、慶長十七年公命ニ依テ城郭ヲ破却ス
   一書ニ云、此時堀内右衛門兵衛・井上大九郎奉行トシテ城ヲ解崩ス、上使中山勘解由ト云、同或云隈本城築ノ天守ヲ引テ本丸ニ立宇土櫓と云是也、

これ等の事から宇土城の破却は、堀内氏善の子・右衛門兵衛氏治と、並川志摩守が率いる一番備の士・井上大九郎(383石)らが奉行を勤め実施されたことが判る。また天草島原の乱後、再び徹底的な破却の手が入れられたという。
尚、加藤家侍帳(時習館本)に於いては、堀内氏善・氏治については見受けられない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
尚、赤穂浪士の接待役を勤めて高名な堀内傳右衛門は、氏善の弟・半介の子孫である。 

       +--安房守氏善(新宮27,000石→加藤清正臣・宇土居住)---+---氏久(千姫を救出→旗本となる)
        |                                    |
    |                                    +---右衛門兵衛氏治
    |      (1)         (2)
    +--半介---構之助---+==三郎兵衛     
                   |   ↑     三盛  +--三盛-------------------------------------→(三曎家)
                   |   |      ↑   |
                   |   |      |----+--喜右衛門---+--喜右衛門-----------------→(謙太家)
                   |   |      ↓              |  旦夕                  
                   |   |  +--女某             +--傳右衛門-----------------→(傳内家)
                   |   |  |                     赤穂浪士接待役
                   |   |---+--八右衛門------------------------------------------→(角平家)
                   |   ↓  |
                   +--妙庵  +--角之允--------------------------------------------→(軍蔵家)
                           |
                           +--文右衛門------------------------------------------→(卓爾家)

                           

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