津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■松寿庵先生・第184講

2016-04-01 07:58:40 | 史料

                         Siranui Dakuemon.jpg http://www.city.uto.kumamoto.jp/museum/pro/kinsei/yokoduna.html

                         熊本の有望株 正代直也 初土俵以来負け越しなしの87勝29敗 来場所小結に行けるか?

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■再開「我が家検索リスト」  68-12 飽田・託麻之内屋敷絵図

2016-04-01 07:10:01 | 地図散歩

 いわゆる68シリーズ「熊本所分図」13葉の最後に当たる「飽田・託麻之内屋敷絵図」である。これら一連の絵図の正式な制作年は判らないが、この絵図にもある安巳橋の架橋年が安政四年であることから、その時期以降のものであるとされている。

この絵図は城下町の外郭部に偏在する武家屋敷を示している。
■北にぽつんと永田内蔵次が見えるが、西に出町筋(現・出町4丁目)があり、ここに至る道筋はほとんど変っていない。津浦町13の津浦南公園あたりと思われる。
■西北部にある大きな屋敷長岡中務は細川内膳家の牧崎邸である。その西に溝口蔵人下屋敷が見える。おおきく蛇行しているのがかっての井芹川、現在は流路が変り中務邸を貫く形になっている。現在の花園3丁目の料亭・田吾作あたりである。溝口下屋敷前の道路は以前の形で確認できる。

■絵図の西の松野七左衛門屋敷は68-10図、北端の木下嘉納邸の前の勢屯から入った場所(島崎1丁目)である。
■西南角に上月権之進・成海丹下・土田作左衛門屋敷は現春日4丁目だとされるが、定かな場所はよく判らない。

■南の四角の土地は齊茲公が隠居屋を建てるために拓かれた場所である。齊茲はその後二の丸に転居した。柏原要人屋敷となった。
 馬渕次郎八・武藤文右衛門・大塚甚蔵・浅野栄太郎・続毎・■■■安・原権之助・長岡中務・太田九十郎・宮部市太左衛門・幸準蔵・財津民助・曽根光太郎・佐藤十兵衛・丹羽源之允・富田貞右衛門・八代御城附衆出府所・神足少助などの屋敷がある。この一角を御殿跡と称し、「城下の人」の著者石光真清の屋敷もここにあったが、この時代にはまだ見えない。
■長六橋から迎町に入ると田中八郎兵衛、御船口に本郷才助、白川沿いに 小堀長齋・貫角右衛門・鳥井八郎右衛門の屋敷がある。

■安巳橋を渡った一角がいわゆる新屋敷である。(現九品寺1丁目)
 楯岡小文吾・添島甚次郎・林七右衛門・東次郎熊・中山平左衛門・安場一平・中島純次郎・熊谷子之允・一宮少之助
 志賀栗齋・荒木一之進・横山助之進・水野傳・三池尉右衛門・永田條之助・宇田鉄之助・狩野俊助・楯岡小文吾
 少し離れた所に上林源左衛門の屋敷がある。 


以上を以て安政四年以降の熊本府を13葉に網羅した68シリーズを完了する。今後時代の違う絵図をなんとかご紹介して行きたいと思う。 

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