茶道肥後古流古田(萱野)家に伝来したとされる、在国する父・忠利の体の具合を報告する萱野夕庵宛の光尚へ対しての礼状である。
初代は古田織部正の弟だとされるが、代々萱野を名乗ってこられた。そして当代に至り、茶道・古田流の門を閉ざされた。
子の書状は小倉時代のものか、肥後入国後のものなのか特定するにはヒントが少ない。なんとなく島原の乱以降のもののように思えるが如何だろうか・・
出品者により次のように釈文が添えられている。
今度ハ切々御気
具二申越候故あんど申候。以上
一昨廿二日御状一入
具加披見候。越中様
御気色よきの御事
目出度候。又尋
度候。日限頃廿六迄候。
又尋御座候ハハ其方ハ
今度之太儀二
ゆるゝと
や春ませ可申候。以上
肥後(花押)
廿四
夕夜老