爺度が極まってくると、難しい内容の本はなかなか頭に入らない。そこで何度も読む事になる。逆にいうと何度も読ませる本は、素晴らしい本であるという事にもなる。半分ばかり読んで、放り出した本も結構有る。
CiNii論文に神戸山手短期大学生活学科の田中裕氏の、「読書百篇義自(おのずか)ら見(あらわ)る」は正しいかというユニークな論考がある。
大学の新入生28名を対象に『デカルトの方法序説』を30回読ませて其の理解度を確かめるというのである。新入生の諸君にとっては地獄であったろう。
一段落読む毎に5段階評価の理解と読みのスムーズ度とコメントを記録してもらい分析した処・・・・・・・・その結果は「正しい」というのが結論だそうな。
芥川賞を受賞した芸人・又吉直樹は、大好きだという太宰治を100回読んだと云っている。
芥川賞を熱望しながら果たせなかった太宰を超えたのだから、何をか言わんやである。
当方も一応趣味は読書としているが、いわゆる「積読」である。最近思い立って一気読みにチャレンジしている。
八時間ほど休憩なしで読むのである。一二度読んだ本でも「こんなことが書いてあったか」と驚かされる。これを二三回やると効果が出そうな気がする。
細川家記「綿考輯録」も何度となく読んでいるが、これとて同様で新たな発見が読むたびに出てくる。
御恵贈いただいたものなども完読に至ってないものがある。数十冊に成りこれも精読しようと、本棚にコーナーを設けていやでも目に入るようにした。
最近目の具合が悪く、PCも読書も長時間すると瞼下垂になってしまう。これが何とも不愉快でほどほどにしながらやっていこうと思っている。