津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

熊本の大凧あげ

2013-11-02 17:39:37 | 歴史

                                       

十一月に入って年賀状の発売が始まったり、干支の置物の話や凧の制作風景などがTVなどで紹介されると、いささか慌ただしく感じられる。
そこで今回は「大凧」の話、「番太日記」に次のような記事があった。

                たつあげの事                      [ ]は虫食い
            春はよう気うへにのほるゆへ、うへをむけけいきをつかするゆへ、身の保養になり息災なり。其のゆへにをあけさする。
           又娘子にははね羽子板にてうへをむかせいきつき、はねをつくなり。たつ殊の外はやり方々にたゝみ壱枚敷、又二枚敷のあり、
           方々にあけに行。見物人多し。古かぢや町松屋達磨殿のたつは、たゝみにつもりて八丈敷程有。其比本山村に鉢ち増(坊ヵ)主
           休西とゆふ大ぼうずあり。是をたつにつくる。みな人休西だつとゆふ。夫にさし渡し四五尺のとふ(尾)五ツゆひつけあくる。
           其音きんごふ(近郷)はひゝき渡り、糸は細引のよふにあり、四斗桶にたぐりこみ、ふたりにて持行なり。米壱俵に結つきおけば
           米を引きて行也。米俵にこしかけ見物する。扨おろす時[ ]しんとふしておろす。方々畑作を[ ]願にてきひしき御法度になり、
           もし[ ]其時分にわやく咄あり[ ]御役人松屋にかようなるをつくる[ ]松屋殿私の儀は御用達にて御座候と申上られたれは、
           御役人しからは手のだるまで、あけらるべしと被仰候とゆふはなしあり。

凧のことを「辰=たつ」と呼んでいるのが興味深い。絵柄に「龍」という文字を書くのもなにか関係あるのだろうか。
幕末の頃の話だと推察されるが、今はもう熊本に大凧を揚げるという事はどこにもないような気がする。
八丈(疊)敷とは3.6メートル平方といったところだが、春日部あたりの大凧に比べると、ちょっと見劣りはするが・・・・・・
どこかで町おこし・村おこしで再興されては如何だろうか?? 

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船場界隈

2013-11-02 11:40:02 | 徒然

                                    

                                           銘菓 加勢以多(かせいた)

2006.1.15に加世以多を書いた。これに今朝ほどコメントをいただいたのだが、かってこの品を作っていた菓子舗が店を閉じられた理由を知った。
山城屋という菓子舗が熊本船場にあった。この店は「朝鮮飴」で有名なお店だが、途絶えていた細川家の銘菓「加勢以多」を明治四十年に作って、朝鮮飴と共に明治天皇に献上してその名をたから〆たという。
坪井川を背にして「研屋」という老舗旅館があり、山城屋は道向かいの角に位置していた。元々はお茶や茶道具を扱う洗心堂というお店の跡らしい。研屋の隣には山城屋という旅館がありここの主人は小早川常八、お茶屋が小早川慶作、御菓子舗が小早川慶八、関係は判らないが親子兄弟であろうが詳細は判らない。

船場という地名は大坂の船場になぞらえたものだと聞く。有名な唄、「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、船場さ・・・・」の船場である。
高橋から坪井川の水運をつかって多くの品物が運ばれ、ここで上げ下ろしがされた。また、芸者衆を乗せた舟遊びもさかんな粋な町であった。
今ではすっかり変わってしまったが風情のある町だった。
20代なかば、職場がこの近くにあって数年間この界隈に親しんだが、研屋旅館のロビーで飲んだコーヒーがやみつきになってしまった。本当に思いで深いし、私の人間形成の上でも重要な歳月であった。 

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                                        研屋 表         裏手・坪井川沿い

コメント (1)
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