津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

汀の敦盛

2013-11-11 17:44:43 | 徒然

                                        波際を敗走する平敦盛  永青文庫蔵『一の谷合戦図屏風』より 永青文庫・一ノ谷合戦図屏風より

 これは一ノ谷の戦いに敗れ、汀を行く平敦盛を描いた錦絵である。実はこの部分と思われる別摺りのものがオークションに出ていたのだが、ご紹介する間もなく落札されていたようだ。

                        萌葱匂の鎧着て、鍬形うったる甲の緒しめ、こがねづくりの太刀をはき、切斑の矢負い、
                        滋籐の弓もて、連銭葦毛なる馬に、黄覆輪の鞍おいて乗ったる武者一騎・・・・・

「平家物語」にはこのように紹介される敦盛だが、永青文庫に所蔵する「六曲一双」の屏風には右手後方に熊谷次郎直実が扇をかざして「かえさせたまへ/\」と呼びかけている。

応札してみようかと思っていたのだが、すっかり失念してしまった。

 

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五人の関係

2013-11-11 11:31:20 | イベント

 史談会の11月例会に使う「肥藩落穂集=銀臺拾遺」を読んでいる中で、いろんな人間関係が見えてきて面白く思える。
略系図にしようと試みたが、図示するにはなかなか難儀で途中でやめてしまった。

   ・重賢公は肥後の鳳凰と呼ばれたが、一方紀州の麒麟と呼ばれたのが徳川治貞公である。
   ・重賢公の兄・宗孝公が殿中で刃傷に及ばれるが、適切な助言をされたのが伊達宗村公である。
   ・徳川治貞公、伊達宗村公室、細川宗孝公室は徳川宗直公の御子である。
   ・その徳川宗直公の兄・松平頼路に細川綱利女・菊姫が嫁いでいる。
   ・綱利公室・久姫(本源院)は水戸徳川家頼房公女である。(頼重・光圀妹だが頼重の養女である)
   ・重賢公室・由婦姫(有隣院)は久我通兄女であるが、通兄の生母は綱利養女(弟・利重女)具姫である。
    通兄の父・惟通の義妹(伯父・通名女)が伊達吉村に嫁ぎ、その子が伊達宗村である。
   ・伊達吉村は仙台藩の中興の祖と呼ばれる。細川重賢公同様藩財政を立て直した名君だとされる。

   ・宇土支藩の細川興文公は重賢公息・治年公の舅である。(室・埴姫の父)又、治年公の養嗣子は興文公嫡子・立禮公(齊茲公)である。
   ・興文公の兄・興里公室は細川宣紀公(宗孝・重賢公父)女・軌姫(清源院)である。

 

             徳川治貞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                 享保13年(1728)                                        寛政元年(1789)62歳 

 伊達宗村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      享保3年(1718)5月                宝暦6年(1756)39歳 

 細川宗孝 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      享保3年(1718)4月         延享4年8月(1747)30歳

 細川重賢  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      享保5年(1780)12月                                         天明5年(1785)2月65歳 

 細川興文    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      享保8年(1723)9月                                         天明五年(1785)7月62歳

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