津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣--高本氏

2013-11-22 10:14:59 | イベント

                         文禄元年壬辰是ヨリ先キ秀吉関白職ヲ義子秀次ニ譲リ自ラ太閤ト穪ス 太閤朝鮮征伐ヲ諸将ニ
                       命シ戦艦ヲ造リ兵粮ヲ蓄へ軍勢ヲ募リ三月朔日ヨリ先鋒ノ諸将出馬アリ 忠興モ發向ス 太閤ハ
                       廿六日京ヲ發セラレ是時朝鮮渡海及ヒ名護屋守護ノ人數共凡三十餘萬ナリ 四月十ニ三日ノ頃
                       先鋒小西行長・加藤清正ヲ初メ名護屋ヲ出舩ス 太閤モ廿四日筑前深江ニ着舩忠興ハ名護屋ノ
                       旅館水走ニ居ケルカ宰相秀信ト倶ニ壹岐國風本ノ湊ニ旅館造営ノ事ヲ勤ム 其後對馬へ渡海ス
                       ヘキトノ命アリ先驅ノ諸将ハ小西行長ヲ初メ軍功ヲ勵ミ所々ノ城ヲ屠リ都へ攻入リ清正ハ朝鮮ノ王
                       子ヲ生捕リ各威ヲ振フ 六月太閤又六萬ノ人數ヲ朝鮮へ遣ハス 是先キ二渡海ノ軍勢ノミニテハ
                       若シ明ノ援兵来ル事アラハ合戦難儀ニ及ヒ彼地王城ノ制法モ行レ難カルへシ 因テ三奉行 石田・
                               増田・大谷 
ヲモ渡海セシメントテ参列ノ人數を遣ハサル 忠興一列諸将ノ勢合テ二萬五千四百七十
                       人三組合テ六萬三千餘ナリ 忠興カ従軍ニハ興元・孝之・長岡好重・松井康之・同興之・有吉立
                       行・米田是政ヲ先トシテ都合三千五百ナリ 十七日釜山浦ニ看ス 先達テ渡海ノ諸将ハ都城ニ在
                       ル由鳴れハ今度ノ人數互ニ待合セ廿六日釜山浦ヲ發シ七月廿三日都城ニ至リ諸将ト會ス 八月
                       七日忠興王城ヨリ打出慶尚道ノ内岩山城ヲ攻ム 敵ハ李光源ト云者大将ニ數千人楯籠ル 先鋒
                       松井康之其外興元ヲ初メ各進テ砲丸ヲ飛ス 敵城門ヲ開キ出戦フ 興之衆ヲ抽テ進ミ向フ者ヲ突
                       伏セ首級ヲ獲タリ 敵叢リ進テ興之ヲ圍ムヒルマス戦テ三ケ所創ヲ被ル 松井家士松井仁平次等
                       能ク働テ興之ヲ助ク 是ヲ見テ興元・好重継テ攻寄セ自ラ敵ヲ討チ首ヲ取リ有吉立行・澤村才八
                       等モ各功アリ城兵散亂シテ城ニ入ルヲ忠興下知ヲ加へ攻入リシカハ城兵後ノ山ヨリ逃去ル 此時
                       味方ニ打取ル首千餘級城ハ火ヲ縦チ焼棄ツ 此由名護屋ニ聞へ太閤ノ感賞ニ與ル 同時慶尚道
                       仁道縣ノ領主李連宗朝鮮王ヲ奉シテ義州ニアリ其子李宗閑一城ヲ構ヘテ守リケルヲ忠興聞テ同
                       十日彼城ニ向ヒ攻ム 南條元信援兵トシテ千五百人ヲ卒シ馳加ハリ両国合テ五千人ニテ攻寄タリ
                       城中寡兵ニシテ防難ク逃出ルヲ尾撃シテ過半討取ル 李宗閑ハ元信ノ手ニ生捕ケリ 忠興所々
                       巡見シテ不堅固ナル所ヲ修補して暫ク是城ニ據ル

「細川忠興譜」にある文禄の役緒戦の記述である。加藤清正は朝鮮の王子を捕虜とし、南條元信が王族・李宗閑を捕虜とした。(父・小鴨元清においては
同人の働きによるとしている。元信は細川忠興より召し出され、細川興秋女・鍋を室としている)
細川家家臣高本家の家譜は李宗連を家祖として記載されている。宗閑の子が細川家に召し出され、「高本姓」及「家紋」を与えられた。初代慶宅である。
医を家業として仕えた。五代慶順(紫溟)は藩校時習館の三代目教授として知られる。 

   高本孝太郎  (南東22-20)     
     李連宗
     李宗閑  
朝鮮王族、文禄の役の折捕虜として日本にいたる。
    1、慶宅   医師并伽之者 百石 (於豊前小倉御侍帳)
           御児小姓并御伽衆共 百石 (肥後御入国宿割帳)
           御医師衆御伽衆御茶道衆 三百石 (真源院様御代御侍名附)
           三百石 (真源院様御代御侍免撫帳)
           御医師衆・御茶道衆 三百石 (寛文四年六月・御侍帳)
    2、慶宅
    3、玄常・友成(養子 水無瀬中納言内・加藤司権兵衛忰・玄常))
    4、玄碩  (1)二百石 御備医師外様医 屋敷・山崎
    5、慶順(養子 実・原田宗昆六男 慶蔵・敬蔵)  
             御備頭組御留守居大頭組 御儒者・助教 二百石
         
高本紫溟 名は順字は子友、慶蔵と称し後敬蔵と改む。紫溟は其号。細川侯に仕へ
                食禄二百石。世々医を業とす。其先は
朝鮮王の庶族李姓なり、幼にして
                才名あり、詩を善くす。夙に世を厭ふ心ありて、阿蘇山中に茅屋を結びて
                住し、萬松廬と云う。書を読む数年、学大に進む、明和年中藩公召して時
                習館訓導となす。是に於て決然心を翻し、出でて治教を稗補せんと思ひ、
                薮孤山を助けて教育に従事し、遂に教授職に進み、学政を管する事数十
                年、子弟を育すること甚だ多し。博学多識既に伊洛の学に深く、兼て国歌
                国文を善くす。嘗て長瀬真幸の江戸に抵役するや国文一編を贈る。
                真幸京都に留る数旬、其文図らずも、上皇の叡覧に入る。玉音あり、「図ら
                ざりき田舎此珍あらんとは」と、紫溟感拝して自ら田舎珍夫と号し印章に刻
                せり。嘗て芳野に遊び転じて松坂の本居宣長を訪ぬ。(一部略)
                氏真幸を勧めて、宣長に従ひて国典を講究せしむ。業成りて時習館一局に
                於て教授せしむ。是より始めて肥後に国典の学興り、歌道に深き人々出で
                たるは全く紫溟の功績なり。(一部略)
                文化十年十二月廿六日没す。享年七十八、本妙寺山中に葬る。
                大正五年十二月正五位を追贈せらる。

    6、安次(養子 荒木善兵衛弟)
              御鉄炮十挺頭・御中老支配 大阪御留守居 三百石内百石御足
               
 文化十年十月~   玉名郡代
    7、慶太郎(敬太郎)  旧知二百石
                
嘉永六年六月~安政元年九月(病死)奉行副役
    8、孝太郎   下津求馬組御番方二番組 二百石

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加藤家侍帳 ・6

2013-11-22 07:31:53 | イベント

      馬廻小姓組

      谷崎伊織組但馬廻与
 参百弐拾四石四斗六升                   谷崎伊織
 弐百五拾石                           岡 伊兵衛
 六拾人扶持                           鉄炮之者 弐拾人
 参百石                              別所伝左衛門
 六百六石五斗                          留田又右衛門
 五百石                              伊藤四郎右衛門
 六拾人扶持                           鉄炮之者 弐拾人 
 五百六拾五石                          谷崎権太夫
 百弐拾人扶持                          鉄炮之者 四拾人
 百五拾石                             広瀬小兵衛
 五百石                              北 与右衛門
 弐百四拾石四斗七升九合                  古橋清介
 弐百九拾八石八斗九升七合                原田久円
 百九拾八石七斗六升参合                  岡村作左衛門
 百八拾弐石八斗八升                     白石権六
 八人扶持                             高森九左衛門
 四百八拾五石壱斗六升六合                渡辺四郎兵衛
 弐百五拾石                           宮川彦左衛門
 弐百石                              中村清右衛門
 弐百五拾石                           衣笠安兵衛
 四百石                              青木四郎左衛門

     粟生一郎右衛門
 八百八拾石                           粟生一郎右衛門
 弐百参拾石四斗参升                     佐東孫右衛門
 六拾人扶持                           鉄炮之者 弐拾人
 百八拾弐石五斗                        美濃部喜兵衛
 五百石                              芳賀五右衛門
 七拾弐人扶持                          鉄炮之者 弐拾四人
 弐百五拾参石六斗七升壱合                中西左太夫
 拾人扶持                             河原林幸庵
 四百石五斗参升                        鎌田弥五右衛門
 百五拾石                             小林孫三郎
 百五拾石                             北里左馬
 弐百五拾石                           木村勘右衛門
 六百八拾壱石七斗六合                   三原十右衛門
 弐百石                              松下勘兵衛
 弐百六拾石六斗八升                     佐野半左衛門
 参百石                              左治太郎左衛門
 八人扶持                             手島与介
 六人扶持                             田尾甚兵衛
 百五拾石 親助之弐百石之内残五拾石は兄治部左衛門被下     森部藤介
 四百九拾八石八升壱合                    傍島右兵衛
 千石                                榎津加々右衛門
 弐百五拾石                           西村新右衛門
 弐百石                              西村太郎兵衛
 弐百五拾石                           高見九兵衛

     杉村弥三兵衛
 四百拾四石弐斗                        杉村弥三兵衛
 七百弐拾石                           池内左太右衛門
 百拾人扶持                           鉄炮之者 四拾人
 百七拾石                             川瀬八兵衛
 参百石                              伴 作左衛門
 弐百参拾五石九斗参升参合                須加吉兵衛
 千四百八石参斗五合                     坂川忠兵衛
 百五拾人扶持                          鉄炮之者 五拾人
 拾人扶持                             吉田忠三郎
 四百石                               奥田九右衛門
 弐百参拾石弐斗九升                     堀江忠兵衛
 弐百弐拾七石九斗弐升八合                 水野善右衛門
 五百弐拾壱石七斗壱升弐合                 松井又兵衛
 六百五拾弐石六斗九升七合                 宮田助八
 弐百参拾六石七斗七升三合                 高橋三郎四郎
 百五拾石壱升                          神谷七蔵
 四百石八升壱合                        森 助兵衛
 五百石                               栗田藤右衛門
 弐百石                               加々山太郎兵衛

     保々因幡与
 七百八拾四石                          保々因幡
 参百参石                             新 次兵衛
 参百拾五石                            平田六右衛門
 百九拾八石九斗参升七合                  越智平右衛門
 百七拾六石六斗壱升五合                  冨田惣兵衛
 百五拾石                             平田多兵衛
 百五拾六石                           古橋六太夫
 六百石  内参百石寛永弐年に加増                里 又作
 百六拾弐石五斗                        平田十太夫
 参百石                              保々甚五左衛門
 百五拾七石六斗                        小畑与右衛門
 百六拾四石八斗壱升九合                  佐治左介
 弐百五石七斗五合                       河北五郎兵衛
 六人扶持                             宮脇与次兵衛
 六人扶持                             坂巻平兵衛
 五人扶持                             安 次右衛門
 五人扶持                             武石理介
 千石                                土田清右衛門
 弐百石                              国友与兵衛
 弐百五拾石                           北村作右衛門
 弐百石                              福永四郎右衛門                                   

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