史談会の11月例会に使う「肥藩落穂集=銀臺拾遺」を読んでいる中で、いろんな人間関係が見えてきて面白く思える。
略系図にしようと試みたが、図示するにはなかなか難儀で途中でやめてしまった。
・重賢公は肥後の鳳凰と呼ばれたが、一方紀州の麒麟と呼ばれたのが徳川治貞公である。
・重賢公の兄・宗孝公が殿中で刃傷に及ばれるが、適切な助言をされたのが伊達宗村公である。
・徳川治貞公、伊達宗村公室、細川宗孝公室は徳川宗直公の御子である。
・その徳川宗直公の兄・松平頼路に細川綱利女・菊姫が嫁いでいる。
・綱利公室・久姫(本源院)は水戸徳川家頼房公女である。(頼重・光圀妹だが頼重の養女である)
・重賢公室・由婦姫(有隣院)は久我通兄女であるが、通兄の生母は綱利養女(弟・利重女)具姫である。
通兄の父・惟通の義妹(伯父・通名女)が伊達吉村に嫁ぎ、その子が伊達宗村である。
・伊達吉村は仙台藩の中興の祖と呼ばれる。細川重賢公同様藩財政を立て直した名君だとされる。
・宇土支藩の細川興文公は重賢公息・治年公の舅である。(室・埴姫の父)又、治年公の養嗣子は興文公嫡子・立禮公(齊茲公)である。
・興文公の兄・興里公室は細川宣紀公(宗孝・重賢公父)女・軌姫(清源院)である。
徳川治貞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
享保13年(1728) 寛政元年(1789)62歳
伊達宗村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
享保3年(1718)5月 宝暦6年(1756)39歳
細川宗孝 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
享保3年(1718)4月 延享4年8月(1747)30歳
細川重賢 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
享保5年(1780)12月 天明5年(1785)2月65歳
細川興文 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
享保8年(1723)9月 天明五年(1785)7月62歳