津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

泰寶丸

2013-11-18 17:27:37 | 保存

 
                                    川尻御船手に在ったとされる泰寶丸(川尻町史から転載)

                     泰寶丸は藩主の参勤の際は、藩主の出発に先立ち川尻を発って玄界灘から豊前鶴崎に廻航されたという。

                        屋んれ日から能、よものどかにゑんきょくエイ、御舟卸のおいわいをエイ、そなへて御船をかさりたて、
                        聲を揃へてよいちょうしよいちょうし、はづみのちょうしはよいちょうし、ヨイヤ/\、えんをやんや、よい
                        よいさと、いさんでおろしたる、しんぞ御座船ろひょうしを、揃へてかおてやりましょうの、よの御舟にや
                        灘よりしやな、うれし・・・・・・・・・・・・                 (川尻の御舟歌) 

                     

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加賀殿の生母

2013-11-18 11:30:09 | 歴史

 来年の大河ドラマ「黒田官兵衛」はどのような筋立てに成るのか少なからず興味を持っている。当然のことながら豊前の国主と成る処までは描かれるであろうが、慶長五年の石垣原戦あたりは「はずれ」かもしれない。有岡城から救出されることなどは当然だろうが、加藤(伊丹)重徳を誰が演ずるのかもちょっと興味深い。

加藤重徳のご子孫、加藤睦子氏の著「御文参らせ候」を読んでいるが、ここに添付してある一族の系図に注目している。
当ブログでも重徳の妹が細川幽齋の側室であるとされることはすでに御紹介した。細川家の先代当主・護貞様は、幽齋公の御子の御一人は養子(女)であることを発言されていた。側室の子だという含みがあったように記憶するが、私は「加賀殿」ではないかと推測していた。「御文参らせ候」ではまさしくそのように紹介されていた。出典を知りたいところである。

加賀殿は木下右衛門大夫延俊室である。御子はニ男(夭折)三女であり、後の木下家に幽齋公のDNAは繋がっていない。
それにしても幽齋公と伊丹康勝女(重徳・妹)の出合が何処であったのか・・・・・細川家の資料にまったく登場しないこの女性も誠に謎めいた存在ではある。 

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