川尻御船手のことを調べようと思い「川尻町史」を読んでいたら、「有馬役戦死者記念碑造立旨趣書」が掲載されていた。一万数千の人々がこの川尻の地から戦場に赴き、或いは戦死し或いは傷ついて帰ってきたのである。明治二十年その有馬戦役から二百五十年の忌を迎えるに当たり「有馬役戦死者記念碑造立」の機運が生じたのである。発起人として筆頭に安國寺住職・荘林省我氏があり、戦死者遺族四名の名があった。その最初に猿木宗那の名前を見付けて驚いてしまった。三十数年起居を共にした母方の祖母の父である。ほかに猿木姓二名の名前もあった。
熊本市横手の安國寺に四つの戦難において亡くなられた方々の供養の碑が建てられている。
■有馬陣戦死各霊之墳
■上総沖溺死者供養塔
■小倉陣戦死者供養塔
■東国戦死之碑
安國寺をお尋ねすると必ず手を合わせているこれらの碑だが、まさか曾祖父が発起人であるとは知らなかった。
夫れ古昔の事蹟を保って之を後世に遺すは後人に對するの義務にして今時に湮浸せる跡を尋ねて以て先人を顕すは先祖に對するの誠心なり、
今我等は先祖に對し後人に對し、我等の成すへき義務をなし以て我等の誠心を盡さんとしてその擧を陳して同体同志の方々へ稟する所あらん
とす。
この様な書き出しで始まる旨趣書をよむと、宗那じいの切なる想いが胸をつく。
■上総沖溺死者供養塔(ハーマン号沈没事件) ■小倉陣戦死者供養塔 ■東国戦死之碑などについても、その建立については同様の思いがあっての事であったろう。毎年七月六日安國寺に於いては、細川家の思召によって法要が営まれている。今では出席される方も少なくなったとお聞きする。
今自らがこの世に存在する意味を考え、先祖に対する崇敬の念を深くしなければならない。