津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■老松町の殿様

2017-08-21 11:19:08 | オークション

               オ6[老松町の殿様]石田茂作 細川護立 昭和46年 非売品

 この本の存在はとうの昔から知っていて、何とか手に入れたいと思っていた。殿様とは「護立侯」のことである。
私が生まれる前の年に亡くなった祖父がお仕えしていた。
この本は最近では「日本の古本屋」に二点ほど見受けられるし、2,100円程である。慌てることはないな~なんて思っていたら、今回ヤフオクに出品されていてすごく安価にて落札することができた。ラッキー・・・
一年ほど前にもヤフオクに出品されていて、この時は競り負けてしまった。というのは相手の人にぎりぎりで出し抜かれてしまった。
その時はまだ高かったような気がする。

昭46年1月、大塚工藝社というところから出版されている。石田茂作氏編集とあるが、護貞様も関わっておられるように記憶している。
高田老松町は私の生まれたところでもあるから、何となく郷愁めいた想いもある。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■コネ仕官

2017-08-21 08:08:49 | 歴史

 熊本藩年表稿を眺めていたら、寛文六年八月の項に、「是月、八木一郎右衛門北条新蔵より御頼に付300石にて召出さる」とある。
典型的なコネ仕官の例だが、この北条新蔵とは北条流兵法の祖と言われた同・氏長のことである。
一郎右衛門は息・市大夫を伴って仕官しているが、「諸師役流儀系図」によるとこの市大夫が「妙解院様御代御家中師範被仰付候」とある。
妙解院とあるが妙応院の誤りである。(私の写し間違いではない)
つまり北条流の開祖である北条新蔵氏長が、弟子である市大夫とその父を綱利に就職あっせんしたということである。
寛文六年の仕官は細川家ではかなり新しい。新規の仕官が極力抑えられていた時期であるから、こういうかなり強力なコネがないとなかなか成り立たないことであったことは想像に難くない。
そして八木家の侍帳を見ると、八木但馬守という記載が見えるが、山田奉行を勤めた八木宗直のことと推察される。
また家紋が三ツ盛木瓜であり、但馬八木氏の一族であろうことが推量される。
この八木氏、綱利公に重用され1,000石側用人まで上り詰めた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする