津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■豊前小倉領冨野表戦争見聞録(一)

2015-09-20 20:34:46 | 史料

 これは慶應二年七月二十七日の、いわゆる小倉戦争の赤坂口戦に参加した鹿子木彌左衛門の見聞録である。
唯一長州勢が敗北した戦いであるが長州勢においては死者六十名ほどを出している。熊本勢は死者七名、手負い八名を出した。
その後、熊本勢は急きょ帰国することに成る。これは幕府軍の九州方面総督の老中・小笠原長行の指揮宜しからざる事に原因する。

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          豊前小倉領冨野表戦争見聞録

一、壱番手  御備頭 溝口蔵人殿  
            左 御番頭三番組 西山大衛殿
            右 御番頭五番組 澤村八之進殿
   本陣 廣壽山 安達村

一、貮番手  惣御奉行 長岡監物殿
            左 御番頭七番組 須佐美源左衛門殿
            右 御番頭八番組 牧 多門助殿

一、慶應二年七月廿七日払暁炮聲相聞候ニ付、壱番手溝口蔵人殿
  本陣廣壽山ゟ早鐘之相相圖ニ應し手受場々々江御人数被
  操出候間、二番組は兼而相究居候受場上冨野村江交番仕相固メ
  居候ニ付直接同所ニ被押出居西北之村際原中江手分ケ相固
  居候處長賊馬寄新町を焼立候故小倉勢引立候ニ引續押
  来赤坂村ニ懸り候ニ付圖明寺(実・壽命寺)境内東野宣太郎大筒手受場
  炮發戦争強有之賊数十人打倒候よし同所應援として
  三番組子を圖明寺江罷出同所引揚之時分二番手中村四郎右衛門
  大筒操出申候尤三番組同所出張之面々左之通
         組脇・田邊又助                         又助養子・田邊格太郎
            本庄傳兵衛                       傳兵衛養子・本庄熊三郎
            中嶌次兵衛                        傳四郎弟・片山小源次
            米良勘助                           勘助弟・米良左七郎
            志水一学                           一学弟・志水古次郎
            立石久左衛門                    久左衛門養子・同 熊三次
            関 源之允                              粟野左助
            草刈善助                          善助弟・草刈久満喜
            ■四郎二男・緒方清彦                  佐四郎三男・緒方順喜
            同人・緒方亀雄                           高橋作左衛門
            作左衛門嫡子・高橋作之允                     齋藤郡左衛門
            郡左衛門養子・齋藤加津馬                     加々山権之允
            権之允弟・加々山権次         弓箭を携罷出申候 権之允弟・加々山安之允
            同人支配・藤木友喜                         原田丹蔵
            丹蔵弟・原田熊之助                  儀左衛門弟・井上傳記
            井川弥次兵衛                    弥次兵衛弟・井川熊次郎
            次一郎嫡子・吉津又太郎                 次一郎弟・同敬三郎
            同人家来・緒方七郎
  右之面々各小銃を以大炮之間を打相働申候
                

 

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■「知るは楽しみなり」という至福

2015-09-20 07:07:07 | 熊本史談会

 昨日は熊本史談会の9月例会、今回は書道家の柏原伸一(卿雲)先生を御招きして、書や漢字などについて多岐にわたってお話をお聞きした。
御招きするにあたっては過日、先生の御宅をお訪ねしてお願いを申上げた。
その折約一時間半ほど先生の豊かな内容の大変面白いお話をお聞きして、会員諸氏に絶対喜んでいただけると確信したことであった。

NHKに鈴木健二という名物アナウンサーがいた。初任地が熊本で昭和28年の大水害に遭遇、局舎が水没していくありさまを実況している。
熊本には縁が深く、NHKを辞めてからすぐ熊本県立劇場の館長に就任10年を過ごされた。その成果は多大なるものがあった。
その鈴木氏が某番組の中で「“知るは楽しみなり”といって、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれる」 と云っている。
今回の柏原先生のお話はまさに至福の時間であった。

お話の中にたびたび登場した古代漢字学者白川静先生の御著を購入して、さらなる至福を味わいたいと思っている。
 

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