津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■読書一遍 ≒12,000文字

2015-09-02 16:20:01 | 徒然

 あるお宅からお預かりした文書三点を読んでいる。判らない文字は■表記して一応タイピングを完了、■を一文字ずつ「くずし字解読辞典」やら「くずし字用例辞典」でつぶしにかかる。
ところがこれが一向に減らない。内容がちょっと特殊な文書で、文意がつかみ切れないのだ。
そこで「くずし字解読辞典」を読破することにした。何度目かのチャレンジだが、1ページに五段×10文字=50文字が書かれていてこれが265頁ある。
凡そ12,000文字位はあるのだろう。これを目を皿のようにして一文字ずつ追いかけている。瞼下垂症に大いによろしくない。

1ページを1分かけても、4時間半はかかる計算だがどうもそれ以上かかっているような気がする。
それでも成果は確実にある。二つの該当文字を発見「なーんだ」ということになるのだが、誠に痛快ではある。
不思議な形(?)の文字に出くわすと、横道にそれ書きとったりしながらの作業なので遅々として前に進まない。
約15文字が■表示の対象なのだが、はたして全部潰すことが出来るかは、誠におぼつかないといった感じではある。

只今60数ページ完了、一休みしてコーヒータイムである。 

 

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■180個の茶入れの行方は・・・

2015-09-02 08:27:50 | 歴史

 寛永十一年(1634)九月三日三齋は忠利にあてて、「其元ニて焼申候茶入一箱百八十給候」ことに対して礼状を出している。
八代に居る三齋はそれ以前に、忠利が焼かせた茶碗その他を見たいので船着き場まで運んでほしいと云っている。
川尻の船着きであろうと思われるが、此処からそれらの品物が船便で八代へ運ばれたのであろう。
茶入れ百八十の内、二つを手元に置き跡は家臣に下げ与えたという。
肥後に入国してから二年経過しているが、「其元ニて焼申候」とは地元の焼き物ではなく豊前の上野(あがの)焼だとされる。
(地元にも牧崎窯があったとされるがその場所が特定されていない)
当時の八代の三齋附であったご家臣のお宅に、この「茶入れ」が残されていないものだろうか。

新暦旧暦の違いこそあれ381年前の書状(細川家史料5-1272)がもたらすロマンである。

 

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