津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■服部武右衛門殿

2017-08-07 07:30:22 | 史料

 服部武右衛門は服部弥門家の五代目である。服部家では武右衛門もしくは弥右衛門を名乗る人が多い。
この指物の図は武右衛門が鉄炮五拾挺頭の職を辞する時期に提出されている。
服部氏の出自はよくわからないが、家紋は「花杏葉」、大友家に連なる資料は見えないが?

    5代・武右衛門  (1)五百石 御番方八番組触頭 屋敷・千段畠 (肥陽諸士鑑)
             (2)拾挺頭 五百石 宝暦六年子七月朔日当役 (御国中御侍以呂波寄)
             (3)御番頭中着座御免之着座 五百石 天明五年五月
              安永五年十月(三拾挺頭)~天明五年五月(依願免)鉄炮五拾挺頭
    
    孫で7代寿八郎(武右衛門・太門)は奉行職まで上り詰めた。 
        服部水哉 名は幸徳、初め武右衛門のち太門と称し、致仕して水哉と称す。
             藩に仕へ食禄六百石、高瀬及び川尻町奉行、鉄炮頭、奉行職
             等を勤む。程朱の学を尊信し其節度厳然たり。
             保六年四月廿一日没す。享年六十九。墓は高田原西岸寺。

    

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