先の投稿の説明不足を補っておきたい。
細川家の54万石とは、いわゆる表高であり、これが軍役などの基本となるものである。
実高は75万石余であったとされる。(いろいろな資料で若干の筋の食い違いがみえる)
そのうち、「肥後読史總覧」によると、実高は753.139石とあり、蔵納地437.000石余、御給知309.000石余とある。
御給知は知行地として与えられるものであり、蔵納地は藩庁の支配するところであり、藩政費や藩主の家政費や御中小姓などの扶持米や切米などに充当された。
御給地と蔵納地における免の数字に違いがあるのは、御給地すなわち侍の知行分の数字が低いのは、賦役や雑税が別途つくことが考慮されているからだという。
免が毎年違うように、この「御蔵納」と「御給知」も時代により数字は違っている。
鎌田浩著「熊本藩の法と政治」から引用
寛永18年において、給地高が大きい数字になっているのは、天草島原の乱における恩賞などによる新たな知行や加増などで膨らんだものと思われる。